7球目 野球は”バッテリー”だ!

「おぉ〜!!」


 小気味好い金属音が破裂して、白球が遠く向こうのフェンスまで綺麗な放物線を描いた。見守っていた生徒たちから大きな歓声が上がる。北方和泉は得意げに鼻の下を擦り、バッターボックスでぐるんぐるんと巨体を回した。その後もピッチングマシンから放たれる150キロの速球を、北方は難なく打ち返し、ホームラン性の当たりを連発していた。


 西郷は少し離れたテーブルでその様子を見守っていた。


 仁馬山から最寄りの駅まで降り、さらに十分ほど歩いたところに、寂れたバッティングセンターが一軒あった。西郷たちEVイレギュラーバウンダーズの面々は、校長に試合を命じられたその翌日から、バッティングセンターに通い各々フリーバッティングを楽しんでいた。今のところ先日仮入部した面々は、嫌がる素振りもなく付き合ってくれている。


 西郷はぼんやりとその様子を見つめながら、ペットボトルの水を口に含んだ。打席に立った感じ、


 北方

 西郷

 下園

 上野

 河南

 

 飛距離だけ見ると、大体こんなランキングだ。元々ガタイが良く、喧嘩ばかりしている北方はやはり馬力があった。バッティングフォームこそ滅茶苦茶だが、一ヶ月鍛えればそこそこ様になるかもしれない。経験者である西郷も、打撃にはそれほど自信はなかったが、他の初心者に負ける訳にはいかない。


 最もピッチングマシンの150キロと、実際の投手の生きた球では雲泥の差があるだろう。練習はあくまで練習。いざ実戦で、北方がどの程度やれるかは未知数だ。下園・上野・河南に至っては、まずバットの握り方から教えなくてはならない始末だった。


 野球部を仮発足させるに当たって、まずバッティングセンターに通うというアイディアは、未来のものだった。西郷なんかは、中学時代散々『まずは体力づくり』と称して一年間はランニングやら筋トレをこなしていた身だから、いきなり打撃から入るというのは妙な違和感があった。


「試合は一ヶ月後だもの」

 未来は淡々と言った。

「基礎固めとか、フォーム固めなんて言ってる場合じゃないわ。まずはみんなに野球を『続けてもらう』。野球が面白いんだって感じてもらわなくちゃ」


 その他に未来は、放課後みんなでTVの前に座って、『野球ゲーム大会』を開いた。野球の詳しいルールを口頭で説明するより、ゲームで自分で操作しながらの方が視覚的にも分かりやすい。


 球種は具体的に何があるとか、犠牲フライやバント、『ファール』という概念……実際問題河南は、ファール一回で1ストライク加算されるのに、2ストライク以後はファールを打ってもストライクカウントが増えないことに、随分長いこと疑問を抱いていた……草野球では曖昧になっていた知識を、ゲームで補完した。


 下園などは、野球はやったことはないがゲームは好きと言う男で、その手の野球ゲームも昔からやり込んでいた。今のところゲームでは下園がNo.1だ。おかげで四人とも、野球のルールについてはだいぶ詳しくなったと思う。


「大丈夫ですか?」

 いつの間にか、西郷の隣に真中かなめが来ていた。あの草野球以来、彼女もなんだかんだ言いながらこうして野球部に付き合ってくれている。西郷はかなめに見つめられ、密かに胸を高鳴らせた。かなめは西郷の気持ちを知ってか知らずか、小動物のように小首を傾げた。


「モリモリさん、何か考え事ですか?」

「いや……その」


 俺は戸惑いを隠せなかった。今更ながら、何故モリモリだったのだろう。どうせならニッシーとかヒッキーとか、もっとカッコいいあだ名が良かった。


「別に、悩みなんか無いって。今度の試合だって楽勝さ。必ず勝ってみせるよ」

 ……と言えば、もちろん嘘になる。


 西郷は未来のやり方に首をひねりつつも、一応は納得した。これが正解かどうかは別にして……案外そんなものかもしれない。つまり、今までは、とにかく野球が好きだ! とか、野球がやりたい! と言った面々とばかり野球をやっていたから、続けるなんて当たり前だと思っていた。


 しかしここにいるメンバーは、全員野球に関しては素人だ。

 実際にやってみて、『こんなにキツイとは思わなかった』とギャップを感じて、最悪辞めることだってあり得る。普通の部活動ならそれでも構わないのだろうが、今はまだ発足時だ。そもそもまだ部員が9人にすら届いていないのだ。一人たりとも、メンバーを欠く訳にはいかなかった。


 白球が青空に舞う。

 北方が豪快に150メートル弾をかっ飛ばし、再び歓声が上がった。


 西郷はため息をついた。

 それでも……それでも正直言って、焦りは募るばかりだ。


 確かに前進はしている。だがそれも微々たるものだ。一週間経って、ようやく公園でキャッチボールを始めた程度。こんな調子では、試合どころではない。ましてや相手は強豪・縦浜高校なのだ。Lv.1の村人が、いきなり竜王ラスボスと出会ってしまう絶望感があった。


「よっ、西郷」

 不意に声をかけられ、西郷は振り返った。なんだか聞いたことのある、懐かしい声だった。


「うげ……!」


 声の主と顔が会った瞬間、西郷は嗚咽を漏らした。ニヤニヤとした顔で彼を見つめていたのは、中学時代の西郷のチームメイト・安前周平やすまえしゅうへいだった。西郷は動揺した。一年前、中学時代、西郷は自分の『力』を過信してチームを一回戦負けに貶めただった。かつての知り合いに姿を見られるのは、今は懐かしさよりも、罪悪感の方が勝った。


「な、なんでここに……」

「なんでって、俺だって野球部なんだから。バッティングセンターくらい来るだろ?」


 安前やすまえはニヤニヤ顔を張り付かせたまま、馴れ馴れしく西郷の肩に手を伸ばした。何を隠そう、安前は西郷の元女房役・バッテリーを組んでいたキャッチャーだった。確か彼は東川大付属にスカウトされ、そこで野球を続けているはずだった。丸坊主頭のくせに、整った顔立ちなのが憎たらしい。一年前と比べて、身長もだいぶ伸びてスラッとしたモデル体型になっていた。それが西郷をなおさら腹立たさせた。安前が、爽やかに白い歯を見せた。


「お前こそ、野球やめたんじゃなかったのか?」

「やめてねぇよ!」

「へぇ……」


 安前が少し珍しそうに西郷の顔を覗き込んだ。


「てっきり足を洗ったもんだとばかり思ってたがな。お前って、一回でも折れると脆いところがあっからさ。まぁーだ落ち込んでんのかと」

「うるせぇなァ」


 西郷は蝿を払うかのような仕草を見せ、視線を逸らした。長年バッテリーを組んでいた手前、安前には西郷の性格から趣味嗜好まで、完全に把握されていた。


「じゃあお前も東川大くれば良かったのに。そしたらまた、バッテリー組めたのによ」

「あぁもう……」

 西郷は鬱陶しそうに安前の手を払った。今はそのことについて考えたり、話したくなかった。安前の言う通り、から完全に立ち直れている訳ではなかった。


「俺はもう、暇じゃねえんだよ。今忙しいの。誰だよ、コイツここに呼んだの」

「私よ」

「へ?」


 西郷は声のする方へ視線を向けた。バッティングセンターの入り口から、未来がゆっくりと顔を覗かせた。さらに未来の後ろから、ぞろぞろと坊主頭の高校生が連れ立って来た。


「私が呼んだの。仁馬山ウチを鍛えてもらうために」

「な……」

「そういうことだ。またよろしくな、相棒」


 安前が涼しげな目元を緩ませ、西郷にウィンクして見せた。西郷は驚くやら、彼の仕草に苛立つやらで、しばらく言葉を発せなかった。

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