15話 んで、トイレとか行きたくなるよね


「なくしたんか―――――――――――――――――いっっ!」


 再び僕の絶叫が音楽室に木霊した。

 

 僕と桃紙ももがみさんを繋ぐ手錠の鍵が、ないらしい。

 マジか! これダメなやつだぞ。たとえ冗談だったとしても本気で怒るやつだぞ。

「元気だなー、少年は。大丈夫だって、ちゃんとあるから。ただちょっと出てくるまで時間がかかるからよ。それまで茶でも飲みながら、見学がてら部員達の特技でも見て行ってくれよってことだよ。おい、ちゃー。なんか派手なやつ見せてやってくれ」

「おう、任せとけ! うちの特技は身体能力や。人間ハンマー投げ見せたるな。ガミエ、ハンマーの役やって。札幌まで飛ばしたるわ」

「それ自動的に僕も飛ばされますよね」

 って、あれ? どうした桃紙さん。今の流れなら僕と一緒に突っ込んでもいいところなのに……。

「あ、あの、一光いっこうさん。本当にないんですか、鍵?」

 ……なんで、青い顔してぶるぶる震えているんだい、桃紙さん?


「おお、ないけど。どうした、ガミエ?」

「じ、実はですね。あ、あたしですね。ず、ず、随分前からその………………猛烈におトイレに行きたいんです」

 そういえば言ってたな、そんなこと!

「くあっ! ダメ、瀬野せの君。震動を与えないで………ヤバい、ホントにヤバいから……」

 ダラダラと脂汗を流しながら、空いた手で懸命に下腹部を押さえる桃紙さん。

「う、嘘だろ、桃紙さん。それは僕をここまで連れてくるための演技のはずだろ? 嘘だと言ってくれよ、なあ桃紙さん!」

「触るな、一年! これは演技じゃないわ」

 僕の希望的観測をお鈴さんがぴしゃりと切り捨てる。

「大根役者のガミエに……………こんな迫真の演技が出来るはずないもの!」

 悲しい断定だな、おい!

「みんな、鍵を見つけて、大至急!」


「お、おう」、「しょうがないわねぇ、ったく!」、「探せ探せー!」


 副部長の号令一下、音楽室をひっくり返すような大捜索が開始される。

 ……が。


「あった?」、「ねーぞ」、「ないわ」、「あれへーん」


 一度探してない物は二度探しても見つからない。その間にも桃紙さんの顔色は青から赤、赤から紫、紫から白へと変色し、

「ああっ!」

 最終的に奇声を音楽室に響かせた。そして皆が見守る中、僕を連れてフラフラと隅っこへと歩いていき、


「そうだそうだ、思い出した。前ここにね、綺麗なお花が咲いてたんですよ…………ちょっと、摘んできますね」


 掃除道具入れの扉を開いた。

「もうだめだー! トイレに運べー!」

 おりんさんの大声が爆発し、総出で桃紙さんを担ぎ上げて音楽室から走り出た。この時間、特別棟に人影は見当たらない。無人の廊下を桃紙神輿が突っ走る。


「ふぎぃ、し、静かに運んでください! で、出ちゃいますって、お鈴さん!」

「今出したらぶっ殺す! トイレまで死ぬ気で我慢すんのよ!」

「ええー! ト、トイレって。僕どうしたらいいんですか!」

 もちろん今だって僕と桃紙さんは繋がれたままだ。桃紙さんを女子トイレに運ぶということは…………ヤバいヤバい! それはヤバいって!

「非常事態よ、これでも巻いてろ!」

 お鈴さんは桃紙さんを抱えながら器用にブレザーを脱ぐと、僕の頭に巻き付けてぐいぐいと袖を縛った。

「ふぶぶっ」

 途端に視界が暗闇に満たされて、同時に嗅覚も女の子特有の甘い匂いに満たされる。

ああ、女の子ってなんでこんなにいい匂いがするんだろう。これが噂のフェロモンってやつか…………いや、満たされてる場合か! 嘘だろ、このヴィジュアルで女子トイレに突っ込むの? 不審者感が倍増してないか、これ。


「一光、扉開けて! ちゃーと一緒にそのまま外で待機! 力づくで誰も入れるな!」

「おーう」「はいな!」

 バタンと木製の扉が開く音。悲鳴はない。よかった。中には誰もいないようだ。いや、落ち着け。全然よくはないぞ、この状況。

再び扉が閉まる音。カツカツとタイルを踏む感触が足裏を打つ。うひー、怖い! 目が見えない状態で走るだけでも相当怖いのに、未知の領域に踏み込むの超怖い!


「下ろすわよ!」

 ややあって聞こえるお鈴さんの切羽詰まった声と、どさりと人が下ろされる音。


そして―――ギィィー、バタン。


 先ほどとは少し違った扉の音が遅れて鼓膜を叩いた。

おお、神よ。ここってまさか………僕が今立っているこの場所ってまさか………。

男子の永遠のフロンティア、禁制中の禁制こと女子トイレの個室の………。

「さあ、今よ、ガミエ!」

 お鈴さんの甲高い声がくぐもって聞こえてきた。

「思いっ切りブチかませ!」


「絶対無理――――――――――――っっっ!」


 個室を吹き飛ばす程の大声が桃紙さんの喉から照射された。

「無理とかあるか! 我慢しても向こうから勝手に出てくるんだから覚悟を決めな!」

「でもでも、隣に瀬野君がいるのにー!」

「どうせなにも見えてないわよ。なんなら音も消してやるわ、ミシェル特技披露よ!」

「OK! あたしの特技は歌よ。サンデーゴリラの発声リーダーの美声に酔いなさい。美しさは~~罪~~~~♪」


 最悪のタイミングで特技披露きた―――――――――!


「微笑みさえ~~罪~~~~♪」

 しかも、無駄にうまい。無駄にいい声。ちくしょー、別の場所で聞きたかった。こんなところで音姫代わりに聞きたくなかったー!


「一年坊主も一緒歌うわよ。美しさは~~罪~~~~♪」

 なんかお鈴さんまで歌い出したし! 

「え―――――んえ――――――ん!」

 桃紙さんは泣き出したし! なんなんだよ、この状況は。 

「歌えっつってんだろ、一年坊主!」

 お鈴さんが扉を蹴飛ばしたのだろう。激しい衝撃に襲われて個室が揺れた。

「い、嫌ですよ! なんで、僕まで」

「うちの可愛い部員の膀胱のためよ! あんたにも責任あんだから元気に歌いなさい」

 僕になんの責任が!

「OK、もう一回最初から行くわよ、坊や。スリートゥーワン!」


「「「美しさは~~罪~~~~♪」」」


 ああ~~、歌ってしまった~~~。

 なんで……なんでこんなことしてるんだ、僕は………。

今日は将棋部に仮入部するはずだったのに。本当なら今頃は和服の似合う先輩棋士(めっちゃ美人)に手取り足取り穴熊の崩し方を教わるはずだったのに。


「「「微笑みさえ~~罪~~~~♪」」」


 なんで、女子トイレで号泣してるクラスメートと手錠で繋がれながらパタ●ロのエンディング歌ってんだよ! 何の神罰だ。僕が何をしたっていうんだよ、神様、おい! 

と、その時だった。


「鍵あったでー!」


 ……神の声が聞こえたのは。

 『鍵あったで』。


謎の合唱を破って響いたちゃーさんの関西弁は、音階もリズムも含んでいなかったけれど、僕の耳には暗雲を払い地上に救いの光をもたらす女神の旋律に聞こえた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る