2021年9月25日

 外が白んで来て、徐々に人間の気配がし始めるこの時間、私は結構好きなので、このまま太陽がオレンジ色の光を発するまでベランダでビールを飲みながら眺めていることがよくある。こんな時間は隣の家の鬼道から流れてた百鬼夜行がお開きになって、随分寂しい気持ちが、痛痒いような感覚を齎す。痛痒いのは引っ掻くと気持ちが良いのだ。


 私は随分昔から不眠気味の人間なので、薬に頼って眠るのだが、余り強い薬だと日中が完全に潰れてしまうから、程よい感じの薬を処方してもらっており、そのせいで結局寝そびれて昼夜が逆転してしまうことがままある。今日も(今書いている時間を考えれば昨日のことだが)何も書けないとか言いながら三時を過ぎてしまい、昼夜逆転させちゃまずいとベッドに入ったは良いが、間接照明で本を読んだり、インターネットの掲示板でなんとなく今起きている人のタメにもならない書き込みを見たり、いや、こんな状態ではまずいと輾転反側しながら目を瞑ったりしていたら昼近くまで無為に時間を過ごして、しかもそのタイミングで寝入ってしまった。


 ここ最近の睡眠時間が少なかったのも相まって、随分寝てしまい、気付いたらもう夕方。急いで筋トレとウォーキングを済ませるも、日は傾き皆家へと帰るような時間になってしまっていた。やってしまったなぁ、という気持ちでいっぱいになった。


 でも夜は嫌いではない、孤独な時間は昼間でも同じなので、夜に孤独を感じることはないし、SNSを覗けば案外誰かしら起きていて、深夜テンションのポエムを読めたりすることもある。私は夜に作業をするのが一番集中出来るので、PCの前に座って公募に出そうと思っている作品を書き進めようと思ったのだけれど、これがまあなんとも進まない、題材をもう最初から変えたほうが良いんじゃないかと思うくらいびっくりするほど筆が進まず、私の夜中の集中力というのはその程度か、と些か訝しく思ってしまう程だった。とは言え、私は日中、鬱のせいで集中力がひどく散漫で、コンテンツの消費すらままならない程落ち着きがなくなるのだが、夜は音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり、こうやって日記を書いたりとすることは出来る分、やはり夜のほうが親しみを持てるのだ。


 夜の線引も重要だ。夕方から二十四時程度まではまだ私の中の夜は始まっておらず、多くの人が就寝を始めようという時間帯から夜が始まる。今日はアサリの味噌汁とお魚を焼いた夕食を摂ってから、インターネット上の友人たちと通話をしながら時間を潰した。で、彼らが寝始める頃からものを書いたり、本を読んだりを始めて、今の時間に至る。今はだいたい朝の五時半くらい、空がほら、オレンジとブルーのグラデーションに染まっている。


 眠らずに過ごすことは得意なので、今日は昼寝をせずに夜に眠れるようにしようと思う。百鬼夜行も夜中の執筆も映画鑑賞も楽しいが、朝に起きて日中どうにか集中して行動が出来るようにしなくてはならない。そうだ、あとこういう早朝の散歩は気分が良い。たまにジョグをしている人や犬を散歩する人とすれ違ったりする。昼間にも夕方にもそういう人は居るけれど、人の少ないこの時間帯はそれらの時間帯に出会う人々よりもほんの少し、ちょびっとだけ親密になれる気がする。マイノリティな共感意識。


 残念ながら夜は終わってしまったけれど、夜と朝が入れ替わる時間のビール

はうまいからいいのだ。これから散歩に出かけてそれから今日を始めようかと思う。今日くらいは散漫な一日を少しでもギュッと絞れたら良いのだが。

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