アオ #2


   *

   *

   *


 目を覚ますと雪雲の上に倒れていた。

 体中が痛むが、奇跡的に大きな外傷はなさそうだ。降雪の多い地域の上空だったことが幸いした。雪雲は夏の入道雲の次に柔らかい。

 辺りは不気味なほど鎮まり返っており、雲に半ば以上埋もれる形で雪車の残骸が二つ落ちている。しかし、相棒の姿はどこにもない。


「く……っ」


 痛む身体を引きずり、文字通り雲を掴んで、雪車に向かって這い進んだ。

 ようやく辿り着いた流線型の陰。外れてくれと何かに祈っていた予想が的中する。

 ——お前さんがジョアンだったのか。


「そんな……」


 バカなことがあるか。本番はこれからだろう?


「返事、してくれよ——っ」


 ——逢いたかった。まさか生きとる内に再会できるとは……。


 下半身を失い、いっそう深く暗い紅に染まった服。元は白かった豊かな口髭も、同じ色に塗りつぶされている。ただでさえ皺くちゃのしょぼくれた目は伏せられ、涙だけが静かに流れ続けていた。

 激情に駆られて、残りの全力を込めて振り下ろした拳が、手応えもなく雲に突き刺さる。


「ジイさぁぁぁん————っ!!!」


 その日、北半球全土に雪が降った。ただ、はらはらと。

 俺が気を失う間際、最期に見たジイさんの口許は、笑っているような気がした。




   *




 三日間ほど意識を失っていた。

 全身に負った打撲や小さな傷はその間に回復してしまったようだ。一応死後の世界。そのくらいの融通は利くらしい。

 しかし、この空で殉死した者は二度とサンタに再就職できない。

 ジイさんはもう、いないのだ。


 これは、目覚めた後に【協会】の救急班から聞かされた話だ。

 不幸な事故。他人事からこそ言える、そんな表現をして語られた。

 たまたま同じ時間、俺達の隣りの地区を廻っていた雪車がトラブルで墜ちた。俺達はそれに巻き込まれたらしい。救急班が駆けつけた時点で、相手の雪車に乗っていた二人のうち、一人は既に亡くなっていたそうだ。

 生存者は俺ともう一人。ソイツもサンタ歴二年の、俺と大して変わらないペーペーと聞いた。つまり、新米のヒヨッコが二人残ってしまったというわけだ。ただでさえ人手不足のサンタ界にとって、これは大きな痛手と言えるんじゃないかね。


 まあ、どうでも良い。俺の仕事に変わりはないのだから。

 【協会】曰く、新たな相棒サンタはすぐに充てがわれるとか何とか。余計なお世話だ。むしろ俺としては、誰も来なくて良いとすら思っている。ジイさんが本当の俺を呼び覚ましてくれた。トナカイのジョアンだった頃の記憶は、事故の後から確かに俺の中に息づいている。


 目の前には三日分、溜まりに溜まった『仕分け』待ちの届け物が、堆く積まれている。

 さて、張り切って仕事するかねぇ。ジイさんと共に過ごした三十年の記憶と経験があれば、こんなもの余裕だ。

 そう勢い込んで紅白のコートの袖を捲った俺の前に、小柄な少女が立っていた。


 ——早えよ、バカ野郎。

 さすがに、初対面の相手にいきなりそう毒を吐けるほど、荒んではいなかった。何とか踏み止まって普通の対応をする。


「どちらさん?」


 俺と同じ紅白の長袖長ズボンを身に纏った少女は、きっかり十五度くらい腰を傾けて会釈する。それに合わせて、帽子から伸びる白銀色の髪が揺れた。


「どうも。【協会】から貴方とパートナーになるよう要請されてやって来ました、メルニィと申します。今後ともよろしくお願いします」


「あ、ああ——。よろしく」


 ——くそ、やっぱ早えっての。

 ここにはいない【協会】の誰かに向かって、心の中で苛立ちをぶつける。

 そんな俺の内心を知らない少女は、瞳に鈍色の光を宿した切れ長の目をこちらに向けて、あくまで礼儀正しくという感じで言った。


「失礼ですが、貴方のお名前は?」


「名前——……」


 問われて、口ごもる。人になってからというもの、俺には名前がない。ジイさんと仕事をしていたときは別に困らなかったが。


「特にない。何とでも呼んでくれ」


「はい。それでは——、オジさんと呼ばせて頂きます」


「ふざけんな」


 礼儀正しいは撤回、失礼なヤツだった。

 それにしても、名前か。この少女に限らず、今後必要になるかも知れない。しかし——、ジョアン、そう名乗るのも少し違う気がした。


「そうだな。アオとでも呼んでくれ」


「アオさん、ですね。では、改めてよろしくお願いします」


 メルニィと名乗った少女が再び頭を下げる。

 俺は首筋に刻まれたクローバーを掻きながら、それを見ていた。

 まったく。故人を悼む暇も与えてくれないとは。【協会】のやることは相変わらずお役所的で困る。


 ——とまあ、腹を立てていても始まらない。気は進まないが、俺達サンタクロースにとって、本番はこれからなのだから。




 トナカイの飛ばない聖夜は、もう間もなくやってくる。




   ***おしまい***

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖夜に願うクローバー 白湊ユキ @yuki_1117

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ