第1話

 僕の人生は、決して不幸なものでは無かったはずだ。


 アシェル・レイ・ディーベル。

 プリーギア公国の一級貴族であるディーベル家に生まれた艶やかな黒髪に蜂蜜みたいに潤んだ金箔の瞳を持つ少年。

 一族は代々国の経済を管理する機関の上の方に地位を置いていて、家はとても裕福だった。食後には必ずデザートがあり、家は国から支給されたものなので大きくて広い。使用人は10を越え、アシェル様、アシェル様と持て囃された。


 そんな、根っからの貴族で、不自由を知らず空腹を知らず闇を知らない僕が、幸せでないはずがない。

 お父様ともお母様とも僕はあまり関わったことがなかったけれど、寂しくは無かった。なぜなら、どの家も貴族というのはだから。僕だけじゃない、上流階級の貴族の子供とは、愛を知らないものだ。親は国の情勢とお金にしか興味がなく、子供はその道具。そんなもんだ。


 使用人には可愛がられたから、別に寂しくはなかった。独りで泣くこともないし、親は金にしか興味のないものだと日々教育されてきたようなものだったから、将来自分も子供にこんな思いをされるのだろうと思っていた。

 国のために、利益のために、利用し利用される。この国ではそれが常識で一般的で幼い子供が寂しいと感じることすら無くなるような、そのくらい当たり前のことだった。


 時々、平民の地域へ足を運ぶことがあった。僕は本が好きだったから、平民の地域にしか売られてない珍しい国外の本や、図鑑。もちろん国のためにはならないようなそんな娯楽のものばかり。挿し絵だけのものもあったし、異国の言葉もあったけれどそれが尚更僕にとっては新鮮だった。


 親にはいい顔をされなかったけど、何も言われなかった。それを良いことに僕はよく市の本屋へ訪れた。(従者に言って買ってもらうことも出来たが、やはり本は自分で選びたいし、手にとって立ち読みしてみたい。)


 平民の地域は一言で言えば汚い。そこら辺にゴミが散らばっていて、道もぼこぼこしてて靴が汚れる。本屋は好きだったが、この平民の地域は好きじゃなかった。市で売られている食べ物は美味しくなさそうだし、鼻につく腐敗臭がしたりする。

 そのなかで暮らす平民は平然と歩いていたが貴族だった僕はどうも嫌いだった。なぜこんなにも汚いのか、もっと整備すればいいのに。人を雇えばいいのに。こんなのだから誰も来ないんだ。旅人も、他国の人々も。


 プリーギア公国は旅行客がこの大陸でもすこぶる少ない。僕はその原因がこの市にあると思った。こんな汚いところでは、誰も楽しめない。


「お、坊や。いらっしゃい。今日も来たのかい」


 黒髪と珍しい金色の瞳も見えないようにフードを深く被った僕に、本屋の老人話しかける。僕は挨拶もせず、素通りした。

 いつものことだ。僕が来る度にこの老人は挨拶をして、僕は無視をする。老人は僕が挨拶をしても、怒る様子もなくいつもニコニコしていた。

 僕は平民も嫌いだった。汚い場所に住んでいる人達もまた、汚く感じてしまう。老人のしわしわの顔を見ていつも顔をしかめる。

 そんな僕は、いつまでも子供で甘くて世間知らずで、貴族だった。



 平民の地域へ行くには、必ず貴族の住む地区を抜けなければならない。そこでよく目にするもの。

 服従の呪いを施された足枷をつけている少年少女。時々大人。身売りの商人たちである。


 彼らは声を張って貴族たちの注意を引く。身売りはこの大陸でもプリーギア公国で需要があった。僕よりも少し大きな子供が雇ってくださいと声を上げている。


 親のいない子供は、まずこうやってお金を稼ぐ。普通に稼ぐよりも、服従の呪いを施した足枷をして、身売りをした方がずっと儲ける。

 誰もやりたくないような下働きをされられるが、その対価は普通のうん十倍。

 皿洗い、庭の掃除、便所の管理、そんなことをするだけで一日平民の一ヶ月分の賃金を貰える。

 まぁ、貴族では一日も足りないだろうが。


 足枷をしていれば、契約期間は主の契約内容に反抗できない。一年、五年、十年の区切りで契約をし、その間だけ服従の呪いがかけられる。

 なんのことはない。賃金だけ受け取り逃げることがないようにとか、スパイだったりするのを見抜くために嘘をつかせないとか。

 ただ、家での扱いが必ず良いとは言えない。物のように手酷く扱うところもあれば、普通の従者のように待遇がよかったりする。

 それは自分の運次第。孤児の中には扱いが酷くてもお金が大事って言う猛者もかなりいるから、それすらも覚悟の上だろう。


 身売りを振り返りもせず、真っ直ぐに森を目指す。昨日新しい本を買ったから、今日はいつもの場所で本を読みたかった。


 貴族の地区からも平民の地域からも外れた、そこだけ切り取られたように静かで優しい場所。


「皆、今日も来たよ」


 森の中へ入れば白い光がふわふわと木々の周りに舞っている。風が吹いて、可愛らしい子供のような高い声が聞こえた。


 "クスクス、クスクス。いらっしゃい。神聖な森へいらっしゃい"


 白い光が僕の周りをぐるぐる回る。なんとなくこそばゆくて、身を捩った。


 僕は光闇の民で、その中でもかなり特殊な魔力を持つらしい。お父様もお母様も濃い茶色の髪なのに、僕だけが黒髪だし、瞳の色も家族はもっと薄い。


 聖霊に愛される、特別な光闇の民らしい。

 興味ないけど、こうやって森の聖霊と話せるのは嬉しかった。聖霊の知能は低いがなんとなく挨拶くらいはできる。それが嬉しかった。


 椅子のような切り株に座って本を開く。木漏れ日が丁度良いライトになって聖霊たちを明るく照らす。


 "クスクス、クスクス、クスクス……"


 聖霊が囁き合い、笑い声が風に乗って運ばれる。


 まさに神聖だと感じれるようなそんな時間。

 汚さも煩悩も嘘も闇も、何もない無垢な場所。


 この時間が僕は何よりも好きだった。




 ◆




 僕の人生が傾いたのは、ある日の夜。


 いつもと変わりなく、自室で本を読んでいた。

 そこにノックが響いた。使用人のノックではない。拙い、いつもと違う響き。


 なんだか嫌な予感がした。


「……アシェル。入るぞ」


 返事をする前に扉が開いた。

 息子とは言え、返事をする前に部屋に入るのはどうなんだ、と若干憤りながらもにっこりと微笑みを浮かべる。


「どうなさいました。お父様」


 入ってきた父はとてつもなく顔色が悪く、酷く窶れていた。

 思わず首を傾げる。

 ここまで覇気の無いお父様は初めて見た。


「お父様?」

「……アシェル……」


 お父様は縋るような視線を僕に向け、膝を突いて頭を下げた。僕は驚いて椅子から立ち上がる。

 息子に頭を下げる親がどこにいるんだ。止めてくれ。


 そんな思いで慌てて口を開くが、気は動転したままだった。それほど異常事態なのか、嫌な予感が本物になっていく。


「すまん……! アシェル、すまない!」

「え、お父様!? どうなさったのですか! 息子に頭をお下げるなんて……!」

「アシェル、国を、出るぞ」

「……は?」


 国を出る? どうして?

 呆然としていると涙目のお父様と目が合う。


「な……んで。どうして国を」

「不正が、見つかった。いや、違う! アルベル家が……!」


 そう叫んだお父様は僕の視線に気づいたのか、ばつが悪そうに顔を背けて立ち上がる。


「全ては私が選択を誤った。アルベル家に唆されて、国の金に手を付けたのが間違いだった。清算しようとした途端、これだ。私の落ち度だ。すまない、アシェル」


 国の金に手を出すのは貴族でも重罪を免れない。当主は良くて無期刑、悪くて極刑。一族は皆投獄だ。


「……利益の……ためですか」


 利益のために、僕を巻き込んだのか。


 告げられたことが信じられず、なんとか絞り出した言葉は弱く、情けないものだった。

 お父様は何も言わない。

 泣きそうになりながら次の言葉を待った。


「……そうだな」


 身体の力がふっと抜けた気がした。

 結局、父も己の利益のために動いた。利益を得るために、国の金に手を出した。この国ではよくある自分本意な行動。別段驚くことでもない。

 なのに、どこかやるせない気分になる。


「結局は、己の利益のために動いたのかもしれない。言い訳はしない。お前にも親らしいことは何も出来なかったからな」

「そ、んなの」


 親らしいことなんて、僕は望んでいない。

 そう言おうと思ったのに、声が出なかった。親なんて子供には興味の無いものだ。

 今さら、期待させるようなことを言わないで。


「最後は、家族で……」

「なんで!」


 なんで家族なんて言うの。今までなにもしてこなかったのに。


「なんで今さらそんなこと言うの?」


 そう言うのが精一杯で、叫んで言おうと思っていたことは全て吹っ飛んだ。


 しってる? 親って子供を愛するものらしいよ。子供を守って、育てて、愛を与えるものらしいよ。


 そんなの、僕は感じたことない。


「ごめん、ごめんな」


 初めてお父様の口調が崩れた。

 多分、こっちが本当のお父様なんだろうけど、どうでもよかったし、構う余裕が無かった。


 お父様は何も言わずに部屋を出ていった。

 溢れるのは涙ばっかり。悲しいのか、悔しいのかよく分からない。


 今度は控え目なノックの音が響く。

 知ってる人物だ。


 返事をしなかったらゆっくりと扉が開いた。


「……無礼だぞ、ルドルフ」

「お許しください、アシェル様。旦那様は……」

「なんだ。お前までお父様の味方をするのか。下がれ」

「……少しだけ、老人の戯言をお聞きください」


 ルドルフは使用人の中でも古株で、お父様が子供の頃から遣えている。当然お父様の幼少期も知っているだろう。


 ルドルフと話すのもこれが最後だと思って口を嗣ぐんだ。それを肯定と取ったらしいルドルフは静かに話し出した。


「……旦那様は……シャルレイ様は、静かなお子様でした。そうですね、アシェル様のような本ばかり読むお子です」


 シャルレイはお父様の名前だ。

 どうやら本当に昔話をするらしい。


「シャルレイ様はいつも寂しそうで、独りでした。もちろん、言葉にはなさいませんし、表情も豊かな方では無かったので分かりにくかったですが、わたくしには分かりました」


 ルドルフは目尻のシワを深くして微笑む。

 僕は黙っていた。


「シャルレイ様は、幼少期、寂しかった思いを引き摺っているのだと思います。そんな思いを、自分の子供にはさせたくない。ずっとそう思っていたと思います」

「……今まで僕がお父様を父と感じたことはなかった。話すこともないし、お父様は僕を避けていたように思ったが?」


 睨み付けてそう言えば、ルドルフは困ったような泣きそうな顔をする。


「そうですね。アシェル様の仰る通りです。しかし、弁解させて頂くならばシャルレイ様も、知らないのです。子供の愛し方を。ご自分が愛されたことがないから、アシェル様を愛せないのです」


 僕は黙った。確かにそうかも知れないと思ったから。僕だって、自分の子供に無関心になるのだろうと思った。自分がそうされたから、子供には同じことか出来ない。


「奥様も嘆いていらっしゃいました。我が子との関わり方が分からないと。母というのは子供にまた特別な愛情を感じるようです。ずっとアシェル様を気にかけておりました。平民の地域へ下るのも危ないから止めて欲しいと仰っておりましたよ」


 今さらだ。

 今さらそんなこと言われたって、何ができる。すでに僕らは終わってしまった。

 お父様が不正をして、罪を問われる僕たち。

 鼻を啜りながら涙する僕にルドルフは一礼して出ていった。



 戻れるならば、戻りたいと思った。


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