出向者の策略論【後】


 議会員の暗殺が行われたのは、来須くるす有麻ゆま刈浜かりはまの会話を聴いた四日後のことだった。


 中立派であった議会員二人を、呪術否定派の人間が狙ったのだ。


 なぜ否定派が肯定派の議員を直接狙わなかったのかは疑問が残る。彼らの主張によれば、肯定派の独断を止められなかった無能を処理するのだ! という目的があったらしいが、本心なのかは定かではない。


 だがその暗殺は失敗に終わっている。たまたま居合わせた肯定派の部下が暗殺を食い止めたらしい。二人は偶然に助けられて事なきを得た。


 だから問題なのはその後だ。


 議会員内で呪術肯定派は有麻ゆまを含め三名。否定派が二名。残りの五名は中立を保っていたが、彼らが命を狙われたことで戦局が変わる。


 否定派の二名は暗殺を手引したとして更迭された。暗殺を実行したメンバーも消されるかに思われたが、なぜか肯定派の人間が彼らの処分を軽くするよう会長へ嘆願を出したのだ。


 主義主張の対立する勢力に養護される奇妙な形になったが、おかげで否定派の彼らは役職の引き下げ程度の処分で済んだ。


 こうして事件は幕を下ろしたが、影響はすぐにあった。

 その後に行われた議会員の再編成で、なぜか肯定派の人間が空いた穴を埋めることとなったのだ。


 なぜそうなったのか、情報収集に徹していた来須くるすは気づいている。


 きっと動いたのは刈浜かりはまだ。あのへりくだったいやらしい声で、中立の議会員へ再びの暗殺をほのめかしたのだろう。


 否定派の人間は肯定派の口添えがあって無事で済んだのだから、肯定派へ表立っての反発はしなくなる。だが中立派へそんな義理はない。むしろ中立派は命を狙われて、初め積極的に否定派を根絶やしにしようとしたのだ。肯定派がそれを止めなければ現実になっていたはずだ。

 人の恨みはなかなか消えない。また暗殺計画が練られない確証はなかった。


 だから中立派が身を守るには、肯定派の威を借りるしかない。


 人数で勝っていたはずの中立派は、こうして空席を肯定派へ引き渡すこととなったのだ。


 こうなってやっと来栖くるすはあの日の刈浜かりはまの言葉の真意を思い知った。


(否定派を消してしまえば中立派にとってのが自分たちになってしまう。だから慈悲を与え否定派を残しつつ、自分たちが中立派の上に立てるよう画策したんだ)


 来須くるすは人気のない暗い談話室で唸る。最初は意味がわからなかったが、あれは上手い采配だった。拮抗する三つの勢力。自分たちはあえて後手に回り、そのくせ優位な立場をかっさらって行った。もうアカデミスタは肯定派の意思に逆らえない。


(まるで未来でも見てきたかのような鮮やかな手配だ。やはり最も注意すべきは有麻ゆま刈浜かりはまの動き──!)


 恐らくはあの中立派を狙った暗殺の裏にも彼らの影があるに違いない。組織全体があの主従に踊らされたというわけだ。


 思わず笑いすら漏れる。その時突然に部屋の明かりが点いた。


「おやあ? これは来須くるすさんではありませんか。どうしてこのような暗い場所に? よもや夜行性ですか?」


 眩んだ視界にそんな声が飛び込んできて、背筋が凍る。来須くるすは動揺を必死に抑えゆっくりと振り返った。


 そこに居たのは長身でひょろ長い、色白の男。


刈浜かりはまさん……どうして俺の名前を……?」


 つばを飲み込みそう尋ねる。刈浜はニタリと笑って談話室へ入り、来須の横に座った。


 来須は初めて男を間近で見た。不気味な笑みと目元の印象ばかり先行して顔の造形をよく知らなかったことに今更気づく。思っていたよりも普通の男で、ふと目をそらせばもうどんな顔だったか思い出せないような、そんな特徴の無さが造形にあった。


 刈浜が来須の目を覗き込む。


「存じておりますとも。わたくし、有望な人材はたとえ清掃員でも把握しておりますので。来須さんは人脈を作るのがお上手だ。色んなお話が貴方の耳には届くのでしょう?」


 世間話の体で突かれた本質に来須は息を呑んだ。

 まさか自分がスパイだとバレている? いやまだそう判断するには早い。


「まぁ、いろんな人と仲良くさせてもらってるのは確かです。でもそれだけで有麻ゆま様の側近たる刈浜さんに知っていただけてたなんて、なんだか不思議な気分ですよ」


「だって貴方、他組織からの間者でしょう?」


「────っ!?」


「まぁまぁ、お待ち下さい」


 立ち上がり逃げようとした手首を掴まれる。それを引っ張られ──次の瞬間どういうわけか、来須は椅子に座っていた。


「!? なっ?」


「落ち着いてください。実を言うとわたくし、この組織がどうなろうと、どっっっうでもいいのです」


「はっ!?」


 今までと打って変わってげんなりした顔をする刈浜に、来須は混乱した。この男は何を言っているんだ?


 空いた口が塞がらない。事態について行けない来須をよそに刈浜が続ける。


「私が忠誠を捧げるのは、私を拾って下さった有麻ゆま様のみ。アカデミスタとか興味ありませんので。諜報? 好きにすればよろしい」


「えっ、えぇ…………」


「わたくしは貴方を摘発しに来たわけではないのですよ。貴方の有能さを買って、取引にきたのです」


「取引? 俺なんかと何を」


「これから私は忙しくなるのですよ。ええ、わたくし有能すぎて過労死寸前でして。ですのでいつも有麻ゆま様のお側にいることは叶いません。そこで来須さん、どうか有麻ゆま様をお守り頂けないでしょうか?」


 それは意外な申し出だった。なぜそんなことを自分に頼むのか、不思議でならない。


「他に頼むべき者がいるんじゃないか?」


「いえねぇ、アカデミスタって会長が強すぎるでしょう? ですから組織内の人間だと有麻ゆま様より組織や会長を優先してしまいかねない。もしもの時に信を置くには足らないのです。その点、来須さんはよそ者ですからアカデミスタにそんな思い入れないでしょう? ええ、わたくしもありませんし」


 困ったというふうに肩をすくめる。口調、視線の動き、指先の方向……。すべて違和感はない。どうやら本心を語っているようだ。


 来須は深く息を吸い、意を決して問いかけた。


「その提案に俺が乗るメリットは……?」


「おや、正体をバラされない、だけではご不満が? ……いえいえ冗談ですよ。見返りはあります。報酬はもちろん情報。有麻ゆま様の赤裸々な秘密などは口が裂けても漏らせませんが、そう、有麻ゆま様から伝え聞く会長の話など、いかがでしょう?」


「本当ですかっ!?」


 予想よりもさらに有益な報酬に思わず身を乗り出す。刈浜は迫る期待の顔にも微動だにせず、にこやかに頷く。


「ええ。とはいえ、それをどう上手く活用するかは貴方次第ですけども。それと、もし貴方がここから逃げる際はわたくしが手引きいたしましょう。無事に安全圏まで逃して差し上げますよ」


「のっ、乗らせていただく。願ってもない条件だ」


 喉から手が出るほど欲しかった情報がそこにある。これに興奮せずしてどうしよう。勢い余って刈浜の手を握りかけ、来須は思いとどまった。条件が自分に有利過ぎると気づいたのだ。


「しかし、そこまでの高待遇、いいんですか? あなたにも危険が及ぶのでは……?」


 不信感が出過ぎないよう、さりげなく訊く。刈浜は当たり前みたいに微笑んだ。


「なぁに、有麻ゆま様のためにのです。これくらい当然ですよ」


「──っ」


 産毛が総毛立つ。間近で見て思い知った。刈浜の目の奥は笑っていない。この男は本気でこちらの命を要求している。


 もしや俺は、本物の悪魔と契約しようとしているのではないか?


 来須は息を呑んだ。だがここで断って現状が好転する未来は見えない。願った状況に近づけるのも事実。


 内なる葛藤のすえ、来須は椅子に深く腰を下ろした。


「分かった。それで構わない」


「ふふっ、それは良かった。そうですね、では情報のやりとりについて。

 いつもこうしてお話するには怪しまれてしまいます。ですので、こういう手はどうでしょう?」


「ふむ……?」


「わたくし、毎朝この辺で買える新聞には全社分、目を通すのが日課でして。ですからすぐ資源ゴミがたまるのです。来須さんは立場的にそういったものの回収もするでしょう? そこに貴方に分かるよう暗号を仕込みます。貴方は新聞を回収し、暗号を確認。その後怪しませないように普段通り資源ゴミに新聞を出して下さい」


「それは……上手くいくのか?」


「暗号の確認は一分もかかりません。そのくらいの暗記はできるでしょう? 解読は後ほどゆっくりやればいいのですから。新聞に機密書類が混ざっていないかの確認と言えば中を開いても不自然でもありませんし、みんなやっていることです」


「それは……そうだな」


 兵器開発は機密性が重要だ。ゆえにゴミに資料が混ざっていないかのチェックは一通り行われる。それも下っ端である来須たちの仕事だった。


「それに伴い一つお願いがございまして。暗号の混ざった新聞は処理にも気を使います。ですので、私が出す束は少しだけ、他と違う目印をつけていただきたい。そうすれば回収先に務める私の知人が間違いなくそれらを再生紙へ変えてくれるはずでございます」


「それは構わないが……。そんなとこにも息のかかった人間がいるのか」


「いえ、彼女は本当にただの顔見知りですよ。言えば小さなお願いを聴いてくれる程度の間柄です。彼女は自分がどれほど危険な物品を処理することになるか、少しも思わないでしょうね」


 刈浜は語りながらどこか遠くに思いを馳せるように目を細くする。その女性のことを考えているのだろう。


 考えていたより人間味のある男のようだと、来須は思った。







 まったく、この仮の経歴カバーは疲れる。

 男はそう心中で一人ごちた。


 長身の男は自室の前の廊下で足を止めた。ドアノブに薄くかけていた粉に誰かが触れた形跡はない。扉を開けて中に入る。足元に木目に沿って一本置いておいた髪の毛も朝と同じ姿でそこにあった。


 とりあえず、今日も侵入者はいないようだ。


 鍵をかけ、部屋の中を見て回る。何かが仕掛けられた様子もない。自分の八重歯を舌で弄びながら上着を脱ぎ、はめていたコルセットを解いた。


 とたんに細く見えた肉体は消えごく普通の成人男性の体型に変わる。足元のシークレットブーツも脱ぐと、もはや別人がそこに居た。


 ようやく縛めから開放されて男は小さく息をつく。


 男の演じる刈浜という男は、アカデミスタの重要人物である有麻ゆまと交流のある人物だった。とはいえ裏社会での知人だ。直接の交友はなく、知っていても後ろ姿を見たことがあるくらいのもの。なり代わるのにちょうど良かった。


 もう少し没個性的な人格を用意できればよかったのだが、あいにく有麻に近づくために都合のいい人間が、この刈浜という男しかいなかったのだ。


 この組織への潜入を告げられ、一週間で用意したのだ。カバーを選り好みしている時間はなかった。


 そうして男は刈浜となり有麻ゆまと接触した。弱者として彼に取り入り、恩返しと称して有麻ゆまを盛り立てる。


 そうして自身も組織の中枢へと食い込んだ。奥へ潜れば潜るほど情報を外へ流すことは困難になるが……。来須のおかげでまたルートを一つ新たに確保できた。


 回収先の人間は本当に何も知らない一般人だ。何も知らないまま彼──来須には彼女と言ったが実際は男だ──は目印のついた新聞の束を別のルートへ仕分けすることになる。その先にもいくつかの人間を経由し目的地へ運ばれていく。もちろんみんな裏社会とは無関係の一般人だ。その者たちが捕まっても男にたどり着くことは決してない。


 それにこのルートが駄目なら切り捨てればいいだけだ。来須も捨て駒の一つ。男の本心を言えば有麻ゆまがどうなろうと構わない。なぜなら、男が真に忠誠を誓っているのは有麻でも、ここに自分を送り込んだ白スーツの男でもないのだから。


 彼のためなら、単身敵地へ潜入して組織を撹乱することくらい、いくらでもやってみせよう。


「ほんとう、わたくし有能すぎますねぇ。これはもう、すこぶる褒めて頂けるかもしれません」


 ついカバーのまま呟きながら、男はベットに身を沈める。浮かぶはまだ成人せぬ、我が主の優しげな顔。


 平賀真信。

 自分を救ってくれた、たった一人の主人。


「ああ! 我が身、我が能力、我が命! すべては貴方様のためにっ!」


 歓喜に震えてまぶたを閉じる。


 まだ見えぬ会長の素顔、蠢く情勢、呪術研究の実状もまた掴みきれていない。


 さて、ここからどれだけ真信に有利な状況へ持っていけるか。元門下の腕の見せ所である。


 こうして日々は過ぎ行き季節は春から夏へ至ろうとしていた。これから起きるであろう組織の変革を脳内でいくつも計算しながら、


 出向者は主のための策略を巡らせるのであった。



           出向者の策略論 了


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カミツキ姫の御伽話 まじりモコ @maziri-moco

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