第34話 アンカッサの街の支配者

 アンカッサの街は、商都にしては珍しい要塞都市だ。


 いや、『だった』。


 確かに最初はそう作られた。


 しかし、何百年、何千年と時が経つにつれて、その機能は段々と形骸化していった。


 なぜかといえば、警戒するはずの魔族は、傭兵的な冒険者頼りの商都を侮り、積極的に攻めてこようとしなかったからだ。


 いつか、もしかしたら、魔族の大規模侵攻があるかもしれないということは頭にあった。


 しかし、商売をするには厳しい管理は邪魔だし、規制は緩い方がいいし、城壁よりも街道が整備されていた方がありがたい。そう思う者が出てくるのは仕方のないことだった。


 そんな商人の論理に流されながらも、アンカッサの街は全く要塞としての機能が失われた訳ではなかった。


 たまにある、低級モンスターの大量発生――俗に言うスタンピード程度なら十分に防げるくらいの防御力は残っていた。


 必要十分という奴だ。


 そんな街の日当たりのいい一等地。街で一番高い瀟洒な建物の最上階で、アレハンドロはくつろいでいた。


「うーん、冬はやることがなくて、ボキは退屈だよ」


『寛容』のアレハンドロは、自身の太鼓腹を叩いてぼやく。


「あと少しの辛抱です坊ちゃん。春が来れば商都に戻れますぞ」


 昔は名うての冒険者だったという執事が、慰めるように言った。


「魔族が絶滅すれば、これでボキも戦争の『英雄』の仲間入りかあ。名声に惹かれて、かわいいお嫁さんが来てくれるといいねえ」


 時折、周りに侍らせた女奴隷を手慰みに愛でながら、小さく欠伸をする。


 アレハンドロは自分を有能だとは決して思ってはいなかった。


 自身の価値は、商都一の大店であるアンブローズ商会の跡取りであること、その一点に過ぎないことを、痛いほど理解していた。


 やり手の父親の七光りで、アレハンドロは今の総督の地位を得た。


 アンブローズ商会の跡取りに箔をつけさせたいという、彼の父の親心であり、戦略であった。


 金で買った地位。


 金で買った名誉。


 金で買った女。


 アレハンドロの力で手に入れた物は何一つない。


 でも、それで構わなかった。


 アレハンドロは、出来のいい番頭に助けられてやっていける程度の才能があればそれで十分だった。


 商会は組織なのだから、アレハンドロ自身が優秀である必要はないのだ。アレハンドロは、無事に次代へ継ぎ、次の優秀なプレイヤーが出てくるまで、商会の財産を減らさなければそれで十分成功だ。


 無能で間抜けそうな喋り方は、敵を油断させ、味方には『こいつは俺が助けてやらなくちゃやってけねえ』と思わせるための、アレハンドロなりの演出であった。


「よりどりみどりですよ。坊ちゃんは立派なアンブローズ商会の跡取りです」


「稼いだからねえ。薬も奴隷もほんと良く売れた」


 アレハンドロはそう述懐する。


 本部から指示されたことは、きっちりこなした。


 任務は二つ。


 一つ目は、『英雄丸』と奴隷を確保して、騎士領へと流し、戦争でたっぷり稼ぐこと。


 二つ目は、魔族に勝たなくてもいいが、負けることなく、このアンカッサの街を守り切ること。


 簡単な任務だった。


 『英雄丸』は本国から送られてきたものを右から左に流すだけ。


 奴隷は魔族が周辺を荒らしてくれるので、流民はいくらでも湧いてきて、勝手にスラムに溜まる。


 そいつらを、浮浪罪やら関税のごまかしやらの罪で捕まえてやれば、奴隷のいっちょ上がりだ。


 敵は魔族には珍しく、好戦的ではない奴らで、冒険者たちを街にとどめておくのにちょうどいい餌になってくれた。


 もちろん、この辺りに土着する農民たちにとっては『狡知のプリミラ』は最悪の敵だろう。


 だが、土地が荒れようと、人心が荒もうとアレハンドロには関係なかった。


 今は戦時中で、『統一した管理が必要だから』という名目で、アンブローズ商会が一括管理しているが、戦争が終われば、商都本来の共同統治へと戻る。


 すなわち、統治のコストは今後、商都全体で払うことになるのだから、アンブローズ商会としては、今、儲けられる時に稼げるだけ稼ぐのが商人としての正しいやり方だった。


「ええ。ええ。稼ぐことこそが男の甲斐性ですとも。冒険者共も、まさに『寛容』な支配者だと坊ちゃんを称えております」


「ボキは金払いがいいからね」


 アンカッサの街は、少数の常備兵と、圧倒的大多数の冒険者によって守られている。


 主戦力の冒険者たちを街に留めておくため、アレハンドロは、宿代や食事に補助金を出して、彼らが安く滞在できるシステムを整えた。


 そのつけを払うのは結局一般市民や周辺の農民だが、先述の通り、コストは最終的に商都全体に転嫁されるので関係ない。


 一部の人間から憎しみを買おうが、軍事力さえきちっと掌握しておけば、暴力と恐怖で統治はできるのだ。


「いつもありがとうございます」


 執事が頭を垂れる。


「ボキの『寛容』さを舐めないで欲しいな。ここを去る時には奴隷は全部いらなくなるでしょ? それを売った金で、ジイヤの孫に何か買ってあげるよ。何がいいか考えておいて」


「ありがたき幸せ」


 執事が頭を垂れる。


 アレハンドロはこれと見込んだ仲間には優しくしてきた。


 それが生き残る秘訣だった。


「あーあ、欲を言えば、もうちょっと何か手柄を上げたかったね」


「あの冒険者共、帰ってきませんでしたな」


「まあ、まだ、少なくとも、『色欲』のアイビスと、『嫉妬』のモルテは健在だからね。無理はしないけどさ」


 あわよくば、『騎士』や『神徒』に先んじて、めぼしいお宝をかっぱらえればと思ったのだが、どうやらまだ魔族領は完全に崩壊はしていないらしい。


 危険そうなら、すぐに損切りできることも、商人としては美徳であった。


「懸命なご判断ですぞ。じいやは感服致しました」


「でも、何か一つくらいは戦果が欲しいよね。何か、ボキの宣伝に使えるような――」


「ご歓談中の所失礼致します! 緊急のご報告です!」


 荒々しいノックの音と共に、風雲急が告げられる。


「なにかな」


「ゴブリンのスタンピードがこちらに向かっています。その数、3000!」


「――ゴブリンかあ。数はまあまあかな?」


「中規模クラスですな」


 ちなみに、今までの最高数は6000体くらいだ。


 それ以上になると、頭の悪いゴブリンたちは集団を維持できずに分裂する。


「うーん。雑魚のゴブリン相手じゃ、防衛戦で名を上げるにはちょっと弱いなあ」


「そ、それが、敵将は、あの『狡知のプリミラ』です! ご覧ください!」


 報告に来た兵士が、窓の外を指さす。


 そこには、はるか彼方に蜃気楼のように浮かぶ、プリミラの幻影があった。


 魔法によって拡大されているのか、その姿は、大きな積乱雲ほどにも見える。


『……アンカッサの街の住民に告ぐ。我々魔王軍は、汝らの不当なる侵略に正当なる罰を与えるため、ここに宣戦布告をする。――これはほんのご挨拶の贈り物。どうか受け取って欲しい』


 プリミラが氷柱を発射する。


 その先端に固定されていたのは――一人の人間の遺骸だった。


「あれは、確か――『豪脚のムーア』だっけ?」


「ええ。東で一番の英雄と謳われた冒険者です。スライムカイザーと相打ちになったと聞いてましたが、奴は遺体を凍らせてとっておいたようですな」


 仲間を侮辱された冒険者たちが激昂するのは間違いない。


 彼らの怒号が、アレハンドロの所まで聞こえてくるようだった。


『……ブラングロッサ平原で待つ。腰抜けじゃなければ、かかってくるといい』


 プリミラの幻影は、それだけ言い残して消える。


「煽るねえ。籠城させたくないのかな?」


「でしょうな。魔族が滅亡することを見越し、進退窮まって、イチかバチかの特攻といったところでしょう。無名の魔族ならともかく、プリミラほど有名になれば逃げきれませんからな。ゴブリン共をかき集めて最後の賭けに出た」


「ま、どちらにしろ、こっちも出るしかないんだけどね。籠城するには、備蓄がかなりきついし、城壁もボロボロだしね」


「かえって、焚きつけてくれてありがたいですな。元々、アンカッサの街を根城にしていた者は、敵討ちで団結し、士気を燃え上がるに違いありません」


「でも、騎士領と聖領から流れてきた冒険者はどうかなあ……。元からいた冒険者たちが上手く渡りをつけてくれればいいけど……」


 数時間後――果たして、アレハンドロの望んだ通りになった。


 先の大戦で上級冒険者をかなり討ち取られていた東部出身の冒険者が、南部と西部の手練れの冒険者に助けを求めたのだ。



『悔しいが、俺たちだけ、じゃあプリミラには敵わねえ! 雑魚のゴブリン共は俺たちが露払いするから、プリミラを殺すのに協力してくれ! 今度こそ、あいつを絶対逃がさないでくれ!』


『これに応えなきゃ冒険者の名が廃る! 『首狩りロッソ』の力を見せてやるぜ』




 といった具合である。


「いいように転んだねえ」


 部下からの報告に、アレハンドロは顎肉をプルプル揺らす。


「奴らも薄々分かってはいるのでしょう。世の戦術が変わり、『冒険者』のようなならず者が活躍できる時代はもうあまり長くないと」


「じゃあ、そんな彼らへの最後のはなむけに、ボキも一つ、『寛容』なところを見せようかなあ」


「では?」


「中途半端に残していても仕方ない。倉庫の食料を冒険者に無料で開放しよう。金も出そう。『緊急クエスト』だ。ゴブリンは通常の単価の二倍。プリミラは――もう十分に懸賞金がかかってるけど、冒険者への応援の意味もこめて、ちょっとだけ上乗せしよう」


 アレハンドロの指揮権があるのは、少数の常備兵に対してだけ。


 冒険者は、人の言うことなど聞きはしないので、金と名誉で釣るしかない。


 『ケチ』と思われるよりは、生き金を知っている『粋』な坊ちゃんだと思われた方がよほどいい。


「冒険者たちもやる気になるでしょうな。さすがは坊ちゃん」


「まあ、商人なら誰でもこうするだろうけどね」


 敵の兵力はガタガタ。


 前の大戦でもすでに互角だったのに、こちらは西部と南部の冒険者が増えたのだから、およそ、3倍の戦力が見込める。無論、全ての冒険者が『緊急クエスト』に応じる訳ではないが、それでも2・5倍は固い。


 負ける方が難しい決戦であった。

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