2021年11月12日

 母方の祖母が亡くなったので、前日から実家に戻り葬式へ出席した。私はおばあちゃん子だったので、とても悲しい気持ちになった。ボケも進んでおり、このところ体調も思わしくなかったので、仕方がない面もあるがもう少し生きていてほしかった、というのもボケが進んでからはコロナ禍が始まり、余りコミュニケーションを取る機会を設けることができなかったから、心残りがないと言えば嘘になるからだ。私は初孫だったので、たいそう可愛がってもらった、子供ながらにとても愛されているというのがわかるくらいには優しくしてもらった。私は祖母の調子が悪くなってから優しくしてやれなかったことが小骨のように喉元に刺さっている。


 いつもよく喋り矍鑠だった祖父は祖母が亡くなった日から何かが抜け出てしまったように大人しく、静かになっていた。映画が好きで、時間さえあればテレビを点けて何かしら観ていた祖父なのに、葬式の前の晩に挨拶に行ったときには、薄暗い部屋にテレビも電気も点けずにただぼうと椅子に座っていた。寂しいのだとか色々な感情が渦巻いていたに違いないが、祖父はただ無表情に静かにじっとしていた。やはり様子がおかしい、喋ればいつもどおり大きな声で元気そうに喋るが、それにしったって会話しても要領を得ない場面も多く、何か欠けてしまったような心配になる様子だった。


 葬式は朝九時頃から昼の三時くらいまでかかった。このコロナの流行っているご時世を考慮して一日葬というやつで送り出した。戒名は優しそうな良いものを付けてもらっていた。坊さんの声はよく通ってビブラートもうまい具合で朗々としていた。葬式特有の湿っぽい雰囲気は甥っ子たちの落ち着きのない動作や無邪気な振る舞いによって、少しくらいは軽いものとなっていたに違いなく、重苦しい雰囲気よりはそういった朗らかな空気のほうが祖母も嬉しかったろうと思う。


 葬式が終わった後に私は病院に行く予定があったので、すぐに帰ってしまった。それから帰りの長距離バスの中で、残された祖父に優しい言葉や、ハグをすれば良かったと思った。いや、そうしたいとは心のどこかで思っていたのだが、我が身の半身のような大切な人を失った人の心の裡を推し量ることができず、自分の言葉や行動が逆にその人を傷つけてしまったり、打撃を与えてしまったらどうしようかという恐怖で何もできずに居たのだ。思うに、優しさは押し売りするくらいの神経が丁度よい。それで傷つくこともあるだろうが、それ以上にその人を救う可能性を捨ててはならない、親しい人でも言葉や行動がなければ何も伝わらないのだから、願わくば私はもう少し無頓着な優しさを人に振る舞えるようになりたいものだ。

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トーキョー瘋癲日記 柚木呂高 @yuzukiroko

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