第15夜 この塔

 塔の最上階のこの部屋の入り口近く、扉の真横に飯炊き用の竈がある。

 今日の釣果(鳥に釣果はおかしいか?まあいい)はゼロ。

 ゼロだ。

 ということは、それなりの飯を作ってもいい、そうだろう?

 前にも言ったと思うが、朝昼は煮炊きしない。

 見張り窓のそばを離れるのは、怖いし、竈の煙が見張り窓からモクモク、なんてのも御免だ。

 この塔は、廃墟だ。

 俺も鳥たちもそう考えて成り立つ。

 豆と芋のトマト煮込みがグツグツ煮えている。

 鶏ももか、ソーセージでも入れば、かなりいい線だ。

 発想はする。

 だが、想像すると途端に胃液が喉元までせり上がる。

 最近、肉が食えない。

 意識を逸らすように、見張り窓を振り返る。

 ああ、なるほど。

 立ち上った湯気は狭い部屋の真ん中あたりで天井に吸い込まれ、暗闇を四散している。

 ここで煮炊きする分には、窓から湯気が立ち上ることもないらしい。

 この塔の話はしたっけ?

 アトーンメント。

 塔を上る階段の一段目、壁に右手をついた辺りに、雑にそう彫り込まれていた。

 「アトーンメント

  〇〇ル〇ル5〇殿下に、永〇の忠誠を誓〇て。悲しみと罪の全てを〇〇〇て」

 そう書き込まれている。

 村に居るときも、街に居るときも、この塔の話は聞いたこともあるし、話題にしたこともある。

 大した話じゃない。

 ただ、「ハラルドル街道を抜けてあの塔の脇を通って」とか「塔の先の川向うにある畑」とかその手の場所を表す記号として。

 だから恥ずかしい話、この塔がアトーンメントという名前があることを初めて知った。

 生まれ育った地方なんて、たいがいそういうもんだろう?

 山とか川とかの名前、通りの名前は便宜上使っても、だいたいで構わない塔の名前なんて、誰も口にしやしない。

 「何て言ったっけ?あの北にある廃墟」とか「名前は知らんが、塔があるだろう?」で事足りる。

 ましてや、100年や200年じゃ効かないほど昔からある建物(遺跡や、名物にならない廃墟)なら猶更。

 ただ、この塔が、街の北からの侵入者を防いでいた塔だというのは、不思議と誰しも知っている。

 名前を知らなくても、使い方は分かる。

 そんなもの、この世に溢れてる。

 で。

 この塔で、この塔に相応しい仕事をしている内に気付いたことがある。

 まあ、湯気の話で大方察しただろうが。

 見張りには完璧だ。

 窓はそれほど大きくないが、この塔に近づくモノはほとんど見える。 

 自然の作りがそうなのか、そう作ったのか、身を隠しているようでも、塔からは丸見え、絶好の的。

 遠くの音も良く聞こえる。

 だから、鳥がよちよち歩きで近づいて来そうな日は、なんとなく分かる。

 微かに聞こえる突撃ラッパや、火薬の音で。

 まあ、元々勘はいい方だがね。

 それ以上に、情報ってやつは必要なのさ。

 ぼんやりと窓を眺めていると、焦げ付くような匂いに気付いた。

 しまった!

 …いや、大丈夫か。

 竈の火だけの暗い部屋の隅に腰を落ち着け、スプーンを口に運ぶ。

 うん、悪くない。

 味がしっかりしている。

 だが、こうして暗い部屋の隅で、窓から入る月明りを眺めていると、食事中だというのに無性に煙草が吸いたくなる。

 アトーンメント。

 贖罪の塔、か。

 具を避け、スープだけ掬って胃に流し込んで、スプーンを置いた。

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