第17話  賤の屋 (しずのや) ~月夜の思い出~


 斉信ただのぶ様との封印してしまった思い出を、私は草子に自分の事としてではなく、見たこととして取り上げました。

 例えば、花山院の事が起きる前年の七月。ひどく暑いので、どこも開け放して寝ていた時のこと。その夜がさがさと入って来た則光のりみつを成りゆきで受け入れてしまった後悔と、暁になるとそそくさと帰ってしまうところなど昔と少しも変わっていないと興ざめな気分とで、衣を頭から引っ被って伏しておりました。

 則光ときたら扇はどこへ行ったかと探すわ、ふところ紙をざわざわといわせながらしまいこんだかと思うと、今度はやっと探した扇をばたばたといわせながら、型どおりの別れの挨拶をする始末。あんなに烏帽子えぼし)をきちんと結ぶ必要があるものでしょうか。夜明けに女の元から帰っていく男の烏帽子が少しゆがんでいて、びんがほつれているからといって誰がせめたりしましょうか。その方が風情があるというもの。則光の態度は、にくらしいなどという言葉では足りないくらい雅さに欠けるのです。

 そんなことを腹立たしく思っていると、

麻生おうの下草」

 などと後朝きぬぎぬの歌を口誦さむ声がいたします。局の御簾の端が少し開いたのではっとして見ると、斉信様でございました。寝乱れたご様子までも美しく見えますのは、則光と比べるからでしょうか。それにしても『草の庵』以来、お互い親しくしているとはいうものの、寝姿まで見られてしまったのは悔しく思います。

「格別な、お名残りの御朝寝ですね」

 御簾の中に身体を半分ほど入れていらっしゃるので、

「朝露よりも早く帰っていった人のことがうらめしいので」

 半ば投げやりに答えると、枕元にある扇をご自分の持っていらっしゃる扇で引き寄せるようになさるので、身体ごとこちらに傾いていらっしゃるのに、どきっとして奥へいざります。

「他人のように思っていらっしゃることよ」

 斉信様は思わせぶりなことを仰ったりしながら、日が高くなってきたのを気にしつつわが家へと帰って行かれました。さっき別れてきた女人のところへの後朝の文が遅くなったというのも気がかりなことでしょう。そして、その女人のところへも、このように別の男がのぞきにきているのであろうか、などとお思いになるのかもしれません。このようなことは私のことではなく、世間的なこととして書いておきましょう。

 また、その年の暮れ十二月二十四日。中宮様の御仏名の初夜に、読経を聞いてから私は里へ退出いたしますと、斉信様からのお手紙が届けられておりました。

「今宵は里へ訪ねて行こう。久しぶりに喪服を脱いで、晴れやかに装っていらっしゃい。きっと楽しいことがあるよ」

 秘密めいたことをお書きになっていらっしゃいます。なんだろうかと、どきどきいたします。それにしてもこんなに浮かれた気持ちでいいものでしょうか。

 私には斉信様が、無理なことは決してなさらない方だという確信がございました。今になってみれば、あの時すでに、私へのご好意が男と女のものというより、人と人としてのものであることに気づいていたのかもしれません。

 私はお返事をしなかったので、本当にお見えになるのかは半信半疑でおりました。それでも里で久しぶりに喪服を脱いだのが嬉しくて、薄紫、紅梅、白いのなど衣をたくさん重ね着して、斉信様のご計画に想像をめぐらしておりました。下仕えの者が寝んでしまった頃、斉信様のお供が私を呼びに参りました。本当にいらっしゃったのかと外へ出てみますと、立派な枇榔毛びろうげのお車が止めてございました。斉信様の三人のお家来に隠されながら乗り込みますと、斉信様はにっこりしておいででした。

「よくぞ美しく着替えて待ってくれていたね」

 斉信様は私より御年一つ下でいらっしゃいますが、もの馴れた感じで私には似合わないようなことを仰います。

「あれこれ気を回す必要はない。ただ、前から、こうして有明の月のころにあなたと車に乗って出かけたいと思っていた」

「私でなく、ふさわしいお方がたくさんいらっしゃるでしょうに」

「風雅を楽しみたいのだから、それが分かる相手でなくては楽しくはあるまい。あなたは一般の女とはちがう。美しいものや、おもしろいことを見たり聞いたりしては素直に喜ぶし、もったいぶったところがない。だいたいの女は、このように連れ出しても一向に辺りを見ようともせず、さらわれてでも行くかのようにびくびくした素振りをするだけでおもしろ味がない」

「私とて、このような大それたことになろうとは思ってもおりませんでした。月の光が明るすぎます。奥へ入らせてくださいませ」

「だめだ。それでは甲斐がないではないか」

 斉信様の後ろへすべり込もうとするのを、しょっちゅうそばに引き寄せて外を見せようとなさいます。私も、次第に月明かりに目が馴れてくると、眼の前に広がる光景のすばらしさに恥ずかしさも忘れ、夢中になって見渡しました。斉信様が、高々とすだれを上げさせなさいますと、月の光が車の奥にまで差し込んできて、色とりどりの衣がおもしろく見えます。斉信様の、くつろいでゆるく羽織った直衣のうし出衣いだしぎぬのように車から出ている様子なども、人に出会ったならば振り返って見られるにちがいないと思われます。何日も降り続いた雪が止んで風がひどく吹いていたので、大きなつららが軒先に垂れ下がっている様子、地面は雪もあまり残っていないけれど、建物の屋根の方は邸でもしずでも同等に白く覆われている姿、そんな景色を月がくまなく照らし出している様子。斉信様が仰ったからというわけでもございませんが、うれしくてそのひとつひとつを申しあげてしまいます。斉信様の、「凛々として氷鋪こおりしけり」という『和漢朗詠集』の詩句を誦んじておいでになるのが、本当にあつらえたようで、心にくいまでの演出にいつまでも酔っていたい気がするのでした。





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