VOL.4

『何故黙っていた?』


 次の日俺はICレコーダーを回し、事務所オフィスにやって来た彼女・・・・五十嵐真理に”公安とのやりとり”を聴かせた。

(探偵ってのは、いつもこの位の準備はしてるんだぜ)

 

 俺の電話に不承不承といった体で応じ、ここまでやってくると、面倒臭そうな表情をあからさまに見せ、

”私だって暇じゃないのよ”とか、

”要件なら早く済ませて頂戴”などと憮然とした表情で愚痴り、シガリロを一本点けたが、俺が聴かせた”音”に耳を傾け終えると、


『で?これがどうしたの?』ときた。


 俺は彼女の表情を注意深く観察した。

 だが、そこには”企み”とか”嘘”とか言ったものは読み取れなかった。


『私はこう見えても警視庁さくらだもんに入ってから、ずっと刑事畑よ。

なんか”(そこだけひどく強調して言った)と一緒にしないで頂戴。連中のやってることなんか、私に分る筈はないでしょ。』憮然とした表情でガラスの灰皿にシガリロをねじつけ、二本目に火を点けた。


 確かに彼女の言うとおりだ。

"刑事と公安は仲が悪い”というのは、警視庁さくらだもんのみならず、全国どこの県警でも似たようなもんだからな。


 刑事は予算が限られている。

 公安は青天井。

 情報のやりとりをすることも滅多にない。

 刑事は叩き上げが大半を占めている。

 公安はエリートなら必ず通る。

 ん?


『しかし、あんたは曲がりなりにもその若さで警視様、つまりはエリートだろ?なら・・・・』


 彼女はまた煙を吐き出した。こりゃいかん。ガス室になる前に換気をしよう。


 窓を開ける。


 春の風が一気に室内を浄化してくれた。


『私、あの連中が嫌いなのよ。暗い所でいつも這い回って、こっちをトカゲみたいな嫌な目で見てる・・・・考えるだけでぞっとするわ』

 これもウソではなかろう。


『しかし、だったら何故公安がそんな名もないユダヤ系ドイツ人なんぞを付け回すのかね?』


 彼女はため息交じりに煙を吐き、三本目を取り出そうとし、それをシガレットケースに戻しながら声を潜めて言った。


『私だって警察官ですからね。捜査上の秘密について、民間人に話すわけにはいかないんだけど・・・・貴方には日頃から世話になってるし』


 と、ゆっくりと事の次第を語り始めた。


 第二次世界大戦中、ナチスドイツの命令で、化学兵器の研究を行っていた東欧の某国出身の化学者がいた。


 当然ながらもうかなりの老齢であり、心臓に疾患を抱えているため、米国での手術を希望していた。


 だが米国は御覧の通りの有様で、事実上入国が出来なくなっている。

 そこで、代わりに緊急事態宣言が出される直前に来日し、日本の優秀な循環器外科手術の権威である、都内の大学病院の教授の手術を受けることとなった。


 しかしながら、ここできな臭い情報が入ってきた。


 ホロコーストである。


 化学者自身はシンパではあったがまだ若く、ナチス党員でもなかったし、”虐殺”にも直接的に関与はしていなかったものの、結果的に彼の発明した化学物質(平たく言えば毒ガスのことだ)で、多くのユダヤ人が殺害されたことに変わりはない。


 世界中のユダヤ人団体が黙っている筈はなく、イスラエル政府が在日大使館を通じて受け入れを拒否するように内々で圧力をかけてきたわけだが、手術を担当することになった教授氏は、

”どのような前歴の持主であろうと、病気で苦しんでいる人間を救うのは医師の務めである”と、やんわりと、しかし断固とした言葉で要求をはねつけた。


 しかしあちらにとって、これは民族の尊厳を掛けた問題である。


 そこでイスラエル政府(いや、正確には海外に移住したユダヤ人の組織する団体の日本支部)が、密かに殺し屋を雇って、化学者氏を抹殺しようと企んでいるというのだ。

 しかも連中は日本の極左団体とも絡んでいるという。



 『それが彼、マイヤー・ハンツマン青年という訳か?警視庁さくらだもんの偉いさんとしちゃあ、どっちの味方もするつもりはない。かといってを起こされるのも迷惑だ。そこで公安を使ってマイヤーをどうにかしようと』


  彼女は三本目を取り出し、火を点け、煙を吐いた。

  イエスとも、ノーとも答えを返さない。


 『私が知っているのはここまでよ。それ以上は本当に何も知らないし、知っていても喋れないわ。』

  煙草好きの彼女にしては、やけににがそうに煙を吐き出した。


 『分かったよ』俺はエアコンのリモコンの『送風』ボタンを押し、何とか煙を外に押し出そうとした。

『君の言葉を信じよう。俺にとって滑川女史は依頼人だ。公安が何を言おうと、ユダヤ人がどうであろうと、やるべきことはやる』


『・・・・』彼女は三本目を喫い終えると、ソファから立ち上がり、

『じゃ、もういいのね。私は帰るわ』そう言い置いて、事務所オフィスを出て行った。






  



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