第5話 祈願

 福島が不浄の地だなんてトンデモない。

 あそこの空気を気持ちよく呼吸し、美味な海の幸山の幸を食い漁ってる俺が言うんだから間違いない。

 日本のマスコミは自分がデマを流してるのを疑い、デマと戦うべきだった。東北大震災の時から何も学んでなかったマスコミはSARS-2パンデミックの時にも同じ、正確さよりも視聴率を選び、つぎはぎだらけの誤情報をばらまき、ついには信用性を失い、自滅した。

 東北大震災に福島第一原発事故から××年。。

 福島の放射能を県外から心配してる奴は、福島の現状より、自分の身に降り注ぐ宇宙線と冷戦時の核実験によっていまだ大気中を漂っている放射性物質、地中から普通に湧いてくる放射線を警戒すべきなのだ。

 地球に住んでる人類は原発などなくても放射線ゼロの自然環境はない事を学ぶべきだ。

 福島は、県外へ出荷した食物はサンプル検査より厳しい全頭検査を受けてなお、危険量の放射能など検出されなかった絶好の安全地帯だ。

 まあ、不浄の地だと信じてる〈ガイア教〉の奴らはここに踏み入って来ないだろう。福島第一原発の〈処理水〉を汚染処理水などという非科学的な用語で呼んで、清らかな福島を勝手に忌み嫌ってる奴らだ。忌み嫌ってるだけならいい。問題は根拠なき風評被害を世界中にばらまいている事だ。これは許しがたい。

 放射性物質を含んだ〈汚染水〉を出来うる限り処理して安全な〈処理水〉にして海に放出したのを「〈汚染水〉を海に放出した」などとわざと間違った用語で非難して世間に喧伝する、科学的にトンデモな奴らだ。剥き出しの〈線量計〉を地面に直置きした間違った放射線計測の動画を堂堂と宣材に使ってるし。

 そもそも〈汚染水〉の海への放出など各国の原発が日常的にやってる行為だ。

 〈処理水〉にして放出する分、福島は外国の原発よりよっぽどクリーンだ。東京ドーム一杯分の水にソースを数滴じょぼりと垂らしてかき混ぜて、それが「汚い」というホメオパシ-信者なら福島よりも地球から逃げ去った方がそいつらの精神的健康にはいいだろう。あ、宇宙は地球上より危険な宇宙線で一杯か。ブヒ。

 ともかく俺達の武装救急車は無事に〈ガイア教徒〉を撒いて、福島へ着いた。

 福島に着くまでに、キバに「手塚治虫が描いた『ブラックジャックによろしく』のキャラ達による治療シーンを一ページ」をキバに描いてもらい、それを〈治療の護符〉として俺の折れた右手の指を治してもらったりもした。この〈護符〉はよく効くぜ。死した漫画家も自分の画力が魔法となる凄さに満足出来るんじゃねえだろうか。

 途中、道路際にあった閉鎖中のラブホテルに無断侵入して、そこで桃色の一夜をるふとすごしたりもした。

「あー! セックスするなら言ってくれりゃよかったのに!」

 桃色の徹夜の後、俺に睡眠薬を盛られて一晩グッスリ寝ていたリンは、朝に眼醒め一番恨めしそうに言った。

 そんな風にスキモノを混ぜては折角の処女を頂く儀式の邪魔になるじゃないか。だから強制的に睡眠させてやったのだ。

 うん。るふの処女は無事に頂いた。ブヒ。

 健全な物語だとここで俺は処女を奪ったりせずに、粋な気遣いで姫を無傷のままで報酬を別の方法で払わせたり、とにかく傷物にしたりしない様な展開になるんだろうが、俺は一度した約束を反故にしたりしない。

 〈運び屋オーク〉に身体で支払うと言ったのだから、ちゃんと支払いはしてもらう。

「処女を失った夜に朝まで何回も何回もイカされまくりゃあ、そりゃ腰も抜けて眼も醒ませないでグッスリさ」

「あたしも混ぜてくれりゃよかったのに」

 まあ、俺のテクの限りを尽くして、処女喪失したばかりの尼僧を一晩中、朝までイキまくりの刑にあわせてやったのだから、セックスへの嫌悪感よりも病みつきになる可能性の方が大きいだろうな。ブヒ。実際なったし。

 封印都市・福島に着いて二日をゆっくり休んで疲れをとるのに専念した俺達は、今日のこの午後、福島の海岸にいた。

 寄せては返す、白波を抱いた青い海水のうねり。

 自衛隊がいまだに来ないところを見ると、俺達はあの脱出騒動の時に死んだと思われているのかもしれない。何せ、砲撃されたトラックの惨状はひどかったものな。キバも跡形もなく破壊されたという判断をされたのかも。るふのスマホも勿論、途中で破棄済みだ。

 とにかく俺達はここ福島でやる事があった。

 るふの母はこの福島の海で娘にぜひやってもらいたい事があると、彼女を逃したのだ。

「〈イン・キバ〉」るふは〈イタコのラブドール〉の名を堂堂と呼ぶ。そのかいなに抱いたA3の画用紙の厚い束を彼に手渡して「〈アマビエ〉を描きなさい今までに死んでいった有名無名、この世界にかつて存在した、全ての漫画家、イラストレーターの〈重次元シュレディンガー体〉をその身に宿して」

 〈アマビエ〉。

 江戸時代後期の肥後国に現れ、その話は挿図付きで瓦版に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられたという謎の存在。毎夜、海中に光る物体が出没していた為に赴いた役人の前に姿を現したそいつは、役人に対して「私は海中に住む〈アマビエ〉と申す者なり」と名乗り「当年より六ヶ年の間]は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を描き写した絵を人人に早早に見せよ」と予言めいた事を告げ、海の中へと帰っていったという。

 一説ではアマビコという似た存在が誤って伝えられたというそれは、頭にはからいきなり三本の足が生えた(胴体のない)形状で、人間の様な耳をし、眼は丸く、口が突出している。その年中に日本人口の七割の死滅を予言し、その像の絵札による救済を忠告してたとされている。

 挿絵の〈アマビエ〉は女性の様な長い髪をした鱗姿の独特な星型形を持つ眼の存在として描かれているが、〈SARS2〉によるパンデミック初期にはその〈アマビエ〉の予言による救済の力にすがろうと多くのイラストが描かれ、ネットに上げられた。

 〈アマビエ〉祈願。

 結果としてそれは残念な結果になった。

 SARS2のパンデミックはぎくしゃくに拡大しながらも、今の世界の様な有様になったのだから。

 人類は自滅の道を歩いてる。

 しかし、るふの死んだ母親はそれに再び挑戦しようとしてるのだ。

 画力が説得力となる、

 漫画は最も複雑な〈漢字〉であり、

 〈漢字〉は最も簡単な漫画である。

 〈イン・キバ〉が集合無意識の中にアクセスし、今までに死んだ数多くの実力ある漫画家の霊を次次にその身に宿す事で原稿にその画力を召喚し、魔法の如き素晴らしき力を発揮出来るなら、それによって描かれた〈アマビエ〉はすさまじいまでの予言の成就、世界を癒すパワーを発揮出来るのではないか。

 キバの手指はすさまじい速さで滑らかに画用紙上を踊った。

 まるで激しいオーケストラを制する指揮者の様にその身が躍動する。

 舞い上がる紙上に様様な〈アマビエ〉の姿が最高のデッサンで精緻に豪快に仕上がっていく。

 手塚治虫の、

 石ノ森章太郎の、

 ちばあきおの、

 あすなひろしの、

 水玉雪之丞の、

 和田慎二の、

 赤塚不二夫の、

 横山光輝の、

 やなせたかしの、

 モンキーパンチの、

 藤子・F・不二雄の、

 中野豪の、

 生頼範義の、

 韮沢靖の、

 水木しげるの、

 小山田いくの、

 かがみあきらの、

 緋本こりんの、

 塩山紀生の、

 芦田豊雄の、

 出崎統の、

 望月三起也の、

 古賀新一の、

 石川賢の、

 しんがぎんの、

 谷岡ヤスジの、

 園山俊二の、

 小島功の、

 はらたいらの、

 長谷川町子の、

 金田伊功の、

 坂口尚の、

 杉浦茂の、

 田川水泡の、

 石原豪人の、

 その他、今までにこの世で亡くなった数多の漫画家、イラストレーターの、美麗な、シャープな、可愛らしい、かっこいい、簡潔な、写実的な、躍動的な、誌的な、メカニカルな、コケティッシュな、畏怖的な、妖艶な、奇矯な、その作者のそれらしい〈アマビエ〉の群が魔術的な存在感を持って次次と完成する。

 描き上がった画稿は福島の空に風に乗って螺旋に上昇した。

 絵の〈アマビエ〉は紙を離れ、実線の〈本物〉となって宙に輝き、空気に溶けた。

 死した者の画力は一人も無駄にならなかった。

 俺は実感した。眼に見えないのに実感した。

 この福島からウイルス、SARS2が消えていく。

 水面がうねり、風の輪が広がる様に清浄の波紋がこの福島から日本全域へ、そして世界を、地球を包んでいく。その速度は速やかなものだ。漫画は地球を動かす力を持っているのだ。

 この漫画家、イラストレーター、絵描き達の真の素晴らしさを実感出来るという事は〈オタク〉冥利に尽きるというものだ。

 〈オタク〉でよかった。

 突き抜けた青空の下、次次と生産されていく魔法の〈治癒の呪符〉の中で、いい大人であるはずの俺は、るふは、リンは泣いていた。泣きながら剥き出しになった自分自身の稚気に心打たれていた。

「俺達は今」リンとるふに訊いた。「感動しているんだな」

「うん」

「ええ」

 ネガティブ。

 キバは黙黙と千変万化な〈アマビエ〉を描き続けている。そのペンである指が止まる事はない。

 世界がまた変わる。

 俺達はマスクを外した。

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運び屋オークのパンデミック後のオタク生活 田中ざくれろ @devodevo

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