第19話

「ティナにあげたいものがあるんだ」


 私の体を抱き締めながら、アシェルがごそごそと身動ぎをする。私はまだ鼻を押さえていた。


「これ」


 アシェルの手にあったのは、小さなピアス。金色のしずく型の石の中に、黒い星屑みたいなのが散りばめられていて、すごく綺麗。


「すごい……綺麗」

「気に入ってもらえたようで何よりだよ。つけてあげるから耳かして」


 その言葉を聞いて私は思わず顔を強張らせた。

 このアクセサリーはどう考えてもピアスだ。だが、今の私にはピアスの穴なんてない。


「それ、どうやってつけるの?」


 まさかぶち抜いたりしないよね?


 私の不安を知ってか知らずか、アシェルは何でもないように衝撃の言葉を私に浴びせた。


「刺す」

「待って、怖い怖い怖い! 刺すって何!?」


 急いでベッドの上を転がって反対側に避難する。私も昔はピアス穴の一つや二つは開けてたけど、ちゃんと病院に行ってやったから安全ピンとかではしたことがない。いや、安全ピンより悪そうだ。バイ菌が入ったらどうするんだ!


「なんで逃げるの」

「だって、怖いもん! 絶対痛いし!」

「まぁ、ピリッとはするかもしれないけど……。ティナにこれあげたかったのになあ」


 アシェルが寂しそうに目を伏せた。


「これ、既婚の証なんだよ。ここら辺ではどうなってるのか知らないけどプリーギア公国では既婚者の女性は皆、左に耳飾りをしているんだ」


 つまり、プリーギア公国でピアスをするっていうのは日本で指輪をしてるみたいなものか。

 "結婚してください"って言って指輪をあげるようなものなのか。

 それは確かに大切なものだ。

 受け取らないとか、つけないなんてそんな失礼なことはない。アシェルの男としての矜持を傷付けるようなことは出来ない。


 私は痛みを覚悟してアシェルの前に立った。


「せめて一思いに刺してください。絶対にグリグリしないでよ」

「……善処します」


 ピアスの先端は私の知っているものよりも鋭い。これだったら一思いにぶち抜けるはず。

 ぎゅっと目を瞑って衝撃を堪えるために足を踏ん張る。しかし、いつまで経っても痛みはこない。


「……アシェル……? いっ!」


 うっすら片目を開けたら耳たぶにちくっとした痛みが走った。


「痛い?」

「じんじんする」

「なんか、涙目なティナを見てるとゾワゾワするんだけど」

「はあ!?」


 思わず睨み付けると愉快そうに笑われた。

 何ですか! ドS追加ですか! 要らないんですけど!


「本当は治癒してあげなきゃいけないんだけど、いつも僕が甘える側なのに涙目で……ねぇ? 何て言うの? 自分が支配できてる優越感?」

「知るか! 治せるなら早く治して!」


 私がギロリと睨むとアシェルが渋々耳に手を翳す。揺れた冷たい石が肌に当たった。

 呪文を唱えてもらうとすっと痛みが引いていった。


「指の傷も治しておいたから」

「うん。ありがとう」


 指を確認すると確かに傷が塞がっているように見える。小さな傷だったからよく分からないが。


「外出禁止一週間はさすがにもうないよね?」


 にっこりと微笑んで聞くとアシェルが唸った。


「えー……。どうしようかな」

「何言ってるの。アルメリアに行くんだからお家でゆっくりしている暇なんてないんだからね」


 胸を張ってそう言えばアシェルは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 やっぱりアルメリア行きは許可しなかった方が……なんて呟いているがすべて後の祭りだ。


 アシェルがうんうん唸っていると、扉が凄い勢いで揺れだした。ぎょっとしているとアシェルが面倒くさそうに顔をしかめる。


「嫌なのが来た……」


 ため息をついて手をひらりと振ればドアが勢いよく開く。


「あ! やっと開いた! あれ? 二人とも一緒なの?」


 開いた扉からは超絶美少女が転がり込んでくる。私とアシェルを視界におさめてにんまりと笑った。


「ははぁーん。その様子だと上手くいったのね? 結婚おめでとう、ティナ」

「え!? どうして知ってるの!?」


 ネージュは意味深に笑ってから私の左耳につい先ほど付けられたピアスを指差す。


「それ。プリーギアでの婚約の証だよ。しかも金色! アシェルの瞳の色じゃない。自分の色のアクセサリーを相手に上げるのは最高の求愛なんだよ」


 ネージュは楽しそうに笑ってアシェルを小突く。


「よくやったねえ! ヘタレのくせ……おっと。ここで魔法はヤバイって!」


 アシェルが無言で光を放ってそれをネージュが避ける。光はそのまま直進して窓ガラスを割ってしまった。


「うるさい。ホントに一言多い。何なの?」

「心から喜んでいるんだよぉ!」


 にまにまと容赦なくアシェルを弄るネージュが恐ろしくなった。アシェル以上に加虐的な趣味がありそうだ。


「ティナも行けるんでしょ? アルメリア!」

「そう! そうなの! アシェルが良いって」

「やったね! じゃあまずは受験勉強だよね」

「……受験?」


 上がったテンションが急激に低下していく。

 ネージュは固まった私を見てゲラゲラ笑う。


「だってアルメリアの魔法学校だよ? 入学試験を受けなきゃ入れないよ~」


 私、特待生の国外枠だし。

 そう言ってネージュは笑うが私は笑えない。受験とか試験とか嫌な思い出しかない。

 机に積み上げられた参考書たちを見てうんざりした日々。時間がないと焦った深夜。徹夜して覚えた単語たちは土壇場になってぶっ飛ぶ。

 すべて私が悪いのだが、あの焦りや不安はどうも苦手だ。


 固まった私の前でネージュが手を振る。


「おーい。聞こえてる? うーん、貴族の留学生でも一応受験しなきゃいけないからな……」

「なら、僕が教えるよ」


 ネージュが難しい顔をした時、黙っていたアシェルが手を挙げた。


「勉強なら一通りできるよ」

「まぁ、アシェルだしね。逆に出来ないことを知りたいわ」


 ネージュが胡乱げにアシェルを見た。

 そしてパチンッと手を叩く。その音にハッと我に返った。


「よし! じゃあ、未来の妻を面倒見てあげてね。アシェルがティナを合格させるんだよ!」

「未来じゃない。すでに妻だから」

「気にするのはそこなの……?」


 ネージュは呆れたようにアシェルを見た。

 どうやら私は期待されていないらしい。アシェルの働きにかかっている……と。


「入学云々の面倒くさい手続きはアシェルがしてくれるよね?」

「なんで僕が……」

「次いででいいからさ。ね? お願い」


 ネージュが可愛らしく首を傾げて手を合わせるがアシェルは靡かない。ふんっとそっぽを向いて拒否を表す。


「何よ……。そっちがその気ならこっちだって。ねぇ、ティナ?」

「え!?」


 空気がピリッとした中で何故自分に矛先が向くのか。お願いだから二人でやっていてくれ。これからの勉強を考えると頭が痛い。


「ほらぁ、ティナが言ってるよ! "私の友達に優しくないアシェルは嫌いっ!" って!」


 私は驚いてネージュを二度見した。

 私の声真似が恐ろしいほどよく似ている。絶対何かの魔法だ。

 アシェルもばっと勢いよく振り向いた。その顔は絶望で染まっている。


「き、嫌い……?」


 ネージュはすかさず私の背後に隠れる。


「"そうだよ! ネージュに優しくないアシェルなんて嫌い!"」


 腹話術みたいにされているけどそんなこと思ってない! ブンブン首を振るがアシェルの顔がどんどん曇っていく。


「"嫌い! アシェルなんか嫌いよ!"」

「や、止めて。分かった。手続きをすればいいんでしょ!!」

「本当!? やったあ! アシェルってば優しいのねー!」


 ネージュはころっと態度を一変させて華が咲いたように微笑んだ。アシェルは瀕死寸前。


「魔法って分かっててもその声で拒絶されると辛い……」


 アシェルがげっそりとネージュを睨む。

 ネージュはご機嫌そうに鼻唄を歌っていた。


「うふふ、じゃあ、よろしくね!」


 キラリと白い歯が光りそうなほどいい笑顔を浮かべて、ネージュは立ち去った。

 一番怖いのはネージュかもしれない……。

 内心ぞっとしているとふわりと暖かい体温に包まれる。


「アシェルは抱き着くのが好きだねぇ……」

「うん。安心するから。ねぇ、ティナ。好きって言って」


 アシェルが甘えるような声を出す。私は仕方ないなぁと笑って背中に腕を回した。


「好きだよ」

「もっと」

「アシェルが好き」

「うん。僕も」


 背の高いアシェルの髪には手が届かない。その代わり、アシェルが私の髪をさらりと撫でる。立場が逆転したようなその状況に思わず笑った。


「ティナ、やっぱり一週間外出禁止ね」

「え!? なんで!?」


 いきなりのことにビックリしてアシェルの胸を押し返した。が、すぐにまた抱き締められる。


「だって、ティナ、勉強しなきゃ」

「うっ……!」

「遊んでる暇はないよ」


 痛いところを突かれる。私は項垂れて下を向いた。


「妻が夫の部屋に居るのは何も不思議なことはないから、心配しないで」


 おいおい、待て待て。嫌な予感しかしないぞ。


「一週間、みっちり個人レッスンだから」


 アシェルのうっそりとした微笑みに背筋が凍る。アシェルが手を振ると机の上にドサドサと本が落ちてきた。恐らく、参考書__のようなもの。


「さぁ、覚悟して?」

「ひぃぃぃぃ!」


 その後、父さんと母さんに結婚の話をすれば、まだしてなかったのかと逆に驚かれた。婚姻届けとかもここら辺では無いらしく、お互いの好意を確認して夫婦ということになるらしい。思ったよりも結婚への概念が緩い。まぁ、ヘーメルだけかもしれないが。


 アルメリアに行きたいことも、全てアシェルによって筒抜けだったらしい。

 一週間アシェルの部屋に閉じ籠ると言えば何とも言えない生暖かい優しげな視線を貰ったが、父さんたちが考えるようなことは何もない。

 ただひたすら勉強しただけです。


 朝起きて、勉強して、ご飯食べて、勉強して、お風呂入って、勉強して、アシェルと添い寝する。そんなことを一週間繰り返したらもう私はほぼ屍だった。

 単語とか全部横文字だし、聞きなれない言葉ばっかりだし、教科が魔法ってだけで勉強の本質は何も変わらない。


 しかもアシェルはスパルタで容赦がなかった。


『ティナが行きたいって言うから、僕も極力協力してあげたいんだ』


 天使の微笑みを浮かべてそう言ったが絶対嘘だ。泣きながら問題を解いてる私をうっとりと楽しそうに見ていたじゃないか!!

 反抗してやりたかったが、そんな暇もない。取り敢えず詰め込め作戦。私の嫌いなやつ。


 スパルタ勉強合宿一週間から約数週間後。

 合格通知が届いて点数がギリギリだったことを知り、アシェルのスパルタは間違ってなかったと痛感するのはもう少し先の話である。



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