Line 24 暴走する転変者

音楽室を後にした僕とテイマーは、生徒達が走ってきている方角へと足を進める。

 馬の蹄の音…近づいている…か!?

僕は、テイマーの背中を追いながら、今何が起きているのかが気になって仕方ない状態であった。


「こいつは、少しヤバいかんじかもな…」

「ミシェルさん…!?」

僕達2人がたどり着いたのは、教室棟内にある階段の踊り場だった。

そこには、蹄を強く鳴らす馬の脚を持つ転変者ムリアンであり、魔術師学校ここの救護室を担当する職員・ミシェルだ。彼女の持つ碧眼には淡い黄色の光を纏い、その表情はとても正気には見えない。

「テイマー…彼女の…!」

「あぁ。何者かに操られているだろうな。ただ、講師ではないとはいえ…」

僕の台詞ことばに対し、テイマーは補足するように次の言葉を紡ごうとした。

しかし、同時にミシェルの視線が僕達の方へ向く。

「うわっ!!」

ミシェルがこちらに向かって来たと視認したのとほぼ同時に、テイマーが俺を覆うように地面へ転がり込む。

「痛てて…」

地面にしりもちをついた僕は、自分の尻が地面とこすれた事による鈍い痛みを感じていた。

「突然、何するんだ!?」とテイマーに声を張り上げようとしたが、その場の光景を目の当たりにした事で、その台詞ことばを口にする事はなかったのである。

気が付くと、僕達が歩いて来ていた音楽室へ向かう廊下側にミシェルが立っていた。また、現在彼女が立っている場所がちょうど、僕らが立ち止まっていた位置にほど近いといえる。

「朝夫。お前、実戦経験は皆無のようだが、避けるのはなかなかだな!」

「何だか、あまり嬉しくない誉め言葉だな…」

先に立ちあがっていたテイマーは、いつもの口調で話しながら地面に座り込む僕に手を差し伸べる。

その台詞ことばを聞いた僕は、ため息交じりで話ながらその手を取った。要は、テイマーが俺もろとも地面に転げ落ちなかったら、ミシェルの蹄に踏まれていたかもしくは、体当たりをされて壁まで吹っ飛んでいたかもしれない。ある意味、命拾いしたようなものだ。

「彼女を正気に戻すにしても…廊下ここじゃあ、分が悪いなぁ…」

「しかも今日、バラノ学長は留守っすよね…」

僕達が違う方向にいる事に気が付いたミシェルは、ゆっくりと四本の足を動かしながら方向転換をし始める。

普通の人間であれば後ろに振り返って反対へ進む事は造作もない事だが、馬の下半身を持つミシェルは、本物の馬同様に180度方向転換をする事は容易ではないのだ。その後、向き直したミシェルは、再び僕とテイマーに視線を移す。

「走れ!!」

すると、テイマーがその場で叫ぶ。

彼の声と同時に、僕らは走り出す。先程と同様で、テイマーが先頭を走り、僕がその後に続く。走り出す瞬間を目の当たりにしたミシェルは、僕らを追いかけるように走り出す。

リーブロン魔術師学校の教室棟にある廊下は、人が行き来するにはそれなりの幅はあるが、高速で走ってくる者が自由に行き来できる程広くはない。そのため、周りを気にせずに走ってくるミシェルは、所々で壁や教室のドアに接触をしていた。本来ならその痛みで顔を歪めたりするだろうが、正気でない彼女は痛みを感じていないような表情かおをうかべているのである。

「どこまで…走るんだ!!?」

走っている途中、息があがってきた僕は息切れをしながらテイマーに尋ねる。

「この学校で割と広さがあって、障害物の少ない場所は1か所だけだ!なので、そこへ向かう!!」

「エントランス…!」

テイマーの返答を聞いた僕は、彼がどこへ向かって走っているかを唐突に理解した。

一方で、元々体を鍛えているのもあってか、同じように走るテイマーは息切れがほとんどないようだ。

 それにしても、僕らにだけ襲い掛かってきたという事は、僕かテイマーのどちらかが標的って事だよな…。だとすると、一体誰が何のために彼女を操っているんだ…?

僕は、テイマーの背中を追いかけながら、何故このような事態になったのかを少し考えていたのである。


教室棟の廊下を駆け抜けた僕達は、3か所に入口や魔術師学校ここの受付がある場所に到達する。そこには、装飾オブジェか本物かは定かではないが、天井近くまで伸びる木くらいしか存在しない場所だ。そのため、僕らはミシェルと向き合うためにこの場所へ彼女を誘導したのであった。

「さて…と」

テイマーと僕は、“入口”へ続く分かれ道の前で立ち止まって後ろへ振り返る。

こうする事で、相手の退路を断ったのだ。そして、今の操られた状態であるミシェルがいずれかの“入口”を通って地上に出てしまえば、大惨事になる。それは当然、防がねばならない。

「彼女の相手は、俺がする。…柱の後ろにでも隠れていろ」

テイマーは横目で僕を一瞥しながら、低い声で述べる。

近くにいては足手まといになると解っていた僕は、黙ったまま首を縦に頷いた後に、壁際にある柱の方へ下がった。

自分から離れたのを悟ったテイマーは、一歩前へと足を踏み出す。

「俺の場合、耐打撃魔術は使えるが…あんたの蹄は強力だからな。踏まれるのはヤバいんで、少し痛い思いをしてもらうぞ…!」

テイマーは一言口にした後、その場から走り出す。

 速い…!!

その瞬間を目の当たりにした僕は、驚いていた。

脚が地面に離れたのを視認した直後、彼の身体は相手の懐に飛び込んでいたのだ。おそらくは、自己加速術式を使用しているのだろう。しかし、一方のミシェルもそのまま前進する事でテイマーの攻撃を防いでいた。

「…っ…!!」

“実戦”を初めて目の当たりにした僕は、その光景に対して自身の声が出なかった。

『彼、右手から変わった魔力を纏っていたわ。おそらく、“それ”を当てて、彼女を眠らせようとしたのかも』

「ライブリー…!」

すると、今まで黙っていたライブリーの声が僕のMウォッチから響く。

彼女の台詞ことばによって、テイマーがやろうとしていた事が解った。しかし、ここで一つの疑問が生じる。

「そんな面倒な事をしなくても、テイマーなら普通に眠りを誘う術辺りで眠らせられそうだけど…」

僕は、不意にその場で呟く。

最も、近くでドンパチやっている彼らには、僕の声などほぼ聞こえていないだろう。

『そういった魔術が使えないか…あるいは、あの転変者ムリアンにその術自体が効かないのかもしれないな…』

「イーズ…」

すると、今度は僕のスマートフォンに宿るイーズの声が響いてくる。

 ひとまず、今の僕にできる事は…!!

二人の声で我に返ったという事もあり、僕は自分が今すべき事をしようと行動に移す。

テイマーは外部での依頼も数多くこなす、魔術師学校でも屈指の実力を持つ魔術師だ。しかし、相手は操られているとはいえ、この学校の職員でもある。故に、実力はあっても最大限に発揮できない現状が長引けば、テイマーに不利だ。おそらく、操られているミシェルの方は、こちらに対して手かげんなしでぶつかってきているだろうから、もたもたしたら僕も殺されてしまうだろう。恐怖で足が震えながらも、僕はスマートフォンを片手に操作を始める。

 相手の目的は、僕かテイマーのいずれかだ。なので、今僕がこの場から移動するのは得策ではない…だとすると…!!

僕は、祈るような想いでスマートフォンを操作するのであった。



ミシェルとテイマーが対峙してから数十分後―――――――――――――学内から応援が来る事で、事態は何とか収拾する事ができた。地面に倒れ伏しているミシェルの両手と4本の脚は、それぞれ魔力で構成された枷がはめられている。

「…お疲れ様」

下松しもまつさん…」

柱に寄りかかって座る僕の元へ、技術員の下松しもまつ 光三郎みつさぶろうが現れる。

テイマーが立ちまわっている間、僕は全職員が登録しているメーリングリストのアドレスで何者かに操られているミシェルの事と、テイマーが学校のエントランスで対応しているため応援をお願いしますという旨の文を送っていた。

それに応えたのは、光三郎を含む技術員といった講師以外の者達だった。

「よりによって、教職員が少ない日にこんな事態が起きるとはな…」

すると、僕のすぐ近くにある柱に寄りかかって座っていたテイマーが不意に呟く。

彼が述べたように、今日この時間帯はバラノ学長を含め、外部の依頼で学外に出向いていたり、有給休暇を取得している等の関係で元々教職員が少ない時間帯だったのだ。

 まさか、人手が少ない現在いまを狙ってか…?

僕は、腕を組みながらその場で考え込む。


「それにしても、解呪ディスペルの魔術を朝夫が使えるとはな…驚いたよ」

他の職員からもらったペットボトルの水を飲んだテイマーは、一息ついた後に話しかけてくる。

「それは…ライブラリーやイーズがいたから、できただけの事だよ」

テイマーが褒めるような口調で言うものだから、僕は少し照れながら言葉を述べる。

そんな僕が持っている自身のスマートフォンには、魔法陣のような絵が描かれていた。

「例の絵しりとりアプリが、思わぬところで役に立つとはな…」

僕は、スマートフォンの液晶画面を見つめながら述べる。

ミシェルを正気に戻すために僕が行ったのが、イーズが描いた魔法陣に魔力を注ぎ、魔法陣の効果を実際に魔術として行使する事だった。音楽室で見ていた絵しりとりアプリのユーザー登録方法が手書きによる名前入力だった事から、その画面を利用してイーズにあらゆる魔術を解除して対象を元に戻す解呪ディスペルの術式効果が出る魔法陣を描いてもらった。その後、ライブリーによる助言をもらいながら魔法陣の効果を現実世界に具現化する事で、ミシェルは正気に戻り、今は意識を失っているという状態だ。


『朝夫』

ミシェルが担架に乗せて運ばれる事になった頃、頭の中にテイマーの声が響いてくる。

「どうし…」

僕は思わず声を出しそうになったが、彼の動きを見てすぐに口を閉じた。

テイマーの声が響いてきた理由はもちろん、以前にバラノ学長が僕らに対して行使していた“遠耳の術”を使っているからだ。そして、その魔術を使う時はほとんどが“他人には聞かれたくない話”をする際に使うものである。

下松しもまつさんも、聴こえるか?』

『あぁ、聴こえているよ』

テイマーは、術を使いながら光三郎に一瞬だけ視線を向ける。

彼の視線に気が付いた光三郎は、黙ったままその場で首を縦に頷いた。一方、僕は遠耳の術は使えないため、手にしていたスマートフォンを操作し始めていた。

『僕は遠耳の術を使えないので、携帯端末これで話すよ。用は何?』

僕は、黙ったまま彼にショートメッセージを送る。

バイブレーションでメッセージが届いた事に気が付いたテイマーは、自身のスマートフォンを手にして僕からのメッセージを読む。

『今日はこの後、お互い自身の業務があるから、詳しくは後日話そう。ただ…』

『ただ?』

テイマーが発する中で言葉を濁した場面があったため、僕はメッセージで問いかける。

その時一瞬だけ彼の表情は固まっていたが、次第に深刻な表情を浮かべ始める。

『奇しくも、その絵しりとりアプリでミシェルを正気に戻す事ができた…。これで、あの日に実行犯の生徒を操る原因を作ったのが、そのアプリであると証明できたようなものだな』

『というと…?』

僕は再びショートメッセージを送り、それを目にしたテイマーは指を口元に当てて考え事をする。

解呪ディスペルを使用できたのは勿論、一番の功労者は君の精霊ともだちの手柄だ。ただ、魔法陣を描くのに使用するツールにも“相性”が必ずあるんだ』

黙り始めたテイマーの代わりに答えたのが、光三郎だった。

僕は今度は、光三郎のスマートフォンに対して「相性とは何か?」といった文面のメッセージを送る。

「望木先生にラスボーン先生。ひとまず、後始末は我々に任せて、お二人は講義の準備に入ってください。講義の開始は、多少遅れても構いませんので…」

すると、事後処理をしていた技術員の一人が、僕やテイマーに声をかけてくる。

その台詞ことばを皮切りに、遠耳の術を通じての会話は一旦幕引きとなるのであった。


次の講義に向けての準備も兼ねて、僕は一度宿泊棟に戻る事にした。

講義の開始時間が遅れる事は、事務員が生徒達に伝えてくれるらしいので安心して準備に取り掛かれる。自室へ戻るために脚を進める中で、僕は今日起きた出来事を思い返していた。

 解呪ディスペルの魔法陣を見せつけた直後、彼女は何て言おうとしたんだろう…?

僕は、電子の精霊の力を借りて解呪ディスペルの術式を行使した際、ミシェルが何か言おうとしていた事を思い出す。

最も、口パクだけで実際は何を言っているか聞き取れなかったが―――――――

 それよりも…。標的が僕だとした場合、何が目的であんなことをしたのだろうか…?

自分の中には、疑問が残るばかりだ。

当然の事ではあるが、僕は他人ひとから恨まれるほどの事はやっていない。むしろ、“やらかした相手”に恐怖心や恨みを覚えているくらいだ。また、唯一の身内である父・道雄こそ、周りに慕われた人格者であり恨まれ事なんて無縁だろう。

 あぁ、早い所父さんが復帰して、バトンタッチしたいよ…

僕は、自身の頭を掻きむしりたいような衝動に駆られながらも、次の講義に向けて脚を進めるのであった。

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