8球目 野球は”派遣”だ!

「派遣制度??」

「そう。部員が少ない高校には、他校から選手を派遣してもらえる制度があるの」

 そう言って未来は、相変わらずの無表情でプリントアウトした一枚の紙を差し出した。



 『加盟に関する規定

 ・12  部員不足による大会参加の特別措置について(平成 24 年5月 24 日通達)』



 そこからずらっと並んだ文字の多さに、西郷の目が眩んだ。

「要するに……」

 西郷が唸り声を上げた。要するに、これによれば部員不足の高校には特別措置があり、なんと他のチームから選手を借りられるのだと言う。


 他にも、高校同士の『合同チーム』と言うものもあるらしい。

 少子化による、高校自体の統廃合に対応するための救済措置なんだとか。

 例えば東京では、ある年の大会に限って言えば合同チームが6チーム、そして派遣チームが7チーム参加している。今や都内だけでも全体の約1割くらいは、純粋な単体高校ではないチームが実際に公式戦に出場しているのだと言う。


「じゃあ……!」

 西郷は、何だか光明が見えた気がして目を輝かせた。

「色々、規定の制限はあるけどね。同じ都道府県内のチーム同士じゃないとダメだとか。合計の人数が10人を超えちゃダメだとか。つまり部員が5人しかいない高校は、最大5人まで借りられる。6人だと、4人。7人だと3人……みたいな感じね」

 未来が頷いて小さくほほ笑んだ。


 仁馬山にはすでに5人揃っている。

 だったら他校から5人のチーム参加が公式に認められる訳だ。

 ましてや強豪校になればなるほど、部員数は下手したら何百人に及ぶ。当然、レギュラー以外は試合に出る機会は減ってしまう。


 苦楽を共にしてきた同じチームのメンバーとして、スタンドやベンチで最後の夏を過ごすか。

 それとも思い切って他校に派遣参加し、レギュラーとして試合に出て最後の夏を過ごすか。


 非常に迷うところだが……純粋な出場機会を求めるのなら、派遣と言う選択肢だって有り得なくはない。もちろん、派遣してくれる向こうチームの協力ありきな話ではあるのだが……。


「勘違いすんなよ」

 隣にいた安前が、西郷にしかめっ面をして見せた。


「今回の派遣は、縦浜との練習試合の一回っきりだ。試合が終わったら、俺たちは東川大に戻る」

「あぁ……」


 それでも、さっきまでよりはずっといい。

 さっきまでの悩みがすうっと晴れた気がして、西郷はニヤニヤを止められなかった。


「それに派遣これは、別にお前のためだけじゃ無い、俺たちのためでもあるんだ。俺たちはまだ一年で、まだまだこれからレギュラーを奪いに行く立場だ。縦浜なんて強豪校、滅多に試合できる相手じゃないからな。良い経験になる」

「あぁ」

「監督には、勝敗よりも、できるだけ掻き回して縦浜の情報を集めてこいって言われてるよ」

「あぁ……」


 西郷は未来の後ろにたむろしている選手を見渡した。全員西郷や安前と同じ一年生のようだ。きっとみんな東川大付属の野球部員なのだろう。


「とりあえず場所を移しましょうか? 親睦会も兼ねて、ね」


 それから未来が仁馬山メンバーと、東川大の派遣メンバーに呼びかけて、西郷たちは最寄りの喫茶店までぞろぞろと歩いて行った。先週梅雨入りしたばかりだったが、今日は運良く空も晴れ渡っていて、太陽の光が眩しかった。爽やかな風が頬を撫で、北方や河南たちも気持ちよさそうに体を伸ばしていた。


 それにしても……。

 

 西郷は前を歩く未来に追いついて、こっそり耳打ちした。


「一体どう言う繋がりなんだよ?」

「何が?」

「東川大の監督と、どう話をつけたんだよ? 一体どんな繋がりが……」

「繋がりっていうよりは、利点よ」

 未来は前を向いたまま、涼やかな視線で西郷を一瞥した。

「こっちは一時的でも良いから、何とかメンバーを増やしたい。向こうは向こうで、部員数が多い中で一年生にも何とか経験を積ませたい。それで話し合って、たまたまお互いの利益が合致したの。向こうだって、利点がなければそう簡単に動いちゃくれないわよ」

 西郷は押し黙った。何だかドライな話ではあるが、としては結果オーライということだろうか。


「それより、見てるわよ」

「へ?」

「後ろ」


 未来にそう言われて、西郷はふと振り返った。ぞろぞろ歩く坊主頭の集団の中から、真中かなめがじぃーっ、と、二人に冷たい視線を向けていた。西郷は慌てて未来から離れた。未来はフッと笑い、シャンプーのCMみたいに、夕日を背に闊歩しながら艶のある長髪を風に靡かせた。の方はまだ、全然オーライではなさそうだった。



「それで……」

 喫茶店の片隅に陣取り、お互いの自己紹介が済むと、早速未来が立ち上がり全員を見渡した。雑居ビルの一階にある、珈琲一杯にしては少々値段の張る全国チェーン店だ。店内はそこそこの人で賑わっていた。


「試合まで、あと三週間。この連合チームの特色カラーを決めときたいんだけど……」

「待ってくれ」

 東川大の一人、田島が不満そうに手を挙げた。


「あと三週間しかないんだろ? そんなの決めても意味ないんじゃないか?」

「あぁ。相手は縦浜だし、そっちはまだ野球を始めたばかりの素人さんなんだろ。今更何やっても付け焼き刃な気がする」


 他の東川大の生徒・三井も頷いた。それについては西郷も同じ意見だった。

 同じチーム内でさえ、例えば守備の連携プレイ一つとっても、相当な練習量をこなさなければならないのだ。急ごしらえのチームが小手先で何をやろうとも、勝てるような相手ではない。

 しかし未来は、ガタイの良い他校の生徒にも臆することなく、堂々とその豊満な胸を張った。


「だからこそ、よ。バラバラに、場当たり的に戦うんじゃなくて。全員の意思統一を図るためにも、戦術や特色カラーは必要。少なくともこの三週間という限られた時間を、できるだけ有意義に過ごさなくっちゃ」

「一体どんな戦術で行く気なんだ?」

 安前が興味深そうに身を乗り出した。


「あの横綱相手に?」

「それは……」

 未来は一呼吸置いて、全員を見渡して言った。


「『足』よ」

「……足?」

「えぇ」


 そう言われて、下園や上野が思わず自分の足元を覗き込んだ。


「バッティングじゃなくて?」

「それより投手だろ? 西郷くんは、ウチの安前とバッテリー組んでたんだよな? 勝つ可能性があるとしたらそっちだよ。やっぱ二人の配球がメインに……」

「打撃や投球術なんて、それこそ時間ない」

 ざわつく男子高校生を制して、未来が首を横に振った。


「『打撃フォーム』や『投球フォーム』なんて、”答え”無いじゃない。ゲームでも見たでしょ? 打ち方投げ方なんて、十人十色よ。それぞれの体つきや個性に合わせて、自分に合ったものを作り込んで行く……それこそ毎日の積み重ねで、三週間でどうにかなるとは思えないわ」

「でも……」

「でも、たとえ野球をやったことなくても、素人でも『全力疾走』ならできる」

 未来が小さく笑みを浮かべた。


「この中に走ったことない人、いる?」

「そりゃ……」

「確かに」

「……足が遅いとかは、あるかもしれねぇけどよ」

 未来が満足げに頷いた。

「弱いチームほど、連打は期待できない。だから『小技』や『足』で掻き回さなくちゃならないの。これは鉄則よ」

「なるほどな。『足』を特色にしたチームか。確かに経験不足のチームなら、それが一番かもな」

 安前が感心したように頷いた。他の面々も、最初はぽかんと口を半開きにして未来を見上げているだけだったが、やがて納得したように頷き合った。


 こうして仁馬山・東川大連合チームの方向性・特色カラーが決まった。


 スピード重視。『足』で掻き回すチームだ。というか今は、それしか選択肢カードがないと言った方が正しいかもしれない。打ち方・投げ方よりも、まずは走り方。それで三週間は、走塁練習に一番時間を割いた。


「いいだな」

「へ……?」


 ある日の練習後、安前が西郷に近づいて来て、ボソッと小声で呟いた。


「ぶっちゃけこの試合で俺たちが勝ったら、あの未来ちゃんや、それからかなめちゃん達と合コン組んでもらえることになってる」

「へ!?」

 西郷は洗っていたスパイクを取り落とした。安前がニヤニヤ笑った。


「絶対勝とうぜ、相棒」

「…………」

 西郷は何も言い返せず、颯爽と去って行く安前の背中をしばらく呆然と見つめていた。


 そういうことだったのか。なるほど、……お互いの利益が合致したとは、そう言う話か。道理で、新設校の弱小チームにわざわざ東川大なんぞから派遣に来てくれるはずだ。一体どこにモチベーションがあるのかと思ったら。


「まさか、向こうの監督が合コンに来るってこたぁ無いよな……?」


 西郷は妙な胸騒ぎに駆られ、首を動かして未来を探した。ちょうど未来はストップウォッチ片手に、仁馬山の面々の50メートル走のタイムを計っているところだった。未来は西郷の視線に気づいたのか、彼にいつもの涼やかな一瞥を投げかけると、ご自慢の黒髪を優雅にかき上げた。その様子を、今日も練習に参加していたかなめが、片隅でタオルを絞りながらじぃー、っと眺めていた。 


 西郷は生唾を飲み込んだ。

 これは何がなんでも、勝たなくてはならない。

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