16球目 野球は”総合格闘技”だ!

「バスケ勝負?」

「あぁ」


 小祭が頷いた。太陽は中天からやや降って、西側に傾いている。それでもその熱量は未だ翳ることなく、直射日光が当たると、ヒリヒリと皮膚が焼けるようであった。西郷は汗を拭い、たまらずミネラルウォーターを口に含んだ。コート上には西郷たち野球部の面々5人と、それから未来、そして小祭帯刀しかいなかった。


「5対1でいいよ」

 彼が提案したのは、意外なものだった。

「その代わり僕が勝ったら、西郷くん。君をバスケ部に欲しい」

「んな……」


 西郷は戸惑った。いくら素人相手とはいえ、5対1で勝てるものなのだろうか?

「そんなにバスケ部って人足りてないのかよ?」

「そうじゃないけど……」 

タン……タン……

と小気味好くドリブルを繰り返し、小祭帯刀は、静かに笑みを浮かべた。


「でも、こないだのニュース見てさ。な野球部に君がいるのが、なんだか不憫になってね。、バスケ部ももっと強くなるかなあって」


 西郷はムッとして小祭を睨んだ。やはり会話を聞いていたのか。あくまで涼しげな表情だが、どうやら向こうもそれなりにカチンと来ているらしい。それに何より、小祭は自分が負けるとは微塵も思っていないようだった。それが西郷には、なんだか小憎らしかった。


「本気か?」

「流石に負けたら、格好が付かないかい? そうだな……だったら」

 小祭は不意に未来を手招きした。

「あの子をこっちに入れて……5対2でどう?」

「はぁ!?」


 笑みは崩れない。どうやら小祭は本気のようだった。ことの成り行きを見守っていた未来は、パタンと『日本学生野球憲章』を閉じ、真顔で頷いた。


「良いわよ」

「良いのかよ!」

「その代わり向こうが勝ったら、貴方を野球部に入部してもらうわ」


 未来が立ち上がり、小祭にそう告げた。

なるほど。

西郷は心の中で手を叩いた。その手があったか。未来が相手チームに紛れ込み、パスが回って来た瞬間、こっちにボールを流せば良い。そうすれば実質6対1だ。『トロイの木馬』作戦。そんな作戦が、果たしてバスケットボールにあるのかは知らないが……これなら流石にバスケ部だって苦戦するだろう。未来の交換条件に、小祭は頭を掻いた。


「はは。しょうがないな。まぁ、それで良いよ」

「良いのかよ!!」


 西郷は驚いた。明らかに見え透いた『トロイの木馬』作戦を知りつつも、それを受け入れるバスケット=マン……。よっぽどの自信があるのだろうか? それとも単なる自信過剰の勘違い野郎か……こうなるとますます、西郷の持ち前の負けん気が、メラメラと燃え上がるのだった。


「ここまで余裕かまされちゃあ……」


 北方が怖い顔で近づいて来た。

北方和泉は、スポーツを殺し合いか何かと勘違いしている男で、ルールには疎いが、ノールールになると途端に水を得た魚のようになるのだった。生まれて来る時代を間違えてしまった哀れな男だが、こういう『血の気が多い』場面には、とても頼りになる。身長も野球部の中で一番高く、小祭にはやや劣るが、それでも大差ない。北方は小祭に向き直ると、ズンズンと、彼に密着するかのように距離を縮めて行った。それから北方は、初対面の小祭にいきなりメンチを切った。


「こっちも負けらんねえよなぁ」


 二人の視線の間に、火花が散った気がした。まるでゴングが鳴る前のファイターだ。しめた。西郷は心の中でガッツポーズした。北方がやる気になっている。彼はきっと、バスケットボールを総合格闘技か何かと思い込んでいるに違いない。上手くゴール下に誘導してやれば、『ダンク&ヘッド=ショット』で、この小生意気なバスケット=メェンを一発KO出来るだろう。果たしてバスケットに、KO制があるのかは知らないが。河南や上野たちが、心配そうに顔を見合わせた。


「審判は?」

「ちょっと待って。真中さん呼ぶから」


 未来がスマホを取り出した。真中かなめ。いつぞやの草野球で知り合った、タランチュラ少女……いや、野球好き少女だ。こうして数十分後、俺たちはそれぞれ入部をかけて、バスケットをすることになった。


「オイ、未来」

 西郷は試合が始まる前、こっそり未来に近づいた。ペットボトルのお尻で、軽く彼女の手のひらを叩く。小祭に気づかれないよう、後ろから小声で囁いた。


「じゃあ、よろしく頼むぜ」

「何が?」

「何がって……バスケットだよ。こっちを勝たせてくれるんだろ?」

『トロイの木馬』作戦だ。

「そんなことしないわ。私、全力で勝ちに行くつもりよ」

「え!?」

 だけど未来は、平然と首を振った。西郷は思わず大きな声を上げた。

「おま……どっちの味方なんだよ!?」

「私はいつだって、ドキドキさせてくれる方の味方よ」


 西郷はミネラルウォーターを噴射した。


 思わず小祭と自分を見比べる。身長は約30cm、まるまる定規1個分くらい違う。顔面偏差値はさらに定規10個分以上は違った。どっちがどっちかは、言わずもがなだ。


 ……まずい。咳き込みながら、西郷は顎を拭った。やはり記録的大敗のせいで愛想を尽かされてしまったのか。このままでは、マネージャーがバスケ部に取られてしまう。本格的に『日常系ゆるふわバスケ小説』になってしまうではないか。嫌だ。別にバスケが嫌いとかじゃないけど、突き指とか……嫌だ。早く話を野球に戻さなくては!


「絶対、勝たねば……」

「試合開始!」


 真中の笛が鳴って、ボールがコート中央の空へと舞い上がった。


 夏だった。半袖のサラリーマンは冷えたタオルで額を拭い、アスファルトに落ちたアイスクリームが、しゅわしゅわ音を立てて溶けた。バスケットは、西郷たちが負けた。93対18で負けた。こないだの野球よりいい勝負だったのは、内緒だ。小祭は容赦しなかった。近づく前にスリーポイント=シュートで得点を荒稼ぎされ、かと言ってボールを奪いに行くと、持ち前のスピードで触らせてもくれない。かろうじてぶつけた体も、強靭なフィジカルで跳ね飛ばされた。忘れた頃に未来にパスが渡り、彼女も容赦なくシュートを決めた。


 試合が終わったら、全員、息が上がっていた。大粒の汗が、ぼたぼたと地面に落ちた。西郷たちは負けた。こうして彼らはユニフォームを脱ぎ、タンクトップに着替えた。『野球の夏』が終わった。これから『バスケットの夏』が始まるのだ……が、北方が、「”トラベリング”がなければ俺たちが勝っていた」と言い出した。確かに北方は、再三ダンクを決めていた。全部ルール違反だったが。コートに寝っ転がっていた小祭が、白い歯を見せた。


「そう……君、なかなかやるね」

「……今度は”トラベリング”なしのバスケで会おうぜ」

 北方が手を差し出し、小祭を引き起こした。どうやら巨人同士、バスケットを通じ親交が深まったらしい。


「決めた!」

 帰り際、小祭が満足そうに言った。

「僕、北方君をバスケ部に勧誘するよ」

「大丈夫か?」

「そいつ、ドリブルができないぞ」

 西郷たちは口々に心配したが、小祭は気にしてない様子だった。


「そこらへんは追い追い覚えてもらえればいい。何より彼、体が強いから」

「じゃあ……北方君をバスケ部にレンタルするってことで、代わりに貴方が、野球部に助っ人に来てくれるのね?」


 最後に未来がしれっと交換条件を出してきた。確かに試合には負けたが、”トラベリング”がなければ勝っていた……限りなくグレーに近い引き分けと言ったところだろうか。あの運動神経、スピード、それに身長……外野の中心センターにでも置いておけば、かなり活躍してくれそうな気がする。


「良いよ」

「良いのかよ!!!」


 小祭は快諾してくれた。こうして、ナンダカンダありつつも、仁馬山高校のバスケット部・小祭帯刀が野球部に参加した。普段はバスケ部だが、大事な試合の時に助っ人に来てくれるだろう。


「次は……いよいよ合宿ね」

 未来が眩しそうに西日に目を細めた。夏だった。アゲハ蝶がひらひらとビルの間を舞い、波打ち際では白いカモメが餌の魚を獲っては、笑った。

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ザ・イレギュラー・バウンダーズ てこ/ひかり @light317

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