第4話

 小鳥の囀りで目が覚めた。

 一瞬、全てが夢かと思った。


 目を開けば木、木、木。緑ばっかり。

 足には足枷の感覚があるが、周りに男たちがいるような気配はない。

 なんだったんだ……?


 そこでふと、自分が転送の魔法を使いたいみたいなことを思っていたことを思い出す。まさか、あの土壇場で使ったの?


 体を起こしたいが動かない。転送には相当の魔力がいると聞く。ごっそり魔力を取られてしまったようだ。

 このままでは助かったのに、餓死してしまう。一難去ってまた一難。


 魔力不足の体で動くと死ぬんだろうか。初めての経験だから分からない。意識はしっかりしているのに、体が鉛のように重い。これ実はすでに死んでいるみたいなオチはないよね……?


 無理矢理体に力を入れて、隣の幹にしがみつくと体がミシミシいってるが、なんとか起き上がれた。全身凝ってるなって感じだ。

 木を伝い歩き、森を出ようとして思い止めた。僕は今、足枷をしている。身売りではないが、身売りだと思われて契約されたら……最悪だ。


 森の出口で悩んでいると、そこには大きい屋敷があった。そして屋敷の前には豪華な馬車。ここらへんの雰囲気には似ても似つかない上流貴族の馬車だ。

 じっと息を殺して馬車を観察していると、そこに刻まれていた紋様で目が止まる。


 魔女の横顔に、大きな薔薇が一輪咲いている紋様。知っている。これは、お母様の実家の紋様だ。

 僕は母方の両親は知らないけれど、紋様は見たことがある。一度、何かあったらこの印を探しなさいと言われて覚えたのだ。かなり特徴的で、プリーギアでは見たことがないようなものだったから、お母様に内緒で調べた。


 アルメリア王国の高潔な由緒正しい貴族。

 ヴァイス家。


 魔力の強い家系で、他の貴族とはまた異なる性質を持つ。貴族でありながらも政治や国勢に関係なく君臨し続けられる、魔法一家。

 魔女を先祖とし、魔力を崇拝する。


 しかし、それは表向きで、あまり良い資料は無かった。高潔な貴族というよりは、揺るがない地位に酔い自惚れた貴族という方が印象としては強い。

 プリーギア公国としては政に関われない貴族は即切られるので、その時はふーんとしか思わなかった。


 店から豪華なドレスを着た婦人と、それをエスコートするこれまた綺麗な服装に身を包んだ男性。後ろからは二人の子供がついてきている。


 四人を乗せ、馬車が動き出した。

 今しかない。大丈夫。話せば分かってくれる。

 痛い体を動かして馬車の前に立ちはだかった。

 魔獣の聖馬ペガサスが、前足を上げて止まる。


「お前! 危ないだろう!」

「ヴァイス家の方々ですか」


 馬車が急停止したのを不思議に思ったらしい従者が馬車から出て来て怒鳴ったが、それを華麗にスルーして馬車の中にいるヴァイス家に尋ねた。

 中から、当主らしき男性が出てくる。さっきエスコートしていた男だ。


「いかにも。ヴァイス家当主、カエルム・ファン・ヴァイスだが。私に何かようかね。少年」


 優しげに聞こえるセリフだが、明らかにこちらを警戒していて、棘棘しい視線が突き刺さる。

 僕は出来るだけ優雅に見えるように頭を下げた。


「僕は、アシェル・レイ・ディーベル。この度は母の実家である、ヴァイス家に━━」

「アシェル?」


 凛とした女性の声が聞こえて思わず顔を上げた。濃い茶髪に、つり目の綺麗な金色の瞳。お母様はタレ目だったけど、よく似ていると思った。


「はい。僕がアシェルです。母の名前はユリア」


 そう言うと、女性は不機嫌そうに眉を寄せたが、すぐに赤く塗った口をニヤリと歪めて嗤った。その笑い方には覚えがあって、背中が震える。

 人を蔑む者の目だ。


 選択肢を間違えたと直感した。


「へぇ。貴方が姉さんの子供なのね。随分と汚い身なりじゃない? 国を出たっていうのは本当らしいわね。当然の報いだわ」

「……ぇ」


 何を言われたのかよく分からなかった。分かりたくなかった。

 汚い身なり? 当然の報い? 僕の現状を知っているのなら、どうしてそんな酷いことが言えるのだろう。


 何も言葉が出ずにフラフラする僕の足を見て、鼻で嗤う。


「身売りの足枷ね。飼うには丁度いいじゃないの。いいわ、アシェル。お前の母が犯した罪をお前が償うのよ」


 お母様が犯した罪って何?

 助かったと思ったのに、これは何?


 訳が分からなくて、信じたくなくて、目の前が真っ暗になる。魔力も足りないし、限界だった。地面に膝を付き、倒れ込む。誰も手を差し出してはくれなかった。


 お母様の妹は、僕を冷ややかな視線で突き刺した後、優雅に馬車に戻っていった。




 ◆




 ヴァイス家に来て、三日。

 僕は風邪を引いた。


 元々、体は弱い方で寝泊まりする貸してくれた部屋も夏は暑くて冬は寒いという最悪の状況なので仕方のないことかもしれないが。

 ここ三日で分かったのは、ヴァイス家は僕を歓迎していないこと。そして、ヴァイス家の奥様からは、疎まれていること。それだけだ。


 僕はすでにこの家が嫌いだった。

 ヴァイス家当主は、奥様に逆らえない。魔女の末裔ということで女が強いらしい。子供は二人。こちらも最悪。


 初日、最低限のものを与えられて部屋で休んだ。魔力が回復しないからだ。一日もすれば半分ほどは治ったんだけど大事をとって、また休もうとしたら、幼い女の子と男の子が僕の部屋へ来た。


『あ! 新しい玩具おもちゃだ!』


 僕を指差してそう言った。

 考えられない発言だ。


 確かに、僕はヴァイス家で面倒を見てもらう側で、優遇されなくても我慢しなきゃいけないかもしれないけど物扱いはないんじゃないか。

 ヴァイス家の教育を疑う。


 そして近寄ってきた子供はまだ満足に動けない僕をベッドから引きずり落とした。髪を引っ張って。


『痛っ! ちょ、止めてください!』


 反抗すれば、パッと手が離された。

 頭がごつんっと床に当たる。クラクラしていると、二人の子供がじっとこちらを見ていた。


『お前は僕らのお陰で生きているんだから、反抗するな』

『貴方、裏切り者の息子なんですってね。貴方を生かしたお母様に感謝しなさい』


 わけが分からなかった。


 なぜ反抗してはいけないのか。なぜ感謝しなければいけないのか。

 こんな人権もないような状況でなにをどう感謝するのか。僕の母が奥様の姉ならば彼女たちとは従兄弟に当たる。血縁関係もある、身内じゃないのか。


 ヴァイス家という家は、本当に不気味で気持ちが悪い。皆、奥様を崇拝していて、狂っている。

 お母様が裏切り者って言うのも分からない。


 二日目からは、ずっと召し使いみたいなことをやらされて、やっと僕を酷使する気なんだと気がついた。母の罪とやらを償うために。


 そして今日、奥様に呼び出されて、契約をさせられた。部屋に入れば魔法をかけられ、動けない。何か呟いた後、服従の呪いが稼働したことに気が付いた。

 悲鳴をあげようとしても声すら出ない。これが圧倒的な魔力を誇るヴァイス家の力。


『これから、貴方はヴァイス家を名乗りなさい。ディーベルなんて賎しい名前を口にしたら叩くからね。いい? お前はこれからヴァイス家の物なの。逃げるんじゃないわよ』


 奥様はそう言って、僕を解放した。

 契約は最長の十年。そして家から出られないようになっている。気が遠くなりそうだった。絶望だった。

 そのせいか、熱が出て、ずっと部屋に籠っている。風邪を引いたと言えば誰も来なかった。ずっと籠っていたい。こんな汚い家を出たい。お父様とお母様に会いたい。

 弱った頭でそんなことをずっと考えていた。



 ふと、人の気配がして目が覚める。食事を運んで来てくれたらしい使用人が無表情で部屋に入ってきた。僕を見ることもしない。

 使用人が立ち去ろうとしたのを引き留める。なんとか裾を握った。彼女は迷惑そうに顔をしかめるが、そんなことに一々傷付いていられない。


「お願いします。お母様のことを教えて下さい」


 無表情の使用人の顔がピクリと動いた気がした。


「僕のお母様を、裏切り者っていうんだ」


 使用人は僕の手を振り払って身なりを整え、冷たい声で淡々と話した。


「……ユリア様はヴァイス家の次期奥様でした。高い魔力を保持し、朗らかで素晴らしい方でした。ユリア様には婚約者がおられて、それが今の当主様でした」


 抑揚のない声が空気を震わせる。


「しかし、ユリア様には想い人が居られたらしく、二人で駆け落ちしてしまわれました。ユリア様は、古く堅いヴァイス家が嫌いだと言って他国へ行かれたのです」


 真っ黒な彼女の瞳が僕を写した。

 怖い。


「ユリア様は、ヴァイス家を捨てました。使用人も、今の奥様も当主様も捨ててどこかの知らない貴族と逃げました。本当に、愚かしいことです。家を捨てて逃げる、なんて罪深いことでしょう」

「お母様が、愚かなんて……」

「愚かです。家を裏切ったのですよ。そのせいでエレナ様は愛し合っていた男性と別れて今の当主様と結婚したのです。全て、ユリア様の自分本意な行動のせいです。彼女が我慢すれば、全ては上手くいきました」


 親は、子供を利用するもの。

 知っている。僕はそれをよく知っている。だから、確かにお母様が犯した罪は許されることではない。家を裏切るのは重罪だ。


「そうかも、知れませんが……」

「かもではありません。多くの犠牲の上に、貴方の母は生きてきたのです。歴代の奥様は皆我慢して、家を治めたのです。ユリア様は、犠牲になる義務があった。たまたま、その星の下に生まれた。ヴァイス家の掟です。それを破ったのは他ならぬユリア様自身です。恨むなら、貴方の母を恨みなさい」


 冷たく言い放って、使用人は部屋を出ていった。

 お母様は、罪深い。そうかもしれない。だけど、可笑しい。やっぱりこの家は、異常だ。

 お母様は、この異常さに気付いた。掟を守り、慎み生きているようで、掟が全ての凝り固まった価値観。それを子供に引き継がせていく異常さ。言うなれば、洗脳に近い。

 掟が全て。掟が正義。無法者アウトローは除外せよ。


 使用人も、子供も、当主や奥様までも掟を守って生きている。それが全てで、それを破ったお母様は大罪であり、それを僕が償う。


 プリーギアですら、ここまで過激では無かった。使えないと思ったら即切り捨てる。親や家への忠誠心などはいらない。利益になるか、ならないか。それだけ。

 こんなに粘着質でドロドロしてない。


「なんで、こんな所……」


 今さら逃げたいと思ったところで僕には無理だ。十年経たなければ、解放されない。それまで、我慢。頑張るしかない。


 頑張らなければと思っていても、やっぱり不安で。寂しさを紛らわしたくて、何も考えなくていいように、大人しく目を瞑った。


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