第5夜 凡人の哲学

 人に説明しなきゃならないことは、沢山ある。

 そうだろう?

 でもよ。

 説明しても分からないモノは、あまり意味がないものだ。

 違うかい?

 そういうモノがあるのは分かる。

 知っている。

 だが、所詮説明が必要なうえに、理解されにくいなら、大っぴらに語るモノじゃあないってこと。

 そっと胸のどこかにしまっとけ。

 そして、何かのタイミングで話す機会が有ったら、今日は幸運に恵まれたと思って眠れ。

 そういう話だ。

 子供の頃、近所の医者を指差してあの人を見習えと言われ続けた。

 あるいは、大金持ちのファルクスさんの家を指差して。

 成功者の話を聞くのはいい。

 それは、希望が持てるからだ。

 希望。

 希な望み。

 だが、まあ、それ以外には大して役に立たないのはご存じの通り。

 その話を聞いて金が儲かるなら、この世に貧富の差はこれほどまでには広まらない。

 楽しい話だが、それだけだ。

 もちろん、含蓄のある部分もある。

 それは、毎日歯を磨けだの、朝ご飯は牛乳から飲み、次はスープにしろだの、家で口笛を吹くなだの、そういう点は、だ。

 だが、そういうことはだいたい母親が毎日、場合によっては毎時間言っている。

 つまり、特別な事じゃない。

 ただ、言う相手の社会的ステータスが違うだけの話。

 諸君らに憚りながらこの俺様めが教えるとしたらだ。

 弱者と貧困者、落伍者の言う事に、耳を傾けろ、だ。

 言う事を聞く必要は、一切ない。

 それは、その側にいる俺が言うのだから間違いない。

 穴に落ちた気分がどんなか知りたければ、穴の中にいる人間に聞くのが、一番真実に近い。

 だが、俺にも言い分がある。

 言い添えれば、俺にも若く、希望を持てる時代があった。

 例え、短くても、ボールを持てば、ボールを持ったことになる。

 そうだろう?

 だが。

 しかし。

 今の状況がすべてだ。

 ここでは、定時で歯を磨くことも、牛乳を口にすることもない。

 不可能だから。

 ほんとに?

 努力したのかって?

 いい線だ。

 つまるところ、俺は生まれてからずっとこの方、塔の中でもがいている。

 パーン。

 正解。

 そして、2日ぶりに鳥が一羽、天に飛び立った。

 ライフルの弾丸の加速付きで。

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