VOL.2

 マイヤーと彼女が知り合ったのは今から20年ほど前、場所はフランスだったという。


 パリのある画廊で、彼女の個展が開かれ、そこで声を掛けられた。


 彼はアマチュアの画家で、前から彼女の絵のファンだったと、自分でそう紹介し、片言ながら日本語も話した。


 最初の出会いはごく儀礼的なものだったが、それから数日後、二度目にサン・ジェルマンのカフェで逢った時から、何となく意識をするようになったという。


 とはいっても、当時彼女は50を越していたし、名の通った画家である。

 無名な若者の言葉を安直に信じるほど愚かではない。


 それでも、40の時に離婚して以来、仕事を除いて男性との接点がほぼなかった身でもある。


 彼の情熱的な言葉、恥ずかしい話だが”オス”の匂いに、眠っていた何かが呼び起こされるのを感じてしまった。


 二人が男女の関係になったのは、彼女が滞仏を終えて帰国する間際のことだったいう。


 宿泊していたホテルで身体を重ねた。


 自分でも驚いた。もう50代、すっかり"おんな”を忘れていたと思っていたのに、情熱的な彼の求めに、あれほど燃え上がるとは思ってもいなかった。


 次の日の朝、ベッドの中で彼は、腕の中に彼女を抱きしめ、優しく髪を撫でながら、

”君の事は絶対に離さない。今度は僕が日本に行くから”

 

 しかし、彼女も大人である。


 自分の息子ほども年の違う青年の囁きを信じるほど甘くはない・・・・多分それは一時の情熱だろう。


 そう思って、慌てて帰り支度をし、そのまま帰国してしまった。


 彼の事は忘れ、またいつものように、画業に没頭する毎日が続いた。


 そんなある日の事、突如、彼女の元にeメールが舞い込む。


 マイヤー・ハンツマン。


 彼だった。


”一週間後、日本に行きます。君に会いに”

 

 まさか本当だと思ってもいなかったが、彼はやって来た。


 ほんの気まぐれ、そう思っていたのに、再び顔を合わせると、ときめきが戻ってくるのを認めざるを得なかった。


 二人は身体を合わせ、日本のあちこちを巡って歩いた。

 マイヤーは日本の文化や歴史、芸術に興味を持っていたので、彼女の案内でほぼ三週間の間、あちこちを旅行して歩き、そうして数えきれないほど愛し合った。


 単なる肉欲ではない。彼女の身体に久々に沸き起こって来た情熱。


 それ以外の何物でもない。


 彼女はそう確信した。


 それからも彼はドイツと日本を往復し、遂には、

”僕も日本に住む”

 そう宣言した。

 しかし、マイヤーは彼女の元に通ってはくるものの、決して彼女に頼ろうとはせず、横浜でドイツ語の講師の職を見つけ、自活しているという。


 彼女はそんな彼を益々愛おしいと思うようになった。


”彼とならもう一度結婚してもいい”

 本気でそう思った矢先の事である。


 或る日突然、急に連絡が途絶えた。


 自宅にも携帯にも、何度か電話をし、メールも送ったが、何故か音沙汰がない。


 たまりかねて、一度横浜にあるという、彼のアパートを訪ねてみたが、もう随分前に引き払った後だという。


『お願いします。乾さん、お金は幾らかかっても構いません。彼を探し出して下さい。』


 彼女は伏せていた顔を上げ、俺を見つめた。


『貴方が恋愛関係の調査はお受けにならないというのは、マリーから聞いて知っております。でも・・・・』


 語尾が少し消え入りそうになった。


 俺は黙ってカップを取り、コーヒーを啜り、それからシナモンスティックを齧った。

『分かりました』

『え?』

『引き受けましょう。料金は規定通りで構いません。私はこう見えても気まぐれな男でしてね。気が乗れば引き受ける。乗らなければ受けないんですよ』


『随分いい加減なのね』

 彼女の顔に少しばかり笑顔が戻った。


『そうです。だから何時いつも貧乏してます』


 

 

 


 



 

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る