第53話 一冊の薄い書物

 天幕の中は思ったよりも広い造りになっていた。

 中央には板で造られた大きな円状の舞台が置かれており、その周辺はがらんとしている。恐らく、客たちがこの舞台をぐるりと囲むのだろう。

 こういった娯楽に縁の無かったラダンにとっては初めて見る光景だった。

 楽器の手入れや、小さく集まって談笑している紡謡の民オルガ・ヤシュたちをさっと見回すと、天幕の奥にノギの後ろ姿を見つけた。

 丁度、知り合いと思われる背の曲がった老人と抱き合って挨拶をしているところだった。

 ラダンが近づいていくと、先ほど入り口で出会った女もその脇に立っていた。

「本当にお久しぶりですね。また僕に様々な物語を教えていただきたくて参りました」

 ノギが老人の手を取ってにこにこと楽しそうに話しているのを、女は神妙な面持ちで眺めていた。

「それで、長老はいつ時間が取れますか? 僕も話したいことがたくさんあるんです! 声だけ聞こえる謎の――」

「待て待て、相変わらずおぬしはよくしゃべる奴じゃな、焦らずとも話してやるさ。じゃが、その前にミアの話を聞いてやってくれぬか?」

 長老と呼ばれた老人は苦笑しながらノギの話を遮って、ミアの方に顔を向けた。

「……?」

 ノギは長老の視線を追って、すぐ脇に立っていたミアに顔を向けると小さく首をかしげた。

「どなたですか?」

 ノギの問いにミアは丁寧に頭を下げると、口を開いた。

「久方ぶりの再会を邪魔してしまい本当に申し訳ございません。私はミアと申します。月詠み師としてこの国のみかどに仕えている者です」

 目を見開いたのはラダンだった。

(帝だと……)

「えっと、そんな偉い方が僕に何の用でしょうか?」

 ノギは困惑した様子で頬を掻きながら訊ねた。

 すると、ミアは周りにすっと視線をやった後、長老に目配りをした。

「ああ、わしの天幕を使いなさい。人払いはしておく」

「感謝いたします」

 ミアが深々と長老に頭を下げている姿を、ノギはぽかんと口をあけながら不思議そうに眺めていた。

(どうする……)

 ラダンは素早く思考を巡らせた。

 願ってもない好機だ。どうにかしてこの女を手中に収めることが出来れば、この国の内側に上手く入り込むことが出来るかもしれない。

(しかし、ここで悟られるわけにはいかぬ)

 平然を装いながら、ラダンは頭だけを動かし続けた。

「ところで、こちらの方は……」

 ふと、ミアの視線がラダンに向いた。

「ああ! 彼は僕の友じ――」

「用心棒だ」

 ノギの言葉を遮るようにしてラダンは言った。

「こいつをあらゆるものから守ると約束した。そして、いかなる時もそばを離れないと誓った者だ」

 ノギは面食らったように声を上げた。

「そんな大袈裟な約束なんか――」

「俺が勝手に誓いを立てたんだ。命を救われたあのお堂でな」

 それを聞いたノギは納得したのか、していないのか、何とも複雑な表情をしていたが、もうそれ以上は何も言わなかった。

 代わりに、もう二度と僕の話を遮らないでください、とラダンに向かって盛大に頬を膨らませた。

 そうして、ミアに案内されたのは紡謡の民オルガ・ヤシュの天幕のすぐ後ろに立てられた小さな天幕だった。

 ノギの後に続いて中に入ろうとしたラダンを、ミアはすっと腕を上げて止めた。

「申し訳ございません、二人きりでお話がしたいのです」

 瞬間、互いの固く尖った視線が静かにぶつかった。

 先に視線を逸らしたのはラダンだった。表情を緩め、出来るだけ分かりやすい笑みを顔に貼り付けて言った。

「なら、ここで待たせてもらう。誰かが来れば人払いをしよう」

 ミアは暫くじっとラダンを見つめていたが、やがて、ふっと視線を逸らすと何も言わずに天幕の中へと消えていった。

 しかし、すぐに名が呼ばれた。

 振り返ると、戸布からひょっこりと顔を出したノギがラダンに小さく手招きをしながら、中へ入るように誘っていた。

「……?」

 いぶかしみながら戸布をくぐると、ノギにすぐ後ろに座るようにと言われた。

 ノギはラダンが腰を下ろしたのを見届けると、ミアに向き直り口を開いた。

「一国の王に関わる重要なお話ならば、僕だけでは抱えきれません。それに、国の秘密を知ってしまった者の末路がどんなものであるか、僕はよく知っています。どんなお話かは存じませんが、彼にも同席してもらいます」

 ラダンは不思議な思いで、ノギの真っ直ぐに伸びた背を見つめていた。

 わらべのようにはしゃいでいるかと思えば、子を叱る母のようにもなる、何も考えていないのかと思えば、こうしてはっきりとものを言う。

 こうした掴み所のない様は、まさに風だと思った。そして、自由だとも。

「分かりました。それで筆師ふでし様が安心されるのであれば、それで結構です。ただし、これからお話することの一切を口外しないと約束していただけますか?」

 ミアはゆっくりと確認するように二人に目をやった。

 ノギは振り返り、ラダンが頷いたのを確認すると、自身も深く頷いてから言った。

「はい、約束します」

 暫くの沈黙の後、ミアは懐から何やら取り出すと、それをすっとノギの前に置いた。

「ノギ・モルロと言う名は、貴方の名でお間違いないでしょうか?」

 目の前に置かれた物を見て、ノギは驚いたような声を上げた。

「これは懐かしい! そうです、これは僕が筆を執ったものです! 何処でこれを?」

 ノギが目を輝かせながら手に取ったのは、一冊の薄い書物だった。

 表紙には『天をつかさどる太陽の民』と書かれている。

「宮にある大書物庫の奥に眠っておりました」

 ノギは懐かしむように書物をめくりながら、ミアの言葉に首を傾げた。

「帝に献上した覚えはありません、それに、これはただの口承民話です」

 なぜこれが帝の元にあるのか、そして、それが何を意味するのか、ノギにはさっぱり分からなかった。

「この書物の内容が正しければ、太陽の民は金色こんじきの目をしていたんですよね?」

 ミアの問いは天幕の空気を一変させた。

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