第16夜 心と体

 春が近づいてる、そう言ったよな?

 それは確かだが、冷え込みは心なしかきつくなっている。

 懐中に仕込んだ焼き石が生命線だ。

 こっちにはそれが有って、鳥たちにはそれが無い。

 大きな違いだ。

 ああ、間違いない。 

 見張りの合間を縫って、竈から新しい温石を拾い上げる。

 厚手の布2枚で包み、見張り窓の近くの台に置く。

 OK。

 布の上に手を翳す。

 布越しの温もりを感じる。

 手が、少し汗ばむまで待つ。

 OK。

 最高の出来だ。

 首を鳴らす。

 痛っ。

 右肩が張っている。

 右肩も、右目も限界だ。

 緊張だけじゃなく、寒さも原因だろう。

 だが、確実に日々は過ぎ去る。

 月日なんて、人間が取ってつけた記号だ。 

 自然には関係ない。

 そして、自然はその法則に従って淡々と進む。

 それが、自然っていうやつだ。

 寒さはここひと月が山場を迎えるだろう。

 それがいい。

 それでいい。

 何事も、成し遂げるには山場が必要だ。

 平地を歩き続けて落とし穴に落ちるのと、自ら山場に挑んで乗り越えるのでは、全然意味も達成感も違う。

 左の歯で木の実を齧る。

 昨日あたりから、右の奥歯に痛みがある。

 人間は心と体で出来ている。

 どちらがより大切か、なんてことはない。

 どちらもあって人間だ。 

 だから、心を労わる様に、体を労わらなくては。

 ことに、目的地まであと少し、遠くに明かりが見える場所まで来たならば。

 俺は人を見るとき、心も体も見たいタイプの男だ。

 おっと、美醜の話じゃない。

 いや、待て。

 美醜の話かも知れんが、世間一般で言うような美しさの話じゃない。

 ようは、俺がそれを美しいと思えるかどうか、そういう話だ。

 レイリは美しい女性だった。

 キラキラした大きな目と、屈託なく笑うその笑顔。

 俺が今まで会った美人は、笑い方を心得てる奴が多かった。

 だから、レイリの自然で輝くような笑顔を見た時、柄にもなく舞い上がっちまった。

 出会った頃は、俺が37、レイリは12下だった。

 しかも、こちらには日々の生活費すらない。

 金すらないってことは、なんもない、そういうこと。

 街に居るたいていの女が、40近い金のない男を見る目を知ってるかい?

 いやはや、それは酷いもんだぜ?

 だけどさ。

 彼女は違った。

 くだらない話でも、真剣に聞いてくれたし、時々例の笑顔で笑ってくれたんだ。

 参るぜ、ほんと。

 それに、自分の話もしてくれた。

 友達の話とか、給料日が入った後に食べた料理の話とかさ。

 嬉しいもんだよ。

 好きな女が自分の話をしてくれるのを聞くのは。

 場所が、ゴミダメの様なキッチンでもな。

 今でも彼女の笑顔は頭のど真ん中にきちんと仕舞ってある。

 というか、焼きついて離れない。

 それと、青あざを作った、彼女の悲しそうな顔も。

 どちらが大切とかって、そういうことじゃないんだ。

 惚れた女の顔は、全て美しい。

 彼女の指も、首筋も、肩も。

 そして、彼女の心も。

 覗き込んだスコープから目を外し、遠くの空を見た。

 雲が多い。

 またぞろ、雪になりそうだ。

 もう少し。

 あと少し。

 レイリ。

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