第5話

 掃除、洗濯。それの繰り返し。

 奥様に命令されて、逆らえず使用人と一緒にヴァイス家の屋敷を動き回る。使用人は僕がいると必ず顔をしかめるけれど、奥様にやれっていわれているんだから、仕方ない。僕にやらないという選択肢はないのだから。


 最初は確かに迷惑をかけていたと思う。何をしていいか分からなかったし、洗濯物を干すのもぐしゃぐしゃだった。掃除だって下手くそだし、お皿も割った。

 その度に使用人には睨まれ、子供たちには嫌味を言われる。


『そんなことも出来ないのか』

『わたくしの服を触らないで』

『何も出来ないのなら、もっと役に立ってみろ』

『早く出ていって』


 最初はつい貴族の時の癖で、言い返そうと思ったが、悪態をつこうと思うと声が出ない。どうやら奥様との契約に口答えしないというのが含まれているようだ。

 結局何も言い返せず、子供は僕を嘲笑ってどこかへ行く。悔しかったし、情けなかった。


 腹が立って何か仕返ししてやろうと思ったりしたが、お父様の遺言を思い出して気を静めた。お父様なら、きっとそんなことはしない。

 僕は惨めでも生きなければいけないんだ。僕が、ヴァイス家を利用しているんだ。


 大丈夫。大丈夫。


 自分に言い聞かせても、実際に言ってくれる人はいない。毎晩自分を抱き締めて寝た。いつか自由になることを祈って。




 十年後、僕は18歳頃になる。

 他の人たちは、学校に行って勉強しているけど僕は相当遅れをとる。それでは駄目だ。

 取り敢えず、勉強をすることにした。


 幸い、魔法一家ということで本や資料は恐ろしいほど充実しておりそこら辺の図書館よりもずっと本の数や種類は多い。

 一日に三時間、書斎の掃除がある。基本的に誰も僕と仕事をしたがらないし、書斎は物置みたいになっていて誰も近寄ったりしない。

 時々、当主様や勉強中の子供たちが取りに来るくらいだ。


 これは絶好のチャンスだ。

 埃だらけで広いし、少し掃除をしても気づかないほどだ。だったら掃除をしなくても気付かれないだろう。


 一日三時間。本を読むのには慣れている。


 僕は天井につくほどの本棚を見つめて、これを読破することを決意した。




 ◆




 三時間。たった三時間。


 それだけで、僕の人生は変わった気がする。

 知は力なり。まさにその通りだった。


 魔力の種類云々はまぁいいとする。

 自分が光闇の民であることは知ってた。


 ただ、光闇の民が呪いを解除する力を持っていることは知らなかった。あれだけ本を読んでおいてなぜだろうと思ったが、プリーギアで魔法の本は少ない。

 というか、魔力を重視しない国風なのだ。政治が全て。ヴァイス家とは真逆とも言えるだろう。


 と言うことは、この足枷も外せる……?


 試しに足枷に魔力を込めたが、駄目だと思った。魔力の消費が半端じゃない。

 すぐに魔力切れを起こして倒れてしまうだろう。

 しかも奥様のことだから、倒れた原因が足枷に魔力を込めようとしたことだとバレて契約に魔力縛りを加えられるかもしれない。


 慎重に。焦らずやることだ。


 新しい発見に僕は気分が高揚していた。

 だから、誰かが見ているかもしれないなんて、微塵も思わなかった。




 ◆




 それから、僕は魔力量を増やす練習を始めた。魔力が無くなって動けなくなる一歩手前で足枷に魔力を込めるのを止める。

 最初は体がすぐに怠くなって、次の日の仕事に支障をきたすことも多かったけれど今ではその辛さにも慣れてしまった。


 しかし、自分の魔力量が増えたとは全く思えない。足枷から吸いとられる魔力は変わらないはずなのに手応えがない。

 あれからもずっと書斎で三時間勉強をしているどほとんど本は読み終わった。

 転送の魔法についての文献は中々面白かった。珍しい資料もたくさんあって勉強になる。


 こうやって知識は蓄えているはずなのに、実践が上手くいかない。足枷に魔力を込めても底にたどり着く気がしない。

 最近では、魔力を込めるのを止めて魔法の練習をしている。魔力がつきるギリギリまで魔法を使うのだが一発デカイ魔法を使わないと魔力が全然減らないのでやはり魔力量はそこそこ増えたはずなのだが……。


 どうしていいか分からなくて途方に暮れる。

 二年。ここに来てから二年経った。僕は二年間もずっと魔力量を増やしているのに。


 ボーっと廊下の掃除をしていると、部屋から声が聞こえた。珍しい。いつも防音の魔法を使っているのに。

 中からは、奥様と、奥様の娘と息子の声がした。当主様はいないようだ。


「ねぇ、お母様。最近、アシェルが何を言ってもそうですね、しか言わないのよ!? 反応は薄いし、無表情だし。再教育が必要ではなくて?」


 あぁ、またか、と思った。僕もこの数年で大分耐性がついた。何か言われても悔しく思うことはないし、泣くこともない。

 飽きないなーと思うくらいだ。


 聞くのも面倒くさくなって、その場を離れようとした時、息子の嬉しそうな朗らかな声が聞こえた。


「え? 姉さん知らないの? アイツ、書斎で本みて勉強してんの。夜ね、足枷を外そうと四苦八苦してんだ。絶対無理なのに。それが面白くてさ! ね、お母様」

「えぇ。ヴェレダに言われて足枷を強化したのよ。ちょっとやそっとの魔力じゃ無理ね」


 足先が急速に冷えていく。

 バレていたのか。いや、足枷に細工を……?


 何から絶望すればいいのか分からない。

 あぁ、ここに来てから絶望ばかりだ。


「うーん、まぁでもアイツには飽きてきたなぁ。二年も見てるし。ねぇ、お母様。僕ね、魔獣が欲しいの」

「あれは10歳になってからでしょう?」

「えぇー!! でも僕、魔力量は多いし、絶対に進化させられる自信ある! お願い! その代わりアシェル玩具を捨てるから!」


 玩具って、僕のこと?

 待って、今捨てられたらどうなるの?


「しょうがない子ねぇ……。いいわ。買ってあげる」

「やったあ!」

「アシェルを十年もうちに置いておく義理も人情もないもの。奥方としてアシェルを掟破りと罰したから反感はないでしょう。用済みね」

「待って、お母様。それならアシェルを私にちょうだい!」


 キャアキャアと騒ぐ声が遠くに聞こえる。

 捨てられる。それは僕のプライドを大きく傷付けた。

 ヴァイス家を利用していたのは、僕。そう自分に言い聞かせてきたのに。

 捨てられるわけにはいかない。これ以上、無様になりたくない。逃げる。なんとしてでも、この命をかけても、逃げる。


 魔力を使いすぎると死ぬこともある。それは本に書いてあった。体力の代わりともなる魔力を失えばダメージは大きい。

 お父様は生きろと仰った。だが、己を曲げろとは言われていない。


 絶対に、生きて、逃げる。


 僕ならできる。


 掃除道具を片付けて、急いで部屋に戻った。途中で使用人とすれ違ったけれど、誰も声はかけなかった。いつもなら仕事を押し付けられていたけれど、この時僕は怒りに燃えていたから多分凄い顔をしていたに違いない。


 部屋に戻ってペンダントを握る。

 お母様が首にかけていたのを僕にくれた。あの、荷馬車の中で。

 これが唯一の、親の形見だ。


「……お父様、お母様、力をお貸しください」


 このペンダントには、魔力強化の効果があって、自分の魔力量を少し増やしてくれる。

 屋敷から出られるギリギリの裏口のところで足枷に魔力を込めた。多分だけど、奥様は追ってこない。娘の方は知らないけれど、奥様は完全に僕を捨てる気だった。


 ここさえ、出られれば僕は自由だ。


「ふっ、くっ……」


 駄目だ。やっぱり、キツイ。底なし沼みたいに終わりがない。


 死ぬ、と直感で思った。


「ぅあ!?」


 がくんっと体の力が抜ける。腕も出せないから、顔面から地面に転がった。


「いって……」


 生きている。外に出られた……?


 転がった反動で、裏口からは数メートル離れている。成功したのだ。が、体が動かない。転送の魔法を使った時以来だ。


 見つかる。このままでは見つかっては、努力が水の泡だ。

 僕は、覚悟を決めた。


 震える腕を無理矢理動かして、指で地面に魔法陣を書く。いつかのために考えていた僕専用の、転送の魔法陣。これで少しは魔力が少なくてすむといいのだが……。

 ナイフは無いので、地道に力の入らない手のひらを石に擦り付ける。血が滲んだところで勢いよく魔法陣を手のひらで叩いた。


 唱えればまた、魔力量の消費は減る。


「『我に宿りし民の血を、今汝に与えよう。どうか僕を……導きのもとへ………』」


 僕を助けてくれる、人のもとへ。


 パリンッとペンダントが割れる音とともに、淡い光が僕を包んだ。


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