第四章 酒と女、支払わざる者食うべからず 【第七節 彼女たちのご主人さま】

「――おい、クロぼん!」

「ひぇわ!?」

 今にも破裂しそうな両者の緊迫感を一瞬で霧散させたのは、それまでクロの肩で寝ていたケチャだった。

「こうしてみるとますますでけえ! ケチャにもわけろ、これ!」

 そういいながら、ケチャはクロのバストをばしばしひっぱたいた。

「こっ……お、この――」

 いきなりデリケートゾーンに一撃を受け、「ひぇわ!?」なんてあられもない悲鳴をあげてしまったのが恥ずかしかったのか、クロはケチャを掴み上げただけで何もいえず、かすかに頬を赤らめ口をぱくぱくさせていた。

「ふぅむ」

 こういう時、さらにからかって追撃するべきか、それともあえて彼女を辱めずに流してやるべきか――なんてことを考えていると、がしゃがしゃとやかましい鎧の音を引きずって、ガラバーニュ卿と数人の兵士たちがやってきた。

「ああっ……や、やはりあなたがたでしたか――」

「おや、団長さん、市中見回りかな?」

 掴んでいたクロの手を離し、ハルはガラバーニュ卿に向き直った。すでにその頃にはクロの殺気も消え去り、周囲の人々の動揺も子供の泣き声もあらかた収まっていた。

「見回りかな? ではありませんぞ、まったく……」

 兜を脱いで汗を拭き拭き、ガラバーニュ卿はハルドールにささやきかけた。

「……妙な三人連れが市場のド真ん中で睨み合っている、よく判らないが今にも何か大変なことが起こりそうだと、複数の市民からの通報があったのです」

「もしかして俺たちのこと?」

「三人組の風体を聞いた瞬間、そうではないかと思って慌てて駆けつけてまいったのです。……もちろん勇者どのはそのようなことをなさるまいと信じておりますが、その、まあ、お連れのかたがたは――」

 ハルドール越しにちらちらとクロを見やり、ガラバーニュ卿は言葉を濁している。ポンガ某と並んで彼ら神殿騎士団の自信を木っ端微塵に打ち砕いたのがクロなのだから、ガラバーニュ卿が彼女を苦手に思うのも当然だろう。

「大丈夫、何でもないよ。というか、むしろここの市民の防犯意識、危機管理能力の高さに拍手を送るべきだ」

 ハルドールは明るく笑ってガラバーニュ卿の肩を叩くと、こっちも声のボリュームを落としてそっとささやいた。

「……それはそれとして、この町には不穏な輩が少なからず入り込んでるね?」

「は!? と、おっしゃいますと?」

「このへんをみんなで歩いていて、何となく感じたんだよ。まあ、彼女たちはあの通りの美女だから、男女問わずに注目を浴びるのは当たり前だよね。けど、俺たちのあとをつけてじっと観察してる連中が何人かいた。美女ふたりの熱狂的なファンという可能性もなくはないが、それでも一時間以上も距離を置いてつけ回すっていうのはね」

 ハルドールとクロとシロ、この三人を下心抜きにつけ回す者がいるとすれば、その目的はおのずと絞られる。

「お三方の正体を知った上で、暗殺の機会を窺っていた――とか?」

「可能性はなくはないよね。何しろこの前の戦いに勝ったとはいえ、敵を追い払うのがおもな目的だったからさ。あの時の傭兵たちの生き残りが、商人に化けてまぎれ込んでいても不思議じゃない。例の巨人が絡んでるかもしれないんだろ?」

「は、はあ……」

「おい、あんたら」

 男ふたりのナイショ話に、不機嫌そうなクロの声が割り込んできた。

「はっ、はいっ!? な、何でしょうか、グローシェンカどの!?」

「どうでもいいから、ここの支払い」

「は……?」

 見ればケチャがすごいいきおいで串焼きをぱくついている。

「ケチャにないしょでズルいな、おまえら! こんなうまいもんくって!」

「じゃじゃさまがケチャを城勤めにしておく理由がよく判ったよ」

 こんな少女を城の外におつかいに出したら、あちこち寄り道してばかりで戻ってこないに違いない。ハルドールは手持ちの金でケチャの暴食の代価を支払うと、ガラバーニュ卿の肩を叩いた。

「そういうことだから、見回りよろしく」

「はっ! 勇者どのも、なるべくなら、その――」

「判ってるさ、トラブルは起こさないよ。……さあ、行くよ、ケチャ」

「もうすこし……あと一〇ぽん!」

「そんなに食べたら夕食が入らなくなるぞ」

 口いっぱいにヒツジ肉を頬張る少女をかつぎ上げ、ハルドールは歩き出した。

「――おい」

 すかさずハルドールの横についたクロが、真正面を見据えたまま低い声でいった。

「さらっと何もなかったことにするんじゃないよ。場所を変えたいならあんたが好きなところを選びな」

「あれ? まだ怒ってる?」

「おこるな、クロぼん。ケチャのかおにめんじてゆるせ」

 事情も判っていないくせに首を突っ込んでくるケチャを黙殺し、クロはいった。

「当たり前だよ。……ダンナがわたしたちを見捨てるわけがないだろ?」

「じゃあいいじゃないか。俺が提案したように、この乱世で名前を売って、ご主人に見つけてもらえば手っ取り早い」

「それまであんたたちに利用されろって?」

「そこはおたがいさまって考えようよ。――この一年、俺に協力していっしょに戦ってくれたら、乱世が終わった時にきみたちのご主人捜しに手を貸すよ。その頃にはじゃじゃさまが世界の支配者になってるはずだから、人捜しも楽なもんさ」

「そうはいうけど……ハルくん、もしその前にご主人の居場所が判ったら? もしこの国と敵対する魔王として現れたらどうするの?」

「そこはまあ……これはじゃじゃさまには秘密にしてね?」

 ハルドールは唇の前に指を一本立て、美女たちにウインクした。

「――もし乱世が終わる前にご主人の居場所が判ったら、俺はいさぎよくきみたちを解放するよ」

「は? あんた本気でいってる、それ?」

「もちろん。だからじゃじゃさまには秘密っていったんだよ」

 いかにクロとシロの所有権がハルドールにあるとはいえ、今の話をじゃじゃさまが聞けば猛反対するに決まっている。それはいってみれば、敵対する魔王に強力な武具をタダでくれてやるようなものだからである。

 シロは目を丸くし、

「……ハルくんはそれでいいの?」

「いいよ。何でそんなこと聞くの? それがきみたちの望みなんだよね? 現にこの前は、ミス・グローシェンカにすんなり右手のパーツを渡したよね?」

「それはそうだけど……もしそうなったら、この国は負けるのよ?」

「どうして? 負けないだろ?」

 ハルドールは大袈裟に肩をすくめて笑った。

「――結局、最後に勝つのは俺だからさ。きみたちと戦うのは胸が痛むけど、そこは俺もプロの勇者だからね」

「あんた……それは要するに、ダンナとわたしたちがいっしょになっても、それでもあんたのほうが強いっていう意味かい?」

「それ以外の解釈があるかな?」

「…………」

 クロは何もいわなかった。だが、怒りに言葉を失っているというより、そもそもハルドールの提案に心が揺れているのだろう。表情を見れば何となく判る。

 その時、周囲の雑踏から驚きの声があがった。

「みろ、ゆうしゃ!」

 ケチャが容赦なくハルドールの二の腕を叩いた。

 ケチャや周りの人々が見上げている空に、白い光の線が走っている。先日の夜、城へ戻る時に目にしたあの光だった。

「あれが“神使”ってヤツかい?」

 クロが冷ややかに呟く。ハルドールは小さくうなずき、じゃじゃさまから聞いたセリフを反芻した。

「女神の耳目となって世界中を飛び回る“戦争管理委員会”の神使たち――たぶんあの光が飛んでいく先では、大きな戦がおこなわれてるんだろうさ」

「要するに、そいつらがこの町に舞い降りてきたら、ここが戦場になるってことか」

「俺もじゃじゃさまも、それだけは避けたいと思ってるけどね」

                                ――つづく

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