第6話

「思い出せない……?」


 私が言葉を反復すれば、アシェルがビクリと肩を揺らした。


「思い出せないの? 本当に? 何も?」


 アシェルは小さく、ほんとに小さく頷いた。私はさっと顔を青くする。


 やってしまった。

 一番してはいけないことをしてしまった。まさかの記憶喪失。ヴァイス家に届けるどころじゃなくなる。というか、軌道修正出来なくなる!


 下を向いたまま何も言わないアシェルの肩を掴めばひぃっと小さく悲鳴を上げた。私が凄い形相だったからかもしれない。


「ねぇ、アシェル。何でもいいの。思い出して。じゃないと貴方を帰せなくなっちゃう」


 私の言葉にアシェルが目に涙を貯めた。なんだか私が苛めてるみたいですごく罪悪感があるけど、これは譲れない。推しの明るい未来のためなのだ。


 じっと見つめているとアシェルは我慢ができなくなったのか、ポロリと一粒涙を溢した。


「む、無理……。思い出せない……」

「ほら、何か引っかかるなぁとか、ない?」


 ふるふると首を振って否定を示すアシェルに私は頭を抱えてしまった。


 何が悪かった。あれか、助けたのがすでに間違いだった? 運んでいる最中に頭をぶつけてしまったのかもしれない。可能性は十分ありそうだ。ヴァイスって試しに言ってみようか。なにか思い出すかも。


 口を開きかけた時、アシェルが私の手をぎゅっと握った。

 慌てて鼻を押さえる。いよいよ右手が洗えなくなってきた。


「ティアナ……さんはどうして僕をお家に帰したがるの?」


 不安そうな、こちらの反応を窺うような上目遣いで見られる。

 ティアナさんとか初めて呼ばれた。


「え? アシェルは帰りたくないの? 私が責任を持って送るから危険は無いし、お家の人も待って___」

「いやだ!」


 突然叫んだアシェルに今度は私がビクッと肩を揺らした。金色の瞳が怪しくゆらゆら揺れている。


「いや、いやだ。帰りたくない。誰も僕のことなんか、待ってない。あんな場所、二度と……!」

「え……?」


 わけが分からずに目を白黒させた。

 帰りたくない? あんな場所? 記憶喪失は? え、意味が分からない。


「……思い出せないんじゃ……?」


 恐る恐るそう問えばアシェルはハッと顔色を変えた。

 まさか記憶喪失って嘘?


 頭がこんがらがって来たので取り敢えず近くにある椅子を引き寄せて座った。どうやらゲームとは異なる事情があるようだ。よく分からないが。


「アシェル。何があったのか教えてもらってもいい?」

「……」


 アシェルは反応を示さず、下唇をきつく噛んでいた。


「アシェル」

「絶対に、絶対に、僕を帰さない?」


 諭すように名前を呼べば、アシェルは両手を握ってこてんと首を傾げた。

 こいつ……あざとい!


 悶絶しそうな仕草だが、言われている内容はかなり頭が痛くなることだ。

 帰さないってことはうちに留まるってこと? それともどこか孤児院とかに行くのか。いや、そんなことを言えば父さんたちはアシェルを止めてうちで面倒見るだろう。


 困ってうーんと唸っているとぎゅっとさらに強く握られた。


「お願い、ティアナさん」

「えぇ、うーん、じゃあ、一応……」

「ありがとうございます!」


 後々の逃げ道が欲しくて視線をそらしながら言うとアシェルはパアッと表情を明るくした。私の手をパッと離して身なりを整える。


「僕の本名は、アシェル・レイ・ヴァイス」

「え!?」

「本当はこの名前名乗りたくないんだけど一応、ヴァイス家に生かせてもらってたから」


 ヴァイス!? え、もう既に姓がヴァイスなの!?


 どういうことだ。君は身売りの商人から逃げてきたところじゃないのか。そもそも時系列が違う……? というか、生かせてもらうって何?

 お世話になったとかじゃなくて、生かせてもらう? 不穏な響きだ。


 もんもんと考えている間にもアシェルの話は続く。


「もともと姓はディーベルで、プリーギア公国の貴族だったんだ。だけど……」


 アシェルは言葉を切ってぎゅっと拳を固く握った。


「だけど、お父様が……不正してて、それを糾弾されたんだ……他の貴族から」


 悔しそうに唇を噛み締めて私を盗み見た。目があったので首を傾げるとアシェルが重々しく口を開く。


「驚かないの? 不正だよ? 貴族の不正」

「え? あぁ、うちは貧乏貴族だからよく分かんないや。プリーギア公国じゃないし」


 そう言えば、そっかとアシェルが自嘲ぎみに笑う。


「プリーギア公国では貴族が一番だから、貴族の不正はとても重い罪なんだ。僕たち家族は刑罰を恐れて国を出た。だけとその途中で__山賊にあってお父様とお母様が死んじゃった」


 ぼんやりと金色がくすんで淡くなる。


「……僕も、殺されると思った。けど違う。何故か僕だけが助かって、身売りに出されたんだ。信じられなかった。死ぬよりよっぽど怖かったよ。だって、僕は貴族だ。洗濯も、掃除も知らない貴族だったんだ。身売りなんて、未知の領域で、恐ろしかった」


 アシェルはおもむろに手を足枷に当てる。ちょっと力を入れれば簡単に外れた。

 呪いが解けてしまえば金属より脆いと父さんが言っていたが本当だったようだ。


「怖くて怖くて、逃げた。母方の家に行こうと思った。それがヴァイス家だよ。何かあればここに行けって国から出る時に言われたんだ。死ぬ気で走った。幸い、僕は商品だったから呪いは発動されていなかったんだ。どのくらい歩いたかは分からないけどなんとか助かった。生きた心地がしなかったなあ」


 アシェルの瞳に涙は浮かんでいなかった。

 ただただ暗くて、ぼんやりと金色に緋が混ざったように色がグニャリとしている。


「けど実際、僕は助かっていなかった。ヴァイス家の人たちは僕のことを蔑んで見たんだ。彼らは僕の両親のことを嫌っていたようだった。

 あの家での扱いは身売りと変わらなくて、召し使いみたいに命令されて、誰も僕のことを人じゃないみたいに扱うんだ」


 すうっと音もなくアシェルの涙が頬を伝った。手が荒れていたのも、足が霜焼けでボロボロだったのも全てそういうことか。

 ゲームでもヴァイス家はアシェルを酷使したのだろうか。分からない。そこまで詳細が書かれていた記憶がない。


「思い出せないなんて嘘をついてごめんなさい。僕も助かるなんて思わなくて。死ぬ気であの森に走ったんだ。呪いを解いたら動けなくなっちゃって」


 アシェルはすっかり綺麗になった自分の手を見つめる。そして私を真っ直ぐに見つめた。


「お願いします。ここにいさせてください。自分のことは自分でするから。君はいい人だ。聖霊たちもそう言ってる」


 私の手を握ってアシェルが訴える。

 やっぱりそうなるのか。


「お願い。なんでもするよ。僕、掃除も洗濯も一通りできる。寝る場所だけでいいから」

「だめって言ったら?」

「ティアナさんのお父様とお母様にお願いする」

「……なるほどね。いいよ。分かった。」


 結果は変わらないのか。父さんたちに直訴するのは正直正解だ。変わらないのなら、ここで拒んでもしょうがない。


「え、いいの? 本当に?」

「うん。だけどちゃんと父さんたちにお願いしてね」


 アシェルはパチパチと瞬いて、ふんわり笑った。


「ありがとう。……優しいんだね」

「そうでもないよ」


 私が優しいんじゃなくて、そこまで追い込んだアシェルが凄いんだよ。

 苦笑すると、アシェルも笑った。


「じゃあ、早速父さんのところに行こう。アシェルのこと、心配してたから」

「う、うん!」


 アシェルはベッドから降りて少しフラついたが、なんとか歩けるようだ。


「あ、父さん!」


 アシェルを支えながら階段を降りたらすぐ下に父さんがいた。あの麦わら帽子を被っていて嬉しそうに笑っている。


「おぉ、ティナ。少年が起きたんだろう?」

「うん、そうなの。どうして知ってるの?」

「聖霊に教えてもらったのさ」


 聖霊が万能すぎて怖い。


 階段から降りきって父さんを見上げた。


「彼、アシェルっていうの」

「アシェルだね。よろしく」


 父さんがアシェルを撫でようと手を伸ばすが、アシェルはすっと私の後ろに隠れた。身長は私よりも小さくて細いのですっぽりと隠れる。


「アシェル? どうしたの? 私の父さんよ」

「ご、ごめんなさい……。でも、大人は怖い」


 アシェルが身売りだったと知っている父さんは気にした様子もなく、心配そうにアシェルを見ていた。


「そうか、いきなり悪かったね」

「い、いえ……」


 目を合わさずにずっと下を向いている。

 大丈夫かな? 本当に直訴する気あった?


「あのね、父さん、アシェルをこのままお家にいさせてほしいの」

「え? 彼にも家族がいるだろう?」

「それがね……」


 アシェルの話を私がすると、父さんの顔がどんどん険しくなる。


「そんなことが……」

「そうなの。だから、彼をお家にいさせてあげたいの」

「あの、僕、頑張ります。なんでもできるように頑張るので……」


 アシェルも必死に言葉を紡いだ。

 険しかった父さんの顔はふんわりと柔らかくなる。


「私もできれば君を助けたい。君がいいならずっとここにいればいいよ」


 優しく父さんがそう言えばアシェルの瞳がうるっと涙で滲む。


 かくして、私の推しが我が家に住まうことになったのだ。


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