第5話

 お風呂から出て洋服を取りに部屋へ戻ると、黒髪の美少年がベッドで寝ていた。無論、アシェルである。


 タオルで髪を適当に拭きながらベッドに向かう。恐る恐る覗けば、アシェルは無防備に寝ている。

 私は思わず鼻を押さえた。


 破壊力。これぞ推しの力。

 初めて見たショタアシェル。くっそ可愛い。


 顔がにやけるのを必死で押さえながら一人で悶える。まだ洋服を着ていないので端から見れば下着姿の変態に見えるかもしれない。

 しかし、今の私にそんなことは全く関係ない。推し(しかもショタ)に出会えた感動にうち震えていた。


 手を握ろうか握るまいか思案していた時、ガチャリと部屋の扉が開いた。


「ティナ!? あの男の子を連れてきたって……」


 入ってきたのはネージュだった。

 ネージュはポカンと口を開いて私を舐めるように見る。私は下着姿で、ベッドに眠るアシェルの隣に突っ立っていた。


 二人できっちり5秒見つめ合う。


「……何してるの?」


 私はいそいそと服を取り出した。





 ◆





「私、もう死んでいい」


 私が顔を手で覆い、そう言えばネージュが呆れたように私を見る。


「あの変な場面を私に目撃されたから?」

「それもある」

「他にもあるの?」

「こんな美少年に出会えたことが感激なんだよ……」


 ネージュは首を不思議そうに傾げた。


「確かにこの領地じゃ見ないほど美少年だけど……。ティナってそういうの興味あったんだ」

「いや、うん、まぁ……」


 推しだからです、とは口が裂けても言えない。


 ネージュはジト目で私を睨んだあと、まぁいいや、と椅子に座った。私も小さなテーブルの向かいにある椅子に座る。


「にしても、すごいね。領主様から聞いたよ? ティナ一人であの男の子運んだんでしょ?」

「あぁ、うん。でも、ヘーメルの森も手伝ってくれたんだよ」


 私があの夜起こったことを詳しく説明すれば、ネージュは驚きながらも感心しているようだった。


「はぇぇ……。そんな不思議なことが……」

「でしょ? 木が、こうやってね、ぶわあって!」


 腕を大きく振って、木の大きさをアピールした。


「私も見たかったなあ。今日はティナとケーキ作ろうと思ってたんだけど無理そうだね」


 ネージュはベッドをちらりと見てから肩を竦めた。


「私にできることがあったら何でも言って!」

「ありがとう、ネージュ」


 タヤの果実が沢山入った籠を持ってネージュは家に帰って行った。私もアシェルの面倒を見なくては。





 ◆






 それから、2日たったがアシェルは未だに目を開けない。誤算だったのは、ネージュと話した後、アシェルが呻き出したことだ。


 驚いてベッドに駆け寄れば、アシェルは凄い汗をかいて唸っていた。顔は真っ赤になっていて、手先は冷たいのに額は驚くほど暑い。


 アシェルは熱を出したのだ。

 私はパニックになってしまって父さんに泣きついた。父さんも苦い顔をして、危ないかもしれない、なんて言う。医者は隣の領地にしかいないし、そもそも診てもらえるだけのお金がない。


 私は必死で看病した。父さんと母さんに手伝ってもらいながら頑張った。

 本当に、よくやったと思う。


 私の看病のお陰か、熱はほとんど下がっている。呼吸も落ち着いているし、いつ目覚めてもおかしくないのに、綺麗な瞼はピッタリ閉じたままだ。


「もう2日も経ったのに……」


 アシェルの額を触っても焼けるような暑さは感じない。医学の知識を持っていない私はなんでアシェルが目を覚まさないのか全く分からない。ほんと、役に立たない前世だわ。


 聖霊に聞こうとしてもあの日のようにはっきりと言葉が聞こえることは無かった。


 はぁ、とため息をついて夕日に照らされる美しい横顔を凝視する。目の保養だ。麗しい。


「え……?」


 ぼんやり癒されているとピクリとアシェルの白い手が動いた気がした。勢いよく美少年の顔を見れば、長い睫毛がふるふると震え、金色が溢れるように瞼から覗く。


 夕日に負けないほど強い金色は、アシェルの濡れるような黒髪によく合っていた。


 長い睫毛を靡かせながらアシェルは瞳をパチパチと瞬かせる。金色を世話しなく動かして、ピタリとその双眸が私を捉えた。


「ぁ……え……?」


 はじめて聞く声はとても掠れていて、高い。変声期前の子供の声だ。


 私はまた鼻を押さえた。

 感動で叫びそうになるのを理性で必死に抑え込む。


 アシェルが! アシェルが動いてる!

 アシェル推しとして、こんなに嬉しいことはないだろう。あぁ、夢じゃない。現実リアルだ。


 歓喜で泣きそうな私とは対称的にアシェルは恐怖で顔を引き釣らせていた。

 ガタガタと震えながらベッドの上で後ずさる。


「き、君は、……誰?」


 乾いた喉から絞り出したようにアシェルが問う。


 ……これは、答えるのと水を渡すのどちらを優先するべきだろうか。やはり生命活動のために必要な水だろうか。


 アシェルの問いを無視して水の入ったコップを突き出した。アシェルはビクッと肩を震わせて涙目で私を見る。


 萌えポイントを猛プッシュしてくる我が推しをどうにかしてくれ。


 変態を悟られないように真顔で渡したのが悪かったのだろうか。アシェルは怯えてコップすら受け取らない。


「大丈夫だよ。喉乾いてないの? 水、あげる」


 やばい。素っ気なさすぎる。 声が震えた。

 推しに話しかけるとか夢のようで緊張する。多分今の私はアシェルと同じくらいガチガチだと思う。


 アシェルはちらりと私を見てから水を見る。ごくりと喉を鳴らして震える手でコップを取った。

 勢いよく水を飲み干してぷはっと可愛らしく息を吐く。


 アシェルがある程度落ち着いてきたようなので、ようやく自己紹介ができた。


「えっと、私はティアナ・ルア・ヘーメルって言います。貴方がヘーメルの森に倒れていたのを見つけたの。それでここに運んだんだけだけど……」

「ヘーメル?」


 聞き覚えがないのか、アシェルは小首を傾げる。


「マリーン国の国境近くにある領地よ。アルメリア王国とプリーギア公国の国境がヘーメルの森にあって……」


 プリーギア、という言葉を聞いた瞬間、アシェルが毛布を脱ぎ捨てて自分の足に嵌まっている足枷を掴んだ。


「……呪いは?」

「もう解けてるって。父さんが」


 安心させるように微笑めば、アシェルはポタポタと涙を溢した。


「え!? 大丈夫!?」

「う……ん。良かった……。やっと自由……」


 アシェルの言葉を聞いて胸が苦しくなった。今までどれだけ心細かっただろう。親も目の前で殺されて、知らない場所に売られそうになって、よく正気でいられたものだ。


「君も、ありがとう」

「いいの。感謝なら聖霊にした方がいいわ。聖霊が私に貴方を助けさせたから」


 にっこりと笑えば、アシェルは気恥ずかしそうに頬を染めた。


「ところで、君は貴族なの?」

「そうよ。とっても貧乏だけど!」


 明るく言ったのだが、アシェルは申し訳なさそうに顔をしかめた。


「えっと、ごめんね。僕のせいで……」

「ううん。大丈夫。ねぇ、君の名前は?」


 呼びにくい。

 君とか、貴方とか非常に呼びにくい。アシェルの前だから貴族ぶって丁寧に喋ろうと思うけど無理だ。そろそろボロがでそう。


「……な、まえ」

「そう。名前」


 じっと金色の瞳を見ているとふっと目を逸らされた。


「僕、これからどうなるのかな?」


 まさかの質問返し。

 しかも全然文脈が繋がってない。


「えっと……。君は光闇の民なんでしょ? その呪いを内部から解いたみたいだし」


 私の言葉にアシェルは目を見開いた。


「君は貴族なんじゃない? 何かの手違いでこうなっちゃったのなら元の家に帰らなきゃ。

 ……大丈夫?」


 私はアシェルをヴァイス家にしっかり送り届けるつもりだ。じゃないと、彼がヒロインに出会えない。攻略キャラは一人でも欠けたら駄目なのだ。


 そう思って言ったのだが、アシェルはまた顔色を悪くしてガタガタと震える。


「え? 寒いの? 大丈夫?」


 翳ったアシェルの顔を覗き込むと虚ろな赤い瞳と目が合った。……え?


 見間違いかと瞬きをすればアシェルの瞳は金色に戻っていたが、未だにいやいやと取り憑かれたように首を振っている。


「ねえ!」


 思い切り肩を揺らせばやっと目の焦点が定まった。


「大丈夫?」


 アシェルは無言で首を縦に振るけど全然大丈夫じゃなさそう。顔色が悪い。

 無言で息を吐いて、アシェルは口をきつく結んだ。瞳を彷徨わせ、意を決した様子で私をじっと見る。


「僕は……僕はアシェル」

「アシェルね。姓は?」

「アシェル___」


 アシェルは下を向いて、私から顔を隠した。


「……思い、出せない」

「え?」


 綺麗な金色の瞳を伏せて苦しそうに、吐き捨てるようにそう言った。


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