第五章 魔王と魔王、そこらじゅうで派手にやってる 【第一節 混沌たる大陸】

 ランマドーラ城内、じゃじゃさまが執務室の隣の軍議の間には、巨大な砂場が用意されている。といっても、別にケチャあたりが無邪気に遊ぶためのものじゃない。

「あー……」

 くたびれたシャツの襟もとをゆるめ、チコラーニャは小さな帳面に記した情報を読み上げた。

「五日前、アインホルト魔王国に魔王ルルカーが軍を進めて国境沿いで衝突、丸一日やり合ったあと、ルルカーはいったん軍を退いたそうですが、増援が出てるのが確認できてますんで、ひょっとしたら今頃はまた激突しとるかもしれんです」

「ふむふむ」

 あぐらをかいた恰好で宙に浮かんでいたじゃじゃさまは、砂場の上で両手を広げ、虚空を撫でるように交差させた。そのふんわりした動きに呼応して、さらさらと砂が勝手に動き出し、あるところでは陥没し、またあるところでは隆起していく。

「乱世の始まりを待ちきれない欲しがりばかりじゃな、まったく」

 じゃじゃさまの魔法によって、ほんの数十秒の間に、グリエバルト魔王国とその周辺の立体的な地形図が完成した。

「クロシュ、旗を」

「こちらでよろしいですかな?」

「うむ」

 じゃじゃさまはクロシュばあさんから受け取った旗を、アインホルト魔王国とルルカー魔王国の中間に突き立てた。

「――いずれにせよ、アインホルトは当分こちらに手は出せぬじゃろうな。ルルカーは戦うことしか考えない戦闘バカゆえ、ここで防ぎ止めぬとあっという間に国を食い荒らされてしまうじゃろうし」

「それと、ザグレウスが魔王不在のまま自治を続けていた周辺の小国を一気に併呑、軍備を増強しとるようです。それに対し、ベルリンクとブラッサールは足並みを揃えて対抗していくようですが、果たしてどれだけもつか……」

 じゃじゃさまの下で多くの諜報官――要するにスパイたちを取りまとめているのは、ノームの中年男、デニスカ・チコラーニャである。そのへんの安い酒場にかならずひとりかふたりはいそうな、これといって特徴のない平々凡々とした男だが、印象に残りにくい風貌と目利きを買われて、じゃじゃさま直属の諜報室長という仰々しいポストに就いている。

 ぽりぽりと鼻の頭をかき、チコラーニャは溜息をついた。

「あのあたりには、陛下のおっしゃる二流三流の魔王がベルリンクたちのほかにも何人かいますが、そいつらが束になってかかったところで、ザグレウスは止められんでしょう。といって、その泡沫魔王どもの領地に手を出すには、ウチはまだ遠すぎますんで、漁夫の利を得るというわけにもいかんですし」

「結局はザグレウスの総取りになるか……ならば、ベルリンクたちが一日でも長く持ちこたえてくれるよう祈るしかないな」

「であれば陛下、御用商人のブレルメを通じて、ブラッサール魔王国にひそかに援助するのはいかがでしょう?」

「できるのか、クロシュ?」

「ブレルメ商会は、もともとかの国で店を興したと聞いております。商売の規模を大きくするために我が国に進出してきましたが、依然ブラッサールとのパイプはあるはず。……室長、今のブラッサールにもっとも足りぬものは何じゃ?」

「そりゃまあ……戦のことを考えれば兵糧じゃねえでしょうか?」

 チコラーニャが緊張気味に答える。王宮の最長老であるクロシュばあさんに対して物怖じせずに発言できるのは、じゃじゃさまを除けばユリエンネ卿くらいのものだろう。

「ブラッサールは、一昨年、昨年と立て続けに凶作に見舞われとります。そのまんまで乱世になっちまいやしたんで、兵糧に困ってるじゃねぇですかね?」

「ほっほっほっ……それは都合がよい」

 いまだに入れ歯いらずの老婆は、真っ白な自前の歯を輝かせて笑った。

「――我が国では備蓄食糧を三年ごとに入れ替えることになっております。通例では、古い食糧は商人たちを介して格安で販売し、代わりにあらたな食糧で倉庫を満たすことになっておるのですが、幸か不幸か、我が国はここ何年も不作知らず。……国内では、おそらくよほどの安値でなければ古い麦などさばききれますまい」

「なるほど……その古い麦をブラッサールにくれてやろうとゆうのじゃな?」

「ご明察の通り、ブレルメ商会を代理人として、すべての麦をブラッサールに安く売ってやるのです。ブレルメには手数料としてその売上のすべてをあたえる代わりに、あちらとの仲介と麦の輸送のすべてを任せればよろしい。ただ同然の古い麦でブラッサールに恩を売れるのです。やってみる価値はあるのではないかと」

「でしたら」

 チコラーニャが思案顔でいった。

「――その際、諜報官を何人か隊商にまぎれ込ませられんでしょうか? うまくいけばブラッサールの王宮に潜入できるかもしれませんし」

「おぬしも抜け目がないのう、室長」

「いや、閣下ほどでは……」

「ばばあとおっさんが褒め合うな。気持ち悪い」

 そう毒づきながらも、じゃじゃさまはにやにやと笑っている。自分が抜擢した人材が自分のためにあれこれ献策してくれるのが嬉しいのである。

 その後もじゃじゃさまは、チコラーニャの報告を受けて地形図の各所にさまざまな小旗を立てていった。剣が描かれた旗は現在進行形で戦いがおこなわれている場所、馬が描かれた旗は進軍中の大規模な軍を表している。そして髑髏の旗は、これまでに倒された魔王の数をしめしていた。

「一〇、一一、一二、一三……開戦のラッパが吹かれてわずか一週間で一三人か」

「陛下、これはペースとしては早いほうなので?」

「まったく判らん」

 地形図をさまざまな角度から眺め、じゃじゃさまはかぶりを振った。

「前の乱世では、おぬしらのような諜報官を使って情報を集めることができなんだからのう。……そもそも、今回の乱世で“女神の宝珠”を授かった魔王がどれだけいるのか、その正確な数を知っておるのは“戦管”の神使だけじゃろう」

「左様ですか」

「どこでどんな魔王が勢力を伸ばしておるか、わらわが把握しておるのは世界のごく一部にすぎぬ。じゃからおぬしらを使って、絶えず最新の情報を手に入れておるのじゃ」

「責任重大ですな……」

 チコラーニャは首をすくめ、禿げ上がった頭の汗をぬぐった。

「――差し当たって陛下からお尋ねのあった、例の盗っ人魔王のアジトですが」

「ほう? もう何か判ったかのか?」

「正確な場所まではまだですが――グレンドルシャムはご存じで?」

「当たり前じゃ。あの町はわらわがわざわざ設置させた防衛拠点じゃからな」

 グレンドルシャムは、グリエバルト魔王国の最南端に位置する小さな町である。すぐそばまで森林地帯が迫っているため、大規模農業に向かず、これといった資源も発見されていないため、周辺の開発はほとんど進んでいない。あえてそんな土地にグレンドルシャムが置かれたのは、国の南方の守りの要とするためだった。

「――あの森林地帯の向こうにはボーゼアンの魔王国があるからのう。うっかり深入りして、あやつの目がこちらに向いても面倒じゃし、そもそもあの森林地帯を開墾するには時間がかかりすぎる」

「ところがその森林地帯に出入りしている連中がいるってえ話で……それで人数を割いて重点的に調べさせたんですが」

「何? まさかあんなところに?」

「あの緑の地獄みてえな森の奥に古い遺跡があるんですが……どうやら、そこに出入りしている連中がいるらしいって、グレンドルシャムでも噂になっとるんです」

「確かにそうじゃな……手下どもならともかく、ザブームの図体では、どこの町にいようとすぐにそれとバレるからのう。それにしても、遺跡をアジトにしておったか」

「それともうひとつ」

「何じゃ?」

「戦争解禁の少し前あたりから、定期的に森の奥へあれこれと物資を運ぶ一団が目撃されとるんです」

「ザブームの配下が戦争に備えて軍需品をかき集めておるとゆうことか?」

「それがどうも、物資を運んどるのは盗っ人どもでなく、どうやらデルビル商会のようでして……これもあくまで噂止まりなんですが」

「デルビル商会じゃと?」

 宙に浮かんで頬杖をついていたじゃじゃさまは、チコラーニャの言葉に思わず身を起こした。

「最初は森林地帯を越えて、その先のボーゼアン魔王国まで荷を運んどるんじゃないかとも思ったんですが、それにしては行って帰ってくるまでがやたら早いんですわ。それで、あっしの仲間が実際に荷を運んだという男を見つけ出して、酒場で一杯おごってうまく聞き出したところによると、やはり荷の届け先は森の中の遺跡だそうで……」

「本当にデルビル商会の隊商なのか、室長?」

「確たる証拠はまだなんですが、何でも、いつも一行を率いているのは鼻の下にチョビヒゲを生やした小男で、遺跡で荷を受け取るほうは逆に雲を突くようなジャイアントだと。……でまあ、その風体から、デルビル商会の三代目と盗っ人魔王なんじゃないかと考えた次第でして」

「……かぎりなく黒に近いようですな、陛下」

 杖でコツコツ床を叩き、クロシュばあさんが渋い顔で呟く。ああして杖でコツコツやるのはこの老婆が苛立っている証拠だった。

                                ――つづく

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