VOL.8

 五日後のことだ。


 俺は彼女の住宅兼アトリエを訪れた。


 彼女・・・・滑川智子は、相変わらず紺色のバンダナで頭を包み、絵の具だらけのシャツにデニムのエプロン、そしてジーンズというラフな服装で俺を迎えてくれた。

”ごめんなさいね。絵を描いていたものだから”

 画架イーゼルには描きかけの油彩画・・・・椅子に腰かけ、足を組んだ男性が、こちらを真っすぐ見ていた。


 俺はこの間と同じ、画材が乗っているテーブルの前に腰かけると、彼女は何も言わずに奥へ引っ込み、銀の盆にコーヒーポットとカップを二つ載せて戻って来た。

『お砂糖とミルクはいらないのでしたね?』上目遣いに、ちょっと悪戯っぽい表情で小さく笑って、俺の前にカップを置く。


 俺はまずコーヒーを一口飲んでから、報告書と、それから彼から託されたあの品物・・・・深紫色をしたビロード張りのケースをテーブルの上に置いた。


『マイヤー君は見つかりました。詳しくは報告書をお読みになって下さい』


 彼女もカップを持ち、一口啜すすってから、報告書を手に取った。


 マイヤー・ハンツマンは、やはりイスラエル・・・・というより、海外に住むユダヤ人の某団体に雇われた殺し屋だった。


 彼はまだ、滑川女史と知り合う前、10代の頃から殺し屋としての訓練を受け、そして元ナチの関係者を幾人か葬ってきたらしい。

 らしいなんて極めて曖昧な表現になるが、彼はその一切で証拠を残していなかったのだから、こう言うより仕方がない。

 そういう意味では、まだ年若い身の上であるとはいえ、手慣れたプロの殺し屋であると言える。


 日本にやってきて、永住権を取り、外国人の受け入れに比較的寛容なC医科大学病院付属の看護専門学校で学び、看護師の資格を取り、病院に就職した。

(世界中にネットワークを持っているユダヤ人のことだ。外国人が病院に潜り込むのだって、それほど苦労はいらなかったろう)


 そうしているうちに新たな指令が入った。


 それがあの『博士殺害』である。


 彼女・・・・つまり滑川智子女史に、何も告げずに去ったのは、彼女を面倒なことに巻き込みたくなかったからだという。


 前金で受け取ったギャラで、彼は”本物のルビー”を買った。

 

『開けてみても?』彼女が言う。

『どうぞ』俺は答えた。


 ビロード張りのケースの蓋を開けてみる。


 中には琥珀色に輝くルビーがついた指輪と、それから細かく折り畳んだ便せんが入っていた。


”これは本物のルビーだ。会いに行けなくて済まない。君の事は何時までも愛している”

 つたないが、丁寧な日本語でそう書かれてあった。


 彼女はそれを膝の上に置き、うつむく。


 涙が膝の上に置いた便せんの上に落ちた。


『彼は・・・・どうなるんですの?』


『彼の担当になった刑事弁護士に話を聞いたんですがね。今回の件に関して、彼は未遂だったし、殺害するつもりだったことは認めましたが、背後関係については一切黙秘を貫いているので、刑事側も立件はしにくいようです。流石の公安も、未遂で終わった以上、何も出来ませんからね』


 いいところ、国外追放ぐらいがせいぜいではないか。それが弁護士の見解だった。


『ご苦労様でした』


 彼女はハンカチで涙を拭き、卓子テーブルの引出しを開け、そこから小切手帳を取り出し、ペンで数字を書き込むと俺の前に置いた。


『これで足りますかしら?足りなければ・・・・』


『結構』

 俺はそれを受け取り、カップの残りを飲み干すと、椅子から立ち上がった。


『では』


 俺がそういうと、彼女はもう俺に背を向け、カンバスに向かって絵筆を取っていた。

 肩が小刻みに震えている。


 さよならを言おうとしたが、止めておいた。

 

 外に出ると、彼女の家の前に白いフェラーリが停まっていた。


『乗っていかない?送るわよ』


 運転席から顔を出したのはマリーだった。


 俺は何も言わずに助手席に乗り込む。


『お疲れ様』


『彼女に逢っていかないのか?』

『止めておくわ。今は一人にさせてあげたいのよ』

『だな』


 車は走り出した。


                            終り


*)この物語はフィクションです。登場人物その他全ては作者の想像の産物であります。


 






 


 


 

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フェイク・ルビー物語 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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