第3話

 目が覚めたのは檻の中。

 ふっと意識が浮上して、ぼんやりする。


 ガタガタと不規則な揺れに頭を押さえた。


「なんだ……? ここ」


 荷台には僕しかおらず、鉄格子のはまった窓にへばりつく。

 外は見たことない景色で忘れかけていた恐怖がぶわっと背筋を駆け上った。


 お父様は? お母様は? 最期にアイツらはなんと言った?


『コイツ売ったら?』

「ぁ……うぁああぁああ!!」


 脳裏に響く声と、両親の笑顔を思い出して頭痛が酷くなる。吐き気も目眩する。


 信じたくない。死んだなんて、そんな。


「お父様、お母様ッ! う、ぁああぁ……」


 ポタポタと硬くて冷たい床に染みができては消えていく。嫌だ。死にたい。身売りなんて、そんな。


 視界の端に映る鈍色の金属。それはきっちりと僕の足に嵌まっていて、取れそうもない。そして感じる、呪いの気配。

 身売りが着ける、"服従の呪い"を施した足枷である。買ってくれた主と契約し、何年か経つまで外れない。一年か、五年か、十年か。


「嫌だ! 開けろ! 出して!」


 扉のようなところをドンドン叩く。

 誰かが助けてくれるはずもない。ここがどこかも分からない。隣国か、大陸を越えたかもしれない。


「帰して……」


 僕を、父と母のいた場所に、帰して。


 せめて、ありがとうと言いたい。

 今まで、育ててくれてありがとうって言いたい。

 僕たちは理想の家族とは程遠かったかもしれないけど、十分幸せだったんだ。お互いに、口に出さなかっただけで、互いを思いやっていた。

 最期は、せめて最期は、父と母を同じ墓に。

 土の下に、眠らせてあげたい。


「ごめん、ごめんなさい……」


 何も出来なかった自分が情けなくて、涙が溢れる。僕も、あそこで死ねたら良かったのに。


 再び涙が溢れようとした時、びくともしなかった扉が勢いよく開いて、その反動で外に飛び出そうになる。と思ったら鳩尾みぞおちに有り得ない衝撃が走った。


「かはッ……!」


 空気が腹から口へ抜けていく。胃酸が逆流するじゃないかと思った。


「げほっ! うぇッ……」

「吐くなよ。汚ねぇ。やっぱりコイツ、ちゃんと躾した方がいいんじゃねぇの? こんなんで売れるわけねぇじゃん」


 僕を蹴ったのはあの大柄の山賊では無かった。もっとガラが悪くて、極悪人みたいな顔をした男と、隣で下品な笑い方をする、太った男。


「貴族を躾とか超滾る。やりすぎて死ぬかもよ?」

「は? ふざけんな。手加減しろや」


 不機嫌そうな髭面の男とは対照的に、太った男はゲラゲラ笑う。

 そして、贅肉で隠れた目が開かれ、僕を捕らえる。悪寒が走り、思わず小さな悲鳴を上げた。


「君、さっきから煩いんだよね。檻を叩いたり、喚いたりしてたでしょ。基本的に無理やりの身売りはどこでも禁止されてるからさ、君は良いかもしれないけど俺らには都合が悪いワケ」


 男はニヤリと嗤う。


「そういう奴らを大人しくするために、俺がいるの。調教師とでもいうのかな? どうでもいいか。君は貴族サマだし、選ばせてあげるよ」


 男たちが檻の中に入ってくる。

 気持ち悪い、近寄るな、触るな、来るな。

 止めろ、止めろ、止めろ。


「精神的苦痛と、肉体的苦痛、どっちがいい?」


 そう問われた瞬間、本能的に逃げ出した。男たちの間をすり抜けて檻の外を目指す。が、ぐんっと右足が引っ張られた。


「ぎゃははは! お前の顔、キモすぎるから逃げたいんじゃね?」

「うるせぇな、お前は」

「デフデブ」

「死ね。さっさと捕まえろ」


 足枷には鎖があって、荷台に繋がれている。かなり長かったが、それでも距離に余裕があるとは言えない。


 髭面の男が近づいてきて、思わず体を固くしたが遅かった。また鳩尾を蹴られる。続いて顔を踏まれた。


「あんまイキんな。ガキ」

「おい、顔は綺麗なんだから汚すなよ。それで売れたりするからな」

「チッ」


 男は舌打ちをしてまた腹を蹴った。

 苦しい。苦しい。こんなの、こんなの耐えられない。せめて、殺して。もう、いいから。生きていなくていいから。寂しくて、苦しくて、目の前が霞む。


「お父様……」


 ここにきてもまだ両親を呼ぶ。僕は常に二人の加護下にいたのだと、今さらながらに実感した。

 髪の毛を引っ張られて顔を上げられる。

 男の顔が近くにあって、吐き気がした。男の瞳に映る僕は、酷く情けない顔をしている。


 このまま、この男に痛ぶられて死ぬのか。この男の手で殺される死ぬほど嫌だが、別段生きている理由もない。

 売られるくらいなら、いっそ殺して━━━


『アシェル』


ハッと思わず目を見開いた。


『人生を諦めてはいけない』


 脳裏に響いたお父様の言葉。


 "お父様とお母様が居なくなっても、惨めで這いつくばるようなことになっても、生きなさい"


 死んじゃダメだ。

 僕はまだ生きている。

 諦めちゃダメだ。

 お父様の最期の言葉に誠実に。


『人生を諦めてはいけない』


 僕は、その言葉のために生きるんだ。


 目の前にいる男をキッと睨み付けた。

 服従の呪いが施された足枷でも、まだ起動はしてないようだ。これなら、イケる。


 僕は魔法なんてほとんど使ったことがない。本を読んで知ったくらいで、実践は一度もしてない。ぶっつけ本番。やるしかない。

 無詠唱なんてしたことがないけれど……。

 詠唱をし出したらすぐにバレる。それで魔法を封じられたりしたら最悪だ。あの太った男は調教師だと言うし、魔力縛りとかも使えそう。


「なんだ、てめぇ。その反抗的な目はよッ!」


 ガッと顔面を殴られてふっ飛ぶが、男たちと距離ができた。


「てめぇ! だから顔は止めろって言っただろうが!」

「あぁん? うるせぇ! コイツが反抗的な態度を……!?」


 男たちが口論している間に鎖に手を当てて魔力を送る。お願い。

 焦りから、じっとりと汗が滲む。ちゃんと魔法が使えているだろうか。


 パンッという鎖が千切れる音に、男たちがハッとこちらを向いた。しかし一拍遅い。

 走っていく僕と、千切れた鎖。


「くそッ! あのガキ!」

「あははは! やってくれるじゃないか!」


 男が後ろから近付いてくるのが分かる。子供の僕と大人の男だったら、足の長さも違うしすぐに追いつかれてしまう。やっぱり、無謀だったのか。逃げずに逃亡する機会を窺った方が良かった?


「てめぇ! 殺す!」


 男が僕の腕を掴んで、剣を振り上げた。太った男の叫び声らしきものがさらに向こうから聞こえる。大方殺すなとでも言っているのだろうか。

 銀色の鋭い刃がギラリと光って目の前に落ちてきた。


 その時僕の脳裏に浮かんだのは、死にたくないって事と、恐怖と、お母様の実家に行かなきゃってことと、昔の文献で見た転送の魔法。これができれば、今すぐ逃げられるのに。

 頭で本に載っていた魔法陣を思い浮かべた瞬間、体がふっと浮いた。

 その感覚に目を開けば、あの男たちはいない。


 崖から突き落とされたような浮遊感。体から何かが抜けていく。魔力だ。僕の魔力が全て漏れていく。


 今度こそ、死ぬのかな。


 そう思って目を閉じた。


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