フェイク・ルビー物語

冷門 風之助 

VOL.1 

 ◎十八の彼は、どこか幼くて、いい男・・・・”十八歳の彼”より◎

◇◇◇◇


そのアトリエは天井が高く、アールデコ調のシャンデリアに似せた電灯が下がっており、大きなガラス窓からは春の日差しが一杯に差し込んでいる。

 彼女は”一人暮らしだから散らかっていて申し訳ない”と断りながら、俺を招き入れてくれた。


 ギリシャ神話のアドニスを模した石膏胸像が中央にあり、画架イーゼルには、厚手のデッサン用紙が立てかけてあり、胸像のデッサンがほぼ完成しかかっている。

『少し待って下さる?』

 そう言ったまま、彼女はまたカンバスに向かい、片手で木炭を持ち、画架に集中していた。


『煙草をお喫いになりたければ、どうぞ』

 手に持った木炭を動かしながら、彼女が言う。


『いえ、私は煙草はやりませんので』

 俺はそう言って銀のシガレットケースを開け、シナモンスティックを咥えると、端を齧って見せた。


 しばし手を止めてこちらを見ると、おかしそうに笑い、また画架に向かう。

 

 頭には藍色の地に、白のペイズリー柄を染め抜いたバンダナを被って、その下から白髪というか銀色の髪が覗けている。


 男物の白いカッターシャツをざっくりと着こなし、デニム地のエプロンにジーンズ。

 色白の整った顔にはそれほど皺もない、身長は高くなく、スリムな体型。これだけだと彼女がもう60代後半、いや70歳になろうとしているとはとても思えない。


『お待たせしました』と彼女が行って、木炭を近くの筆立てに差して俺の方に向き直ったのは、この家に来てからざっと二時間は経った後だった。


”コーヒーがよろしい?それとも紅茶?”


 窓際に近づいてガラス窓を開けながら、彼女は声を掛けた。


 五月に近づいた爽やかな風が室内に入り込んでくる。


『出来ればコーヒーを』


 俺が言うと、彼女はまた”ちょっと待っててくださる?”と断り、奥に引っ込み、間もなく銀色の盆の上に同じ素材のコーヒー・ポットと白い陶磁器のカップを二つ乗せたのを持って戻って来た。


『生憎砂糖とミルクを切らしてますの。ごめんなさいね』すまなそうに言いながら、もう一つの大きな卓子に載せた。


『丁度いい。私はブラック一辺倒ですから』


 俺が笑うと、彼女も、

『良かったわ』と、ほっとしたような表情を返して見せた。


 カップを取る。

 どうやらキリマンジャロだ。


乾宗十郎いぬい・そうじゅうろうさん、でしたわね?マリーさんに無理を言って貴方にここまで来て頂いたけど・・・・ご迷惑じゃなかったかしら?』

 彼女はカップに口をつけてから探るように訊ねてきた。

”マリー”というのは、当然あの『警視庁さくらだもん一の切れ者、外事課特殊捜査班主任五十嵐真理警視』の事だ。

 ああ、紹介するのを忘れていたな。

 彼女は滑川智子なめりかわ・ともこといい、一流の洋画家である・・・・とはいっても、国内よりもむしろ海外での方が名は知られているのだが。

 切れ者女史との関係は、女史がまだ学生時代、ほんの少し絵を習っていた時の師匠に当たるらしい。

”何か相談事があるらしいの。話だけでも聞いてあげてくれない?”と頼まれたのだ。


『いえ、一向に、私はフリーの探偵ですからね。お呼びがあれば、何処にでも参上しますよ』


 俺の答えに彼女は黙って頷くと、エプロンのポケットから、一枚の古びた写真を取り出して、卓子の上に置いた。


 一組の男女が肩を並べて立っている。


 男性の方は髭を生やした外国人で、女性よりも背が高いが、歳は遥かに若い。


 黒いセーターに粗い縞のジャケット、それにグレーのズボン。


 隣の女性は、確かに今よりは若いが、間違いなく目の前にいる、滑川智子女史その人である。


『マイヤー・ハンツマンっていうんです。出身はドイツ。私より25・・・・いえ、30・・・・それ以上は離れているかもしれませんわ』


 彼女はカップを膝の上に置き、うつむく。


 頬が少しピンク色に染まった。

『・・・・そして、私が愛した人です』

 ささやくような声で、付け加えた。


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