七、秘密④

「そんなの駄目だ」


 涙を堪えながら、ヒカルは声を絞った。


「直義は、私なんかのそばにいちゃいけない。だって、直義には冴がいるだろう!」


 魂を見るヒカルは、この世もあの世も区別ができなくなっているようだった。


「冴は死んでしまった」

「死んだらいいってもんじゃない。そんなの酷過ぎる!」


 涙の筋ができた顔を上げて、ヒカルは赤い目で半ば叫んで言った。

 直義はヒカルから少し離れ、顔を見て言ってやった。


「冴は私に、瑠璃となって最期の言葉を伝えにやってきた」

「瑠璃が、冴の言葉を……?」


 驚くヒカルの涙を拭ってやりながら、直義は頷いた。


「人は愛し愛されるために生きている。だから、いつも誰かを愛して生きろ。冴が瑠璃の口を借り、私に伝えた言葉だ。私が幸せになれるように、そしてこの手で誰かを幸せにできるようにと」


 そんなはずはないと、ヒカルは首を振った。


「だって一度体を離れた魂は、二度とその人には戻れないはずだ!」

「そんなこと、誰が決めたのだ? 思いが強ければ、理屈の一つや二つは敵わない。魂の正体はわからずじまいなのだろう。ならばお前の答えは違うかもしれない」


 ヒカルは反論しなかったが、なかなか頷きもしなかった。

 直義はそんな素直なヒカルが可愛らしく思え、笑みがこぼれるのを自覚した。


「魂とは一体何なのか私にもさっぱりわからぬが、輪廻を巡り生まれ変わるごとに、生きた人たちの思いを蓄え、伝えていくものではないだろうか」

「思いを蓄えて、伝える……?」


 きょとんとこちらを見上げるヒカル。直義は深く頷いた。


「そうだ。例えば、冴と瑠璃。冴を生きた魂は、冴を生きている間に色々なことを学んで考えた。冴が死んでしまった後、瑠璃となったその魂は、冴だった時に学んだことや考えたことを活かして生きたのだろう。きっと気付かぬうちに、私たちも前世に蓄えたものを活かして生きている」


 ヒカルは何も言わず、じっと聞いていた。


「お前が言うように、多分、普通ならば前世の記憶は失ってしまうのだろう。けれど、強い思いは残るのかもしれない。もしそうなら、冴が死に際に残した思いは、瑠璃となっても魂の中に生き続けていたのではないだろうか。それは特別なことだったのかもしれないが、生きている間の経験は、失敗も成功も合わせて、それこそ魂というものが生まれた時から輪廻の中で繰り返し蓄えられてきたのだろう。そのように積み重ねられた知恵を活かしながら、私たちは次に大切なものを伝えるために、新しく学びながら生きているのではないだろうか」


 すっかり涙もおさまった目をぱちくりさせて、ヒカルは吐息をもらした。


「そこまで考えられなかった……」

「目に見えてしまうと、見えるものが全てと思いこんで、余計に想像を巡らせるのが難しくなる。私が言うことも真実ではないかもしれぬが、時代を渡って何度も生きていると思えば、今の人生がもう少し楽しく思えるだろう」


 ヒカルは小さく頷くと、肩を縮めた。

 顔が少し青い。


「案ずるな。ずっと独りで闘ってきただろうが、今は私がそばについている。夜が怖ろしいのなら、お前が寝ている間はずっと見張っていよう。魂を喰われる前に私がお前を起せば、なんとかなるはずだ。太閤の手先が来れば刀をとって闘おう。お前の一番近くで、私はお前を、お前の魂を守ってみせる」


 ヒカルは目を反らしてしまう。今はそれではいけない。

 直義はそっと両手を出して、ヒカルの両頬をつつみ、潤んでいる大きな瞳を見つめた。


「そうしてもいいだろうか? お前の返事がほしい」


 じっと見つめていると、ヒカルはこの両手を逃れて、やはり顔を反らした。無理もない。いきなり素直になれと言われても、なれぬ道を歩んできたのだから。


「今すぐにとは言わぬ。ゆっくり考えて答えを出せ」


 ヒカルはぎこちなく体を動かして、布団にもぐった。


「去れと言われれば去るが、言われなければずっとここにいる。安心しておけ」


 返事の代わりに、ヒカルは「行くあてもないくせに偉そうだね、まったく」と布団の中から文句を返した。直義はその通りだと笑った。


 逆髪、答えはお前や蝉丸の見抜いた通りだったよ。そう胸の中で語りかけ、直義は離れから見上げた夕空に目を閉じた。


 心に咲いているのは、大きな牡丹。時に赤紫に燃え上がる、清らかな白の気高く美しい花。

 遥か遠くに咲いている菫の花が、穏やかに風に揺れていた。

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