第五章 魔王と魔王、そこらじゅうで派手にやってる 【第二節 それぞれの思惑】

 経済活動を何よりも優先してきたグリエバルト魔王国では、世界中の商人たちに対して平等に門を開き、彼らに特別の忠誠などは求めてこなかった。ただし、この国との取引を優先してくれる商人に対しては、こちらからもあれこれと便宜を図ってきた過去がある。特にデルビル商会は、先代の頃からじゃじゃさまの宮廷に出入りし、取引の額もいまやすべての商人たちの中で一、二を争うほどになっている。ほかの商人には回さないような特別な取引をしたことも一度や二度ではない。

 そのデルビル商会が、じゃじゃさまと真っ向から対立するザブーム軍とひそかに取引をしていたという事実は、決して看過できるものではなかった。

「……商人どもに忠誠を求めぬとはゆえ、矛を交えている両者と取引をするとゆうのはさすがに見すごせぬぞ」

「いえ、陛下……これはばばの私見ですが、おそらくデルビル商会は、我が国を見かぎってザブームについたものかと思われます」

「何じゃと?」

「実はここ最近、ザブーム軍によるものと思われる各商人の隊商への襲撃事件が急増しております。ですが、なぜかデルビル商会の被害は驚くほど少ないのです。これもまだ確証はございませんが、もしデルビルとザブームが通じておるとすれば――」

「……ならば得心が行くな」

「あの……陛下、まさかこの町が戦場になるなんてことは――?」

「安心するがよい。そのようなことにはならぬわ」

 チコラーニャをはじめとして、じゃじゃさまの宮廷ではたらく役人たちの大半は、このランマドーラに家族を住まわせている。彼らはみんな、この都こそがもっとも安全だと信じているのである。

「……陛下のお口からそれを聞いて安心しました。それじゃあっしは、そろそろ仕事に戻りますんで」

 チコラーニャはズボンの尻ポケットから帽子を引き抜いて目深にかぶった。こうしていると、確かにこの男には猥雑な町の場末の飲み屋がよく似合う、と思えてくる。市井の人々の中にまぎれ込まれたら、すぐに見つけ出すのは難しいだろう。これもまた一種の才能といえるのかもしれない。

「クロシュ」

「はい」

 じゃじゃさまが軽く手を振ると、クロシュばあさんがチコラーニャにふたつの袋を差し出した。

「――小さいほうはあんたの報酬、大きいほうは活動用の資金だよ」

「こりゃあどうも……」

「ブレルメ商会とはきょう中に話をつける。あしたまたわたしの執務室に来ておくれ」

「判りました」

 チコラーニャはじゃじゃさまとクロシュばあさんにていねいに頭を下げ、こそこそと軍議の間を出ていった。

 じゃじゃさまは天井近くまで舞い上がり、砂で描いた地図を見下ろした。

「当面、我が国の大きな障害になると思われる魔王はアインホルト、ルルカー、ザグレウスの三名じゃが……デニスカの報告が正しければ、三名とも今すぐこの国に攻めてこられる状況ではないようじゃな」

「ならば今のうちに、ザブームとの決着をつけねばなりますまい」

 ザブームはこれといった領土を持たない魔王である。国主である魔王たちと違い、そういう魔王は倒したからといって得るものはほとんどない。しいていうなら、相手が持つ“女神の宝珠”を打ち砕くことで解放される魔力――“魔王力”くらいなら手に入るが、国力や戦力の直接的な増強には結びつかない。

 といって、このままザブームを放置しておくわけにもいかなかった。ザブームの本拠地がグレンドルシャムのすぐ南方にあるというのであれば、これを放置しておくことは確実に南部の治安悪化を招く。何より、ほかの魔王国との戦いの最中に、先日のように国内で叛乱工作などされたら命取りにもなりかねない。

「勝ったところでわらわにろくなメリットもない戦いじゃが……我が勇者の名を天下に知らしめるにはよい機会じゃろう」

「では、陛下……?」

「五〇〇年もの猶予があったにもかかわらず、地道な地盤作りをおこたってきた横着者の出番などない。それをすぐにあのでくの坊に教えてくれるわ」

 にひっと微笑んだじゃじゃさまは、ドレスをひるがえして砂場に飛び降り、グレンドルシャムの南の森林地帯を素足で踏みつけた。


          ☆


 揺らめく蝋燭の明かりの下に一枚の絵を広げ、ドン・デルビルは周囲の男たちを見渡した。

「――近々、ジャマリエールは大規模な輸送部隊を南方に送り出すらしい。ウチをはじめとした城下の商人どもから、凝りもせずにまた武具やら薬やらを買い込んだからな」

「するってぇと、またあの巨人のダンナにご注進して……?」

「それも考えないではなかったが、今度はれっきとした軍の輸送部隊で、護衛の数もこれまでとは段違いだ。その上、例の小僧が同行するという噂でな」

「例の小僧? まさか……」

 前歯がまばらにしか生えていない用心棒の男が、口もとを押さえて絶句した。

「そのまさかだ。……一〇〇〇人以上の騎兵と噂の勇者が護衛に就いた輸送部隊は、さすがに得物としては大きすぎる。ザブームもそれなりの数でなければ襲撃はできんだろうし、そうなればジャマリエールに悟られかねん」

「それだと何かまずいんで……?」

「はっきりと聞いたわけではないが、私が思うに、ザブームは勇者の小僧をかなり警戒しておる。厳密にいえば、小僧とジャマリエールの両方を同時に相手取ることを嫌っておるらしい。あれでザブームはかなり用心深い男だからな」

 そうは思っても、デルビルはザブームを小心者だと笑うつもりはなかった。そのくらい用心深くなければ乱世で生き延びることはできまい。それに、もしデルビルがザブームの立場にあれば、やはり同じように慎重になっただろう。

「……小僧だけが都を離れておれば、ザブームも小僧を始末しやすかろう。だから小僧の動向に目を光らせておくのだ!」

「目を光らせておくだけでいいんで?」

「そ、そりゃあ暗殺できればそれが一番いいが……た、たぶん無理だろう」

「そうでやすよね……相手は何しろ救国の英雄、三〇〇〇人の傭兵をたったひとりで蹴散らした異世界の勇者だ……」

「てか、オレらこの前あっさりのされたしな、実際」

 げんなりした表情で用心棒たちが顔を見合わせる。弱気な用心棒たちの様子に、デルビルはなおさらに苛立った。

「何だ、おまえたち、いまさら何を怖気づいている!?」

「い、いえ、別にビビってるわけじゃ……ただ、今でもウチの社員の大半はこの国の出身ですし――」

「何だと? だから国は裏切れんとでもいうのか?」

「抵抗を感じる者も多いんじゃないかと……」

「そうです。本当にこの国を切って、ザブームと手を組むのが正解なのかって……」

「おまえたちまでオヤジと同じようなことをいうのか!?」

 デルビル商会は、一〇〇年ほど前このグリエバルト魔王国で産声をあげ、その発展とともに成長してきた。ドン・デルビルの父であり、デルビル商会の二代目でもある先代会長は、そのことを決して忘れることなく、ジャマリエール・グリエバルトとのつき合いを大事にしろと死ぬまでいい続けていた。

 が、ドン・デルビルはそんな父親が大嫌いだった。

「口を開けば私のことを勉強不足だだの自覚が足りないだのと、文句ばかりいいおって……あんなオヤジのいうことなど聞く必要はない! そもそも私はな、女どもが幅を利かせすぎておるこの国が嫌いなんじゃあ!」

「か、会長、どうかお静かに……」

 すでに買い物客相手の営業時間は終わっているとはいえ、デルビル商会ランマドーラ本店では、まだ多くの社員たちがさまざまな業務に就いている。もしこの密談を聞かれたりしたら、いろいろと面倒なことになるだろう。

「……とにかくだ」

 エキサイトしかけていた心を鎮め、デルビルはいった。

「ザブームは、グリエバルト魔王国を征服した暁には、ここでのすべての商取引を私に一任するといっておるんだ。こんなうまい話に乗らん商人がどこにいる!?」

「し、しかし会長、社員の多くにとっては祖国を裏切ることに……」

「国を裏切るといったって、実際には国のトップが変わるだけだ。あの生意気なジャマリエールに代わってザブームが支配者になるだけで、国民の生活がそう大きく変わるわけじゃない。むしろ私らがうまくやれば、この都を戦火にさらすことなく勝利できるんだぞ? 社員たちだって判ってくれる」

 デルビル商会をさらに発展させ、販路を大陸中に拡大することで、初代や二代目を超え、自分の有能さを証明することができる――それこそがドン・デルビルの望み、長年の野望だった。ジャマリエールを見切ってザブームにつこうと決意したのも、グリエバルト魔王国での商売が頭打ちになり、これ以上の業績アップが難しくなってきたからである。

「商人にはな、商機を逃さず大きな賭けに出ることも必要なんだ。いわばこれは、商人にとっての戦いなんだ!」

 自分にいい聞かせるかのように繰り返し、デルビルは男たちに命じた。

「――あの巨人は小僧の顔を知らん。おまえたちはこの似顔絵をザブームのところに持っていって、何かあれば連絡係を務めろ。いいな?」

「は、はい」

 折りたたんだ似顔絵を懐にしまい込み、用心棒たちはうなずいた。

「それでは会長もどうかお気をつけて」

「あの小娘との会食さえなければ、ワシもザブームのご機嫌を窺いにいくところだが、まあ仕方あるまい。……グレンドルシャムが落ちたと聞いた時、あの小娘がどんな顔をするのか今から楽しみだ」

                                ――つづく

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