第7話

 可笑しい。

 どう考えても可笑しい。


 遠い目をしながらぼんやりと空虚を見つめる。私の腕の中ですやすやと気持ち良さそうに寝ている少年の髪から同じシャンプーの香りがした。

 推しがここにいるのに安眠できるわけもなく、私はひたすら思案していた。

 何故こうなった?……と。



 私の推し、アシェル・レイ・ヴァイスは甘えん坊で寂しがり屋である。


 これは私が最近しみじみ思うことだ。今ならこれでレポートが書ける。いや、書かせてくれ。


 彼は色々な意味で私の期待を裏切った。


 前世の記憶を持つ私の中には18歳のアシェルがしっかりくっきり形成されている。黒髪に、金色の瞳。そこは変わらない。

 彼は現実主義者で夢を見ないタイプだった。目にすることが全てだし、人の気持ちだって信じない。人間不信なのだ。

 基本無口無表情で、最低限のことしか話さないし、笑わない。彼が笑うのはヒロインがアシェルの告白を受けた時だけである。ふっと嬉しそうに口角を上げるだけなのだが、それでも私たちアシェル推しにとって、それがアシェルの最高の笑顔。


 そんなレベルで彼は笑わない。アシェル推しの私でさえ、彼が微笑んだのを見たのはこのスチルのみだ。

 そもそも人が嫌いだし、潔癖症。『君、汚い』大賞があれば確実に優勝間違いなしである。


 正直言えばそれが私の中のアシェルであり、全てだった。いや、まぁゲームだし、それ以上もそれ以下も無かったんだけど。


 だからこんなのは可笑しい。

 私と添い寝とか死んでもしないだろう、あの潔癖は。



 事の始まりはアシェルが目覚めて、父さんと母さんに居候を許して貰ったあの夜だ。


 まだアシェルの部屋が……というかベッドが完成していない状態なので必然的に私と同じ部屋になる。床に寝ると言い張って聞かないアシェルに折れた私はしぶしぶ自分のベッドで寝ることにした。


 その夜だ。多分真夜中。

 しくしくと泣くような声で目が覚めた。最初は風の歌か、また聖霊の声が聞こえたのかと無視していたのだが、なにぶん泣き声は怖い。


 びくびくしながらも目を瞑るが泣き声は止まない。それどころかひどくなっている気がする。そもそも窓も開けてないのに風の声が聞こえるのはおかしいのだ。……だったらこの声はなに?


 人は恐怖を感じると動けなくなる。私はしばらくベッドから起き上がれなかった。どうか泣き声が止んではくれないかときつく目を瞑り、祈るように手を握る。


 しかし、声は止まない。私は我慢ができなくなった。一刻も早くこの恐怖の空間を終わらせたいという衝動に駆られたのだ。

 幽霊などとは断じて思っていない。幽霊なんて非科学的だ。現代日本に生きてきた私が幽霊なんて夢想なものを信じるはずがない。

 魔法が存在するこの世界で私の考えこそ間違っているだろうが……。そこは気にしない。


 心の中で血の涙を流しながら泣き声のする方に顔を向けた。布団の擦れる音がやけに大きく聞こえた。


「……え、アシェル?」


 そこにいたのはミノムシみたいに布団を被って丸くなっているアシェルだった。


 泣き声は確かにそこから聞こえている。

 私の恐怖はなくなって、どっと疲れた。


「アシェル、起きてるの?」


 そう問うが、返事はない。鼻水をすする音が響くだけである。


 私は首を捻った。


 アシェルが泣いている? 何か不満でもあったのだろうか。それとも悪夢にうなされているとか?


 取り敢えず肩を揺らすが、涙に濡れる睫毛が震えることはない。ただしくしく泣いている。


「アシェル」


 一言、そう呼べば、カッと彼の瞼が開いた。驚きで声も出せずに仰け反ると、ガシッとアシェルの手が私の腕を掴んだ。

 いきなりの事に悲鳴を上げそうになるが、アシェルの瞳にハッとした。目が金色じゃない。


 闇に溶けそうなほどあかかった。


「……アシェル……?」


 思わず名前を呼べばガバッと腹周りを抱き締めてきた。ぐえっとカエルが潰れたような声が出る。


「ア、アシェル。どうしたの? 泣いてたの?」


 苦しいながらもそう聞くが、アシェルはぐずぐずと鼻を鳴らすだけだった。まだ泣いているらしい。


「嫌なことでもあった?」


 こくん、とやっと反応を示した。こちらの声は聞こえているようだ。寝惚けてはいないらしい。


「怖い夢でも見たの?」


 ぎゅうっとさらに腕に力を込められた。

 苦しい。


「アシェル、大丈夫だからもう寝なさい」


 お母さんが子供を諭すように背中をさすりながら、優しく言った。遠い昔の記憶だが、前世の母親がこうしてくれていた気がする。


「怖い。やだ」

「大丈夫だよ」

「また、あの家に戻った夢を見た。暗くて、一人で、今までのが全部夢だったんじゃないかって」


 そう言ってまたぐずぐすと泣き出す。


 私はどうすることも出来ない。子供の面倒なんて見たことないし、アシェルは離してくれそうにない。こんな時はどうするのだろう。床で一晩中抱き合っていたら風邪を引いてしまうだろう。


「アシェル、一緒に寝る?」


 ゆっくりと、アシェルが私を見上げた。

 緋色の瞳はじわりじわりと金色に戻っていく。


「ねる」

「よし、じゃあ寝よう」


 よろよろのアシェルを引っ張って二人でベッドに潜り込む。私の腹部がお気に召したようでまたお腹に腕を回されて抱き締められる。無論、アシェルの顔は私の胸辺りにある。幼児体型だから許される格好だ。


 そのまますぐに寝てしまったアシェルを眺めて私も抱き締め返した。アシェルがよく眠れるように。


 その時から。たしか、その時からだ。

 アシェルが私によく甘えるようになったのは。


 次の日、家にネージュが来た。

 ネージュはアシェルが起きたのを喜んでいたようだったが、アシェルはネージュにかなり怯えていた。ずっと私の手を握っていて、驚いたり、緊張すると強く握る。安心させようと握り返すと今度は私の背後に隠れる。


 いや、仲良くなれや。


 心の声が漏れそうになるのをぐっと抑えて取り敢えずアシェルをネージュの前に押し出した。恨みがましく私を睨むが知らない。ネージュは明るくて気さくな子だから人見知りのアシェルでも絶対仲良くなれる。


 ネージュの勢いに圧されながらもなんとか握手を交わして"お友達"になれたようだ。アシェルは終止顔が引き釣っていて、握手が終わるとすぐに私の手を握ってまた背後に隠れる。


「人見知りなんだねぇ」


 なんてネージュは言ったが、私はアシェルを睨んだ。態度が悪い。

 私の視線に気付いたアシェルは涙目になって私を見つめる。ネージュに謝りながらその日はお開きとなった。


 そう、アシェルは極度の甘えん坊で寂しがり屋だった。


 やっぱり根は貴族なのだろう。幼少期はぬくぬくと温室で育てられたに違いない。しかも彼は一人っ子だったはずだ。そりゃあワガママ甘ったれ小僧になる。


 しかし、二年間、彼はひどい扱いを受けてきた。誰にも頼らず、ひたすら蔑まれる日々。私の知っていたストーリーと異なる部分も多いが、彼が辛い日々を送ってきたことに変わりはないだろう。あのまま行けばアシェルは間違いなく無口無表情の潔癖になっていたはずだ。


 だが、私が助けたせいでそれが崩れた。色んなことが中途半端になってしまい、こうやって我慢できない甘えが出てきてしまう。この二年間、我慢してきた甘えだろう。


 勿論、その気持ちは分かる。誰だって助かったと思ったら甘えたくなるものだ。だか、しかし、それを私に向けるのはいかがなものか。自分と同い年の女の子に甘えるって恥ずかしくないか?


 父さんや母さんの前ではひたすら大人しい。全然喋らないし、未だに緊張しているようにも見える。

 ネージュの前では終始私の後ろにくっついて離れない。最近やっと目を見て話せるようになってきた所だ。


 一度、夜中トイレに行きたくなってアシェルを起こさないようにベッドを抜け出したことがある。トイレから帰るとアシェルが起きて泣いていた。わけが分からずに部屋のドアを開けたまま立ち尽くしていると、猪の如く私に突進して抱き着いてくる。


 そして、罵倒された。


「バカ。なんでいなくなるの。ティナのバカ。一緒にねるって言ったのに」


 元貴族のアシェルの悪口ボキャブラリーはバカしかない。可愛いものだ。


 いや、そこは問題じゃない。問題はトイレに行っただけでアシェルが泣いたことだ。別に対して長くも無かったのに目を覚ましてしまったのは本当に間が悪かったと言わざる終えないが。

 本当に寂しがり屋なのだ。寂しくて死んじゃう、と言われても確かに、と納得してしまう程。


 そして今もまだ添い寝をしている。

 今日、アシェルのベッドが完成したのに、私の部屋に来て当然のようにベッドに潜り込んできた。驚いて唖然としていたらアシェルはすぐに寝てしまっていた。


 はぁ、とため息を吐く。

 この甘えん坊体質は本質的なものか、治せるものか。治せるものなら治したい。将来が心配だ。


 マザコン息子を持つ母親みたいなことを考えていると、ふとアシェルが身動ぎした。


「眠れないの?」


 寝たはずのアシェルが突然声を出す。

 私は驚いて一瞬反応が遅れてしまった。


「怖い夢でも見た? 寝るの怖い?」

「ううん。アシェルのことを考えていたんだよ」


 私がそう言えば、アシェルはパチパチと目を瞬かせる。暗闇で金色が点滅した。


「僕のこと?」

「そうだよ。アシェルのベッドが出来たのにどうしてそっちで寝ないのかなって。折角父さんが作ってくれたのに申し訳ないよ」


 私の腹に回った腕に力がこもる。さらさらの髪が私の首を擽った。


「うん。分かってる。折角領主様が僕のために作ってくれたんだ。だから、ちゃんと寝るよ」

「そっか。良かった」

「ティナと一緒に」

「は!?」


 思わず叫んでしまった。何故私が一緒なのか。


「だって、ティナが言ったじゃない。僕と一緒に寝てくれるって。僕、ティナがいないと眠れないんだ。またあの悪夢にうなされるんじゃないかって怖いんだ」


 月明かりが部屋に射し込んで、アシェルの横顔を照らす。金色の瞳は涙で潤んでいた。

 私はとにかくこの目に弱い。

 この涙目をされてしまうとなんでも許してしまう。


「じゃあ、一緒に寝ましょうね」


 結局こうやってアシェルを甘やかしてしまうのだから、私も相当だ。

 たとえ、アシェルが甘えん坊で寂しがり屋で、私の知っている彼じゃ無かったとしても、私は彼が好きなのだ。どんなアシェルでも私の推しであることに変わりはない。

 甘い。つくづく私はアシェルに甘い。

 これはもう、前世を持って生まれてしまった瞬間からそうなっていると諦めるほかないだろう。推しに甘いのは、きっと誰でも同じだ。惚れた弱みと言うやつか。


 アシェルが私を強く抱き締める。私も抱き締め返せば、アシェルは喜んだように頭を私の胸にグリグリと押し付けてきた。



 そして私はいつも思うのだ。

 私の推しは、やっぱり可愛い__と。



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