第4話

「よくある話ですよ。競馬をやり過ぎたんです。僕が馬を知ったのは20歳の頃で、はじめてから三ヶ月で生活のすべてが馬になりましたよ。バイト料のほとんどを馬券に突っ込んでいました」

 学費を前借りして、夏の北海道開催を見に行ったこともある。結構な無理をした。

「就職してからも、それはつづいて、いくところまでいってしまって、ついに会社の金に手を出してしまったんです」

「確か、小さなデザイン会社でしたね」

「うちは金の管理がずさんで、ある程度の額ならば、簡単に引っぱる事ができるんですよ。で、つい……」

「積み重なって、150万になってしまったと。で、最後に買ったのはどのレースでした」

アメリカジョッキークラブカップAJCCでした。マキシワンピースは来ないと思ったんですけれど……」

「ああ、あの時は強かったですね。残念でした」

 それだけ言うと、剣崎さんはまた沈黙した。

 どうしたものか。用意した内容はすべて語ってしまった。納得してもらえないのならば、さらに無理にでも積み重ねていくしかないが……。

「あの……」

「わかりました。よくある話で、あまり面白みはありませんね」

 剣崎さんの視線は、コースの内側に設置された大型ビジョンに向いた。

 そこにはスタート直前の馬が映し出されており、色鮮やかな服を身につけた騎手が乗っている。

 手前の馬は、気分が高ぶっているらしく、さかんに首を振っていた。騎手がなだめても、なかなか収まらない。

 その後ろには、鹿毛の馬がおり、こちらは対照的に落ち着いている。

「ギャンブルにはまって人のお金に手をつける。それを取り返すために、さらに馬券に突っ込む。悪循環のサンプルのような形ですが、致し方ありませんね」

 剣崎さんは僕を見なかった。冷ややかな声がやたらと響く。

「馬の負けを取り返すために、馬券で大勝負に出る。その意図はわかりました。ならば私どももできるだけことはしましょう」

 低い声は、ファンファーレの音色にかき消された。場内の緊張が高まり、ゴール前に集まった人々の視線はほとんど大型ビジョンに向く。

 いよいよ発走だ。まずは、ここからはじまる。

 軽蔑されたかもしれない。競馬で身を滅ぼす馬鹿な男と思われても仕方がない。

 それでも、今の僕はお金が欲しかった。

「ゲートインは順調に進んでいます」

 アナウンサーの声に引かれるようにして大型ビジョンを見ると、ほとんどの馬がゲートに入っていた。落ち着いており、大きな問題はない。

 最後の馬が誘導員に引かれるまま、ゲートに向かって、そのまま入った。

 一瞬の間があって、場内の緊張が高まる。

 その直後、ゲートが開いた。

 馬ががいっせいに飛び出し、そのまま一団となって、僕たちの前を駆け抜けていく。

 レースは、中山芝1800メートルの未勝利戦。1分50秒そこそこで決着がつく。

 大型ヴィジョンを見ると、縦長に伸びた馬群が映し出されている。

 先頭は六番のキングサンダー。ついで12番のハシノミカヅキ、9番のフミノンとつづく。

 本命のタキノミサイルは五番手ぐらい。その後ろには二番人気のヤングカーがいる。

 7番の姿は見えない。いったい、どこにいるのか。

「中段後方ですね。包みこまれています」

 いつの間にか、剣崎さんはオペラグラスを取りだして、馬群を見ていた。

 青いヘルメットの馬は、後方のインコース側にいる。他の馬に押し込まれているようで、自由に動くことができない。

 それは、3コーナーから4コーナーに入っても変わらず、むしろ位置取りは悪くなっていた。

 直線に入った時には、先頭の馬から10馬身以上、引き離されていた。

 騎手が鞭を振るうが、馬はまったく言うことをきかない。ずるずると下がっていく。

 アナウンサーの声が高まり、観客が声をあげるが、僕のテンションはまったくあがらなかった。

 先頭の馬がゴールを駆け抜ける。12番だ。ついで、9番、6番とつづく。

 メクネマーションは1着馬が入ってから2秒近く経ってからゴールを駆け抜けた。下から三番目の順位である。

 剣崎さんは、ゴールしてスピードを落とす馬を最後まで見ていた。

 ようやく顔を向けてきたのは、大型ビジョンの映像が切れた後だった。

「駄目でしたね。思いのほか伸びませんでした」

 口調も表情も変わりがない。強がっているのか、それとも本音なのか、見ただけではまるでわからなかった。

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