第2話

 毎年狂いもなく開催される蝉の大合唱にうんざりしつつ、左手に葡萄と牛乳寒天が入ったスーパーの袋を持ち、右手に携帯扇風機を持ってその風を浴び、私は菊見皆行きくみみなゆきの家へと向かっていた。

 菊見皆行とは私の飲み友達だ。前に居酒屋のカウンターでお互い一人飲みをしていた所、店員が注文した品を逆に渡してきたことがきっかけで一緒に飲むことになり、意気投合。連絡先を交換し、どこかへと飲みに行ったり、こうして彼の家にお邪魔させてもらったりしている。

 彼とは歳が二十も離れているが、あまりそのことが気にならないのはきっと、彼の気さくな性格もあるのかもしれない。

『真山君、葡萄ぶどうは冷凍庫でかっちこちにした方が美味しいのだよ』

 ためしに一粒もらって食べてみた所、シャーベット状になったことで葡萄はしゃりしゃりとしていて、後にはすっきりとした甘みが残る。一瞬で消えてしまった爽快感をもう一度味わいたく、私はもう一粒、もう一粒と何度ももらい、結局一房丸ごともらって、それを平らげてしまった。

『ほら、美味しかったでしょう?』

 私が何度も頷いたものだから、それ以来、彼の家にお邪魔させてもらう時には、いつも季節関係なく冷凍した葡萄を一房出してもらっていた。なんだか申し訳ないので、駅の傍にあるスーパーで葡萄を買ってから向かうようにしている。激安価格で売られていたので、今日は牛乳寒天も一緒だ。

 人の乗り降りが少ない駅を出て、歩くこと十分。蝉の声は無視し、プールに向かう子供達の声に内心微笑みつつ、生活音が時折聴こえる住宅街をひたすら進んで着いたそこは、二階建てや三階建ての一軒家が建ち並ぶ中では珍しい平屋で、ワゴン車一台分の広さを有した庭には何もない。気候の良い日はそこにレジャーシートを敷いて、日向ぼっこをするのが好きなんだとか。

 色褪せたクリーム色の、四角い家だ。縦は短く横が長い長方形で、まるで大きな箱をポンと置いて、正面に玄関といくつかの小窓を付けただけの、絵に描き起こすのが大変楽な……などと言ったら失礼だろうが、そんな家だった。

 先祖から代々受け継いできた家、ではなく、菊見皆行本人が一から考案し建てた家だそうで、洗濯物を干す為の屋上と、地下には防音仕様の書斎があるのだと前に教えてもらった。

 菊見皆行とは建築家なのか? ──違う、彼はどうやら、小説家らしい。

 高校を卒業してからこっち、活字に長々と付き合う日常を送ってこなかったので知らなかったが、どうやらそれなりに売れている作家なようで、映像化した作品がいくつかあり、作品名も教えてもらったが、どれも耳にしたことはあるが観たことはない。少し申し訳なく思って、ためしに短編集を買ってみたが、休み休み読んでいるのでなかなか終わらない。

 先生、なんて日頃呼ばせてもらっているが、さんや君と同じ具合で、結局私にとって菊見先生とは、単なる気が合う年上の飲み友達でしかなかった。

 だからこそ、何の気負いもなくチャイムを押し、『真山君でしょう? 鍵なら開いてますから、上がってください』と不用心な言葉をもらい、携帯扇風機の電源を消してショルダーバッグにしまうと、玄関へと向かう。


『……本当に……可愛いねぇ……』


 扉越しに、若い女の声が聴こえた。

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