第20話

 荷物を鞄に積めるが思ったよりも重くはない。キャリーバックみたいなのに服やら何やらを押し込んでいく。

 鳥籠は手に持っておこう。この数週間ですっかり薄緑色になった翠は今日も日夜を問わずぐーすか寝ている。

 左耳にピアスを嵌めたら一階からネージュの声が聞こえた。


「ティナー! 準備できたぁー?」

「できたー! 待って、今行くー! ……あ」


 荷物を持って部屋の外に出たらふっと腕が軽くなる。目の前にはアシェルがいた。


「持つよ」

「ありがとう。アシェル、荷物は?」

「魔法で仕舞ってあるから大丈夫だよ。いざとなれば転送の魔法を使えばいいし」


 一晩かけて荷造りしたのにアシェルの前では無駄なことだった。転送の魔法、私も習おう。


 一階に降りれば、玄関にはネージュと父さんと母さん。ネージュも当たり前のように荷物を持っていない。


「ネージュも持ってないの!?」

「え? うん。魔法で仕舞えばいいじゃない」

「私だけ荷物持ってて恥ずかしい……」


 ネージュもアシェルもテストはほぼ満点だったから当たり前のことかもしれないけど、手ぶら二人の間で荷物を背負うのはキツイ。


 ネージュは少し考えてから、アシェルが持っていた私の荷物を一つ持つ。


「なに? 僕が持ってるんだけど」

「いちいち棘のある言い方するよねぇ。ほら、これで三人皆荷物を持ってるってことになるよ」


 ネージュがにっこり笑って私を見た。

 母さんのため息が聞こえる。


「ティナ、ネージュに心配かけちゃダメよ?」

「うっ、はい……」

「まぁまぁ。でも、いいなぁ。アルメリアの魔法学校なんて研究し放題じゃないか」


 母さんが私を咎めるように言い、父さんがそれを諫める。最近はヘーメル内でお金が回るようになったので、前ほど焼けてない父さんが楽しそうに笑った。


「やぁね。貴方がアルメリアに行ったら私が独りじゃないの」

「でも、羨ましくないかい? ティナもアシェルもネージュも、ここでは出来ないことを沢山してくるんだよ」


 父さんは大きな手で私たち一人ずつの頭を優しく撫でた。

 父さんは、ヘーメルから出たことはほとんどない。ずっとこの地で過ごしてきて、母さんをお嫁に取った。

 父さんこそ、アルメリアに行きたかったに違いない。アルメリア行きを許可したのも父さんだとアシェルから聞いた。


「アシェル、ヘーメルのことは私に任せておくれ。数年だったら私だって管理できるさ」

「ありがとうございます。お願いします」

「とにかく楽しんでくるんだよ。ヘーメルに戻ったら問答無用で忙しくなるんだから、今くらい遊んだらいい」

「はい」


 父さんがアシェルの肩を軽く叩くと、外からがらがらと馬が車を引く音がした。私たちは皆留学生の扱いなので、アルメリアの方から使いを寄越すと連絡があった。ぶっちゃけアシェルがいればアルメリアなんてすぐだと思うんだけど、長い旅路を満喫するのも良いだろうと思って馬車で行くことになった。


「馬車が着いたみたいね」

「じゃあ、そろそろ行こうか」


 アシェルとネージュが父さんと母さんにお辞儀をして玄関を出ていく。両親二人を見れば、優しげに私を見ていた。

 荷物をその場に置いて、抱きついた。


「……行ってくる」

「ふふふ、行ってらっしゃい。楽しんでくるのよ」

「父さんたちのことは気にせずに、頑張るんだぞ。アシェルとネージュと仲良くな」


 抱き締める腕に力を込められれば泣きそうになった。父さんの茶色い髪にも、母さんの綺麗な赤毛にも白髪が混じっている。

 父さんが庭に出ることが少なくなったのも、きっとヘーメルにお金が回ったことだけが理由じゃない。


「大好き、父さんも、母さんも大好きよ。帰ってきたら絶対親孝行するからね」

「あらまぁ。親孝行なんて腐るほどされてるのに。でも、一つ我が儘をいうなら、帰ったら結婚式をしてティナの晴れ姿を見たいわ」

「うん、うん。父さんは?」

「え? うーん、友達を沢山作るんだぞ!」

「分かった!」


 外からネージュの急かす声が聞こえたので三人で外に出る。

 ネージュたちがすでに乗っている車の部分は想像していたものだったけれど、馬が……。これは馬か?

 見た目は馬そのものだけど、背中に羽みたいなのがついてる。色が水色だし、ペガサスって言われた方がしっくり来る。

 恐らく魔獣だ。


「ティナ、君に聖霊のご加護を」

「怪我と病気には気を付けるのよ」


 父さんと母さんに見送られて馬車に乗る。中は思ったよりも広かった。私の荷物が無かったらさらに広かっただろう。

 この馬車に御者はおらず、ペガサスが一声鳴いて動き出した。三人で窓から顔を出す。


「行ってきまーす!」

「行ってらっしゃーい」


 少し遠くに手を振る両親が見える。

 あぁ、本当にヘーメルを出るのだ。


「ティナ、大丈夫?」


 私の不安そうな顔を見て、アシェルが心配そうに聞く。私は緩く首を振った。


「不安と期待が入り交じったって感じかな。怖いけど、やっぱり学校はワクワクするし」

「ティナ、大丈夫だよ。僕がいるからね」


 アシェルが私の手を握って真剣な表情で私を見つめた。


「あのぉ~。馬車でイチャつくの止めてもらえます?」


 ネージュが嫌そうに顔をしかめる。私が思わずパッと手を離すと、今度はアシェルがむっと眉間にしわを寄せた。


「ネージュ、余計なこと言うなよ」

「いや、本当のことでしょ? こんな密室で二人がイチャイチャしてたらこっちは息苦しいっつーの!」


 ネージュが噛みつかんばかりの勢いで叫んだ。アシェルはため息をついて顔をしかめた。


「あのアシェルをこんなに懐柔してるなんてねぇ。恋って偉大だわ~。私も早く婚活しようかな」

「ネージュが? 絶対に無理」


 アシェルがからかうように嗤うと、ネージュはぴくりと片眉をあげる。


「はぁーん? 私のどこが無理なのよ!」

「そう言う気の強すぎるところでしょ。昔はもっと丸かった記憶があるけどな」

「どこの記憶と比べてるのよ! ほとんど話したこともなかったじゃない。私だって成長したの」


 ふいっとお互いにそっぽを向いた二人をまぁまぁと落ち着かせる。犬猿の仲って言葉が似合うほどこの二人は合わないようだ。


「アシェル、ネージュにひどいことを言っちゃだめだよ」

「ティナはネージュの味方するの?」

「え? 別にそういうわけじゃないけど、アシェルはネージュに対しての当たりが強すぎるよ」

「そーだ、そーだ!」


 ネージュが加勢するように声を出す。アシェルはむっと顔を歪めたが、すぐに無表情になった。これが私と二人きりだったら絶対に頬を膨らませて駄々を捏ねてる。

 ネージュの前で子供全開にするのはさすがにプライドが傷付くらしい。


「ネージュは婚活したいの?」


 じーっと目で訴えてくるアシェルを無視してネージュに話を振るとネージュはうーん、と悩んだ素振りをしてから口を開いた。


「そうねぇ。でも、アシェルとティナを見てると結婚したくなるな。ほら、アシェルの一途なところは凄くいいし」

「タイプとかある?」

「イケメンで、声が良くて、優しくて背が高くて私よりも強い人」


 理想高いね、とは言えなかった。だって、イケメンで、声が良くて、優しくて背が高くてネージュよりも強い人が私の目の前にいる。

 つーんっと窓の外を向いているけど、確かにネージュの理想がそこにいた。


「アシェルとか理想そのままじゃない」

「えぇー? アシェルはぜんっぜん優しくない。ティナ以外に優しくない奴をどうやったら好きになれるの? あと、粘着質でやだ」


 ネージュがあり得ないとばかりに手を振る。アシェルはギロリとネージュを睨んだ。


「ティナのタイプとかないの? アシェルと結婚しちゃったけどさ。聞くくらいいいでしょ。アシェルも気にならない?」


 また矛先が自分に向かった。

 ネージュは私の肩に腕を回してにやりと笑う。


「タイプ……タイプね。うーん」


 取り敢えず前世でのゲームや漫画でよく推してたキャラクターを思い浮かべればいいか。確か……


「黒髪で、背が高くて、声が良くて聡明で優しいけど、ちょっと腹黒い人」


 私の好きになる推しのタイプ。

 言い終わるとアシェルもネージュも驚いたように私を見ていた。


「え、何?」

「なんだよ!! 結局ノロケかよ!」


 ネージュが有り得ない言葉遣いで叫ぶ。都会の小説やらなんやら見出してから言葉遣いが悪くなった。切実になおして欲しい。

 アシェルも周りに花を飛ばしそうなほどふわふわ幸せそうな笑顔だし……。そりゃ、私はアシェル推しなんだから、タイプがドストライクなのは仕方ないよね?


 馬車でわいわい話していると、いつの間にかアルメリアに着いていた。外の風景を見れなかった! と嘆いているとネージュから、あのペガサスもどきはめちゃくちゃ足が速いからどっちにしろ外は見れなかったと言われた。

 馬車の意味。




「すごい………」


 大きな大きな校舎にアンティーク感溢れるこれまた大きな時計。ゲームのオープニングそのまま。

 感嘆のため息が漏れるのはネージュも同じだった。


「パンフレットで見たよりもずっと大きいのね……」


 私の言葉にネージュも頷く。

 正門から校舎に伸びる煉瓦の道。両端には大きな木が道を囲うように並んでいる。

 木々の隙間から、中庭のような校庭が見えて魔法学校の制服である黒いローブに身を包んだ学生が魔法の練習をしていた。


「どうしよう。私、上手く魔法使えるかな」

「大丈夫。僕が教えてあげる」

「アシェルは隣のクラスでしょ。ティナには私が教えるから」


 アシェルがチッと舌打ちをしてネージュを睨んだ。ネージュはふんっとそっぽを向く。

 いや、本当いろんな意味で不安になってきた。


「遅くなってごめんね」


 その後もぎゃあぎゃあ五月蝿い二人を諌めていると、目の前に背が高めの、黒いローブに身を包んだ人物が表れた。右胸辺りには緑色の勲章がある。


 クリーム色の癖のない髪に、輝く金色の瞳。少し目尻の垂れた顔は幼くて可愛らしい。


「君たちがヘーメルの留学生であってる? わぁ、本当、綺麗な緑の瞳をしているんだね!」


 私の瞳を覗き込んで嬉しそうに微笑む青年に、私は見覚えがあった。思わず口を押さえて悲鳴を出しそうになるのを必死に抑えた。


「貴方、誰ですか」


 アシェルが私を庇うように前に出る。不愉快そうな声をアシェルが出すが、青年は怒るわけでもなく焦ったように手を振った。


「あぁ、ごめんね。私はリヴァート・マオ・アルメリア。アルメリア王国の第一王子だ」

「第一……王子?」

「今は只の学生さ。同い年だろう? 気軽にリヴァと呼んで欲しい。今日は君たちを案内するように学長に言われたんだ。ティアナ、アシェル、ネージュで合ってる?」


 私はこくこくと言葉も発せずに頷いた。ネージュは普通に返事をし、アシェルは警戒心剥き出しで軽く頷く。

 リヴァートは華が綻ぶようにふわりと微笑んだ。


 私は確信した。

 リヴァート・マオ・アルメリア。愛の魔法を君にの攻略対象者。優しくて、フレンドリーだけど実は腹黒な王子様。声が好き! 萌え!


 ゲームの記憶を掘り返していると、気が付けばネージュとリヴァートは先に校舎へ向かっていた。私も慌てて後を追おうとしたのだが、ぐいっと腕を引かれる。

 アシェルだった。


 なんだろうと暫く見つめ合っていると恋人繋ぎにされた。ますます不可解な表情をすれば、むすっと頬を膨らませて口を尖らせた。


「浮気したら絶対に許さないから」


 私は驚いて目を見開く。

 浮気。リヴァートに見惚れていたのが浮気予備軍に認定されるのか。

 え、アシェルだってフレシア様と腕組んでなかった……? 私だけ理不尽じゃないの?

 黙っていると手を握る力が強くなってアシェルの指が食い込んで痛い。


「大丈夫。浮気なんてしないよ」

「でもさっき見惚れていた」

「アシェルがいるのに浮気なんてするわけないでしょ? ね?」

「……見惚れていたのは否定しないんだ……」


 拗ねた顔から今度は泣きそうな顔をする。

 手のかかる男に育ってしまったなぁ……。いや、私が悪いのか。

 ふぅ、とため息をつけばアシェルがびくりと肩を揺らす。


「アシェルだけだよ。私が好きなのはアシェルだけ」

「僕……だけ?」

「そう。アシェルだけ」


 頷いて肯定を示せば、ふわっと幸せそうに笑う。背中に白い羽根が見えそうなほどの凄まじいエンジェルスマイルである。


 きっとこれから、実に充実した日々が待っている。アシェルと一緒に、夢の学校生活を送れるなんてこんな素敵なことはない。


 自分の幸運に感謝しながら、私は輝く学校生活に思いを馳せて一人微笑んだ。


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