一回表 縦浜 VS 仁馬山・東海大付属連合

「これでよし、……と」


 東校舎の一階にある家庭科室。

その隣にこぢんまりと構えた調理準備室の一角が、『マカロニグラタン同好会』の拠点だった。

北方和泉と、河南蔵之助が活動している同好会サークルである。

野球部が正式に発足するまで、一先ずそこを借りることにした。


 普段は調理器具がずらりと棚に並んでいる調理準備室に、今や人数分のユニフォームやボール、スパイクなどが山になって積み上げられている。全部未来が用意したものであった。西郷はその山々を横目で見ながら、半ば感心したように小さくため息をついた。一度西郷は未来に、毎回何処からそんなものを調達して来るのか聞いてみたことがある。すると彼女は表情一つ変えず、さらりと言った。


「家にあるの。お父さんと、それから下の弟二人が野球やってて」

「へぇ……」

 西郷はちょっと意外だった。彼女の家庭の話を聞くのが、何だか新鮮だった。

「父の知り合いも、草野球チームとか組んでるから。要らなくなった道具とかを集めてて、ね」

「それで、か」

「……何よ? 悪い?」

「いや別に……」

 西郷がニヤケ面しているのを見て、未来が少しムッとした。西郷が笑うのをやめなかったので、未来はそれ以来西郷にだけ周りの二倍量練習メニューを組んだ。


 準備室の窓をポツポツと雨粒が叩いた。窓の向こうには、

アジサイ

コスモス

カンナ

などの花々が色を成している。西郷は今、準備室で一枚の真っ白な和紙と睨み合っていた。その右手には、墨汁を滴らせた筆が握られている。書道用具一式を並べて、彼は先日出来上がった仁馬山・東川大連合チームの『スローガン』を書いているところだった。


 連合チームのスローガン。それは、


 『行けたら行く』


 である。


 ……何だか乗り気のしない合コンみたいなスローガンだが、もちろんそんな意味では無い。


 これは、走塁意識を高めるために、全員で話し合って決めたスローガンであった。『足』を基軸にしたチームである以上、みんなが次の塁を積極的に狙って行く、つまり『行けたら行くグリーンライト』と言う話である。


 西郷としては

『疾風迅雷 〜今、私たちにできること〜』とか、

『Run Rabbit Run!』とか、

もっと格好いいスローガンの方が良かったのだが、「長えよ」とか、「もっと初心者にも分かりやすく」などと各方面から文句が噴出して、結局『行けたら行く』になった。


 全員の意見を聞くのも善し悪しだ、と西郷は学んだ。おかげで気の抜けた感じに仕上がったが、確かにまぁ、分かりやすいっちゃ分かりやすい。そもそも初心者なのだから、たとえ走ったとしても失敗の方が多いはずだ。そんな時に、さっさと切り替えて行けたら行くグリーンライト』……『負けたら死ぬ』よりは切羽詰まって無くてまだマシかもしれない。


 一枚の和紙に、太い筆でスローガンの文字が記された。

 雨脚が強まって来た。

 当日は天候が崩れるかも知れないな、と西郷はふと思った。



 そして試合当日。

 外はひんやりとしていて、初夏にしては肌寒いくらいだった。心配していた雨こそ大丈夫だったが、頭上には薄い雲がどんよりと広がっている。白い雲は球の色と同化して、フライが見えにくい。と言うことで、出来るだけ内野ゴロを打たせて行く作戦にした。打順とポジションは、


 一 三井(東川大) 二塁

 二 安前(東川大) 捕手

 三 田島(東川大) 遊撃

 四 野々原(東川大)中堅

 五 西郷(仁馬山) 投手

 六 片桐(東川大) 三塁

 七 北方(仁馬山) 一塁

 八 上野(仁馬山) 右翼

 九 河南(仁馬山) 左翼


 ……に決めた。

 何のことはない。経験者を固め、かつ足の速い順で並べただけだ。チーム内で一番足の遅かった下園は、残念ながらベンチスタートということになった。外野の中心であるセンターと、内野を東海大の面々で埋めて、それ以外に飛んだら「ごめんなさい」という布陣だ。


「向こうも素人が守ってるなんてこたぁ、すぐに見抜くだろうよ」

 試合前、安前がベンチで白い歯を見せた。

「きっとすぐに狙い撃ちしてくる。まぁ弱点がハッキリしてる分、ある意味配球も決めやすいわな」

「あぁ」

 隣で西郷が下を向いたまま頷いた。スパイクの紐をぎゅっと結ぶ。

 目を閉じたまま、未来や安前に叩き込まれた相手打者の特徴を頭の中で反芻する。

 あと数十分で試合だった。


 目の前のグラウンド(縦浜高校の第二グラウンドで試合をすることになった)では、縦浜の生徒たちが守備練習を行っていた。人数はそれほど多くないから、部員全員が集まっている訳ではないのだろう。体つきを見ても、恐らく一、二年生と言った若い選手中心だ。


 ……正直、西郷たちにとっては有り難かった。舐められようが馬鹿にされようが、少しでも勝つ確率が上がるのなら万々歳だ。


 西郷は三塁側アウェーのベンチ内を見渡した。監督はまだ決まっていないから、代理で担任の嵯峨峰先生が座っている。嵯峨峰先生は、ウチのクラスの担任だ。野球どころかスポーツ自体やったことないという新米女性教師で、監督席に座っていても何だか所在無げに、そわそわと前髪を撫で付けていた。


 その隣に、例の七色のスコアブックを持った未来が腰掛けていた。実質このチームの司令塔は未来だ。バックネットの観覧席に関係者が数名、仁馬山と縦浜の校長同士が談笑している姿も見える。他校との交流試合だから、別にスタンドが埋まっているわけでもない。

 それから視線を近くに戻す。

 ベンチ前では数人が素振りを繰り返している。上野なんかは、草野球とはまた違った試合前の雰囲気に戸惑い、しきりにミネラルウォーターを口に含んでいた。


 全員が、各々緊張しているのだろう。

 試合前は誰だってそうだ。西郷はこのピリッとした空気が好きだった。


 いよいよ、縦浜との試合が始まるのだ。プレーボールの前、全員でベンチ前に円陣を組んで、気合を入れた。チームのリーダー格である安前が、緊張した面持ちのメンバーをぐるりと見渡して声を張り上げた。


「良いか? みんな……」

「…………」

「あんま無理すんなよ。行けたら行こうぜ」


 それから全員が鬨の声を上げた。西郷は胸の中で安前に感謝した。彼の一言で、少し全員の肩の力がほぐれたような気がする。


「よろしくお願いします!!」


 お互いの選手同士の挨拶が終わり、主審が大きく右手を挙げた。

 じゃんけんの結果、先攻は縦浜。

 ウチは、最初は守備につくことになった。


「プレイボール!!」


 西郷は白球を受け取り、ゆっくりマウンドに登った。深呼吸をしながら、指の腹で縫い目を確かめる。


 そして試合は静かに始まった。

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