第35話 ブラングロッサ平原の戦い(1)

「……ブラングロッサ平原で待つ。腰抜けじゃなければ、かかってくるといい」


(――街までかなり距離があるのに殺気が伝わってくる! 怖い……。怖すぎる……)


 もちろん、プリミラだって本当は敵を煽るような真似は仕方なかった。


 だが、ゴブリン軍団だけを突っ込ませると、下級か中級の冒険者だけが出張って、手練れだけが街に残るという状況になる可能性があった。


 上級冒険者にとっては、ゴブリンの相手など役不足だからである。


 全部引っ張り出すのには、プリミラという餌が必要だった。


「ヒュー。やるじゃねえか。さすが人気者は違うねえ。あやかりたいこった」


 フラムが口笛と共に軽口を叩く。


「……羨ましかったら、フラムもこの戦で名を上げるといい。私は後ろで支援に徹する」


 プリミラは眉一つ動かさず、そう返答する。


「手柄を譲ってくれるって? お優しいことで」


「……総大将より、副官の方が名望を集めることは、軍隊の秩序を乱す。やむを得ない措置」


 無論、嘘である。


 怖いから最前線に出たくないだけだ。


 ついでに、フラムに無茶苦茶活躍して欲しいというのは本音だ。


 現状、プリミラが魔将の中で一番手みたいな感じになってるのは、ぶっちゃけ恐ろしいのだ。トップというのは、何かと同僚からの嫉妬されがちで、仕事でも矢面に立つことが多い損な役回りである。かといって、地位が低すぎると使い捨てにされかねない。なので、名実共にナンバー2か3くらいの地位に収まるのがベストだと考えていた。


「へっ、そうかよ。まあいいさ。万が一の時の保険にもなるしな。オレが死んだら、後は頼むぜ、副官殿?」


「……わかった。――作戦の最終確認を」


「おう。つっても、単純だがな。まず、『出来損ない』共を餌に放つ。敵が食らいついて突出した所を、本体で包囲殲滅するだけだ」


 敵が『ゴブリンのスタンピードだと思っている集団』その正体は、訓練の結果、『不合格』とされた、ゴブリンの中でも劣位の個体の群れであった。


 本隊は、平原の手前の沼沢で、アイビスの幻影魔法によって作られた霧の中に隠れている。


「……それでいい。戦術はシンプルな方が良いと、旦那様もおしゃっていた。そもそも、急ごしらえの軍隊に複雑な作戦は無理」


「おう。まずは、じっくり時を待つか」


「……ゴブリンメイジ部隊。アンチディスペルを展開」


「火には水を」


「水には土を」


「土には風を」


「アンチディスペル」


 脳虫火草に操られたゴブリンメイジたちが魔法を詠唱する。


 当然、それだけでは冒険者たちのアンチディスペルには十分に対抗できない。


 劣勢になり、『出来損ない』たちが魔法攻撃で狩られていく。


「おらおら、このままじゃ無駄死にだぞ! 突っ込め、生贄共!」


 フラムはワーウルフなどの中級魔族を使って、『出来損ない』の群れの後方から、蹴り、殴り、斬り、力づくで追い立てた。


 一人前と認められなかった彼らは、恐怖と怒りに駆られて破れかぶれに走り出した。


 この戦術を、フラムはヒト――奴隷を剣で追い立てる騎士共から教えてもらったと言っていた。


 色んな意味で意趣返しと言う訳だ。


 ゴブリンの勢いを食い止めるために、前衛が突出してくる。


 下級・中級の彼らがゴブリンの相手をしている間に、上級冒険者たちも、プリミラという手柄を求めて、左翼、右翼の両面からこちらへと駆けてくる。上級冒険者たちも、ゴブリンが全滅するのを待っていては、他の上級に先を越されると分かっているのだ。


「……そろそろ」


 『出来損ない』の半分が消耗したあたりで、プリミラは呟く。


「うしっ! じゃあ行くか! 野郎ども! 気合い入れろ! 魔族の興廃この一戦にありだ! ――アイビス!」


 フラムが味方を鼓舞しながら、戦場で無駄に色気を振りまくサキュバスを一瞥する。


「承った。今からゴブリン軍団にかけた幻影魔法を解く故、心せよ!」


 アイビスの魔法が解けて、完全武装したゴブリン兵団の本隊が姿を現す。


 フラムの薫陶のおかげか、一糸乱れぬ隊列を組んで進むその姿は壮観だった。


 槍が唸り、鎧がきしむ。


 まるで一つの生き物であるかのように、その大軍勢の一歩一歩が大地をどよもした。


「な、なんだ! こいつら!」


「今までどこに隠れてやがったんだ!」


「ひるむな! どんだけ数が多くても、たかがゴブリンだ! 魔法で優位がとれているなら勝てる!」


「だが、あまりにも数が多すぎないか!?」


 中級以下の冒険者たちの顔色に、動揺が走る。


「……全魔法使い、アンチディスペル、展開」


 そんな彼らを後目に、プリミラはそう指示を下した。


 魔法を使える魔族が一斉にアンチディスペルを放つ。


 冒険者のアンチディスペルと、魔族のそれがたちまちぶつかり合い、一帯に魔法的な空白地帯が生まれた。


 ここからは白兵戦の時間だ。


「――アンチディスペルの展開は、互角、もしくは若干こちらが優位といったところかな? これなら、魔将全員が詠唱に拘束されることはなさそうだね」


 レイがクールにそう分析した。


「わらわは、色事以外の肉弾戦は苦手じゃ。アンチディスペルに徹する故、荒事は他の者に任せるぞ」


 アイビスがけだるそうに言う。


「……ワタシも直接戦闘は得手ではない。アンチディスペルに専念する。ヒトの英雄たちを相手にするフラムの援護は、ギガとレイに任せる」


 プリミラもすかさず追随する。


 魔将クラスになれば全員アンチディスペルは使えるが、余裕があるのだから、接近戦が得意な者はそちらに専念させた方がいい。


「おー! 頑張るぞ! 手柄を立てて魔王様においしいご褒美をいっぱいもらうのだ!」


 ギガが両腕を挙げて跳ねる。


「ボクも別に肉体派って訳じゃないんだけどねえ。ま、スピードにはちょっと自信があるけどさ」


 レイが軽く脚を伸ばすストレッチをしながら呟いた。


「だめだ! これは罠だ!」


「撤退だ! 一回、街に帰って立て直す!」


 冒険者が慌ててゴブリン軍団に背中を向ける。


「オーガ騎兵! 逃がすな! 周り込め!」


 ワーウルフを肩に乗せたオーガが、全速力で駆けだす。


 ちなみに、オーガの方がワーウルフより上級の魔族だから命令に従わないという、魔族的な身分関係の問題は、ワーウルフに魔王がちょっと力を分け与えてやることであっさり解決した。元々、オーガとワーウルフにはそこまでの魔力差はないのだ。


「まさか、伏兵だと!? あのこらえ性のないオーガが潜伏していたっていうのか!? まずい! Bクラス以上の冒険者は結束してオーガの対処に当たれ!」


 上級冒険者の大男が叫んだ。


 右翼からプリミラたちのいる後方に迫ろうとしていたグループの一人だ。


 プリミラはあまり冒険者に興味がないので、大男のことは知らなかったが、彼の命令に他の冒険者が従っているところを見るに、かなりの実力者なのだろう。


「おいおい。そんなつれないことを言うなよ。あんたらの相手はこのオレがするぜ?」


 そんな大男の前に立ちはだかるように、フラムが姿を現す。


「くっ――デザートリザードの変種!? 中ボスって奴か? 残念だが、お前程度じゃ、この『血まみれマルク』の相手をするには不足だぜ。戦って欲しけりゃ、せめて、『狡知のプリミラ』でも出すんだな!」


「冷たいこと言うなよ。――これでもダメか?」


 フラムが来ていたジャケットを脱ぎ捨てて、力を解放する。


 その姿が、たちまち巨大なレッドドラゴンへと変化した。



 GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOO!



 その勇ましい咆哮は味方に力を与え、敵を恐怖に陥れる。


「トカゲが竜に!? そうか、貴様、聞いたことがあるぞ! 『竜成りのフラム』か!」


「おあいにく様。今は、『憤怒』のフラムさ」


 だいぶ低くなった声で、ドラゴン形態のフラムは呟いた。


「この力――とてもクラスアップしたての、ドラゴンには思えません。真竜か、もしくは古竜相当の――邪竜は『ピオネ山麓の決戦』で滅びたのではなかったのですか!」


 大男に付き従っていた神官風の女が、額から冷や汗を垂らして叫ぶ。


 プリミラたちを窮地に陥れ、魔王を召還する原因となった、あの戦いの名を。


「感じるか? 師匠から預かった力だからよ。無様な真似は見せられねえんだ。本気で行くぜ!」


 確かに、プリミラたちは今までの魔将に比べれば弱い。


 だが、それは魔王から魔力を分けてもらう前の話だ。


 戦闘経験はともかく、カタログスペックでは、今のプリミラたちはヒトの最上位の英雄にも引けを取らない。


「助太刀しますよ! マルク!」


 大男に加勢するように別の冒険者グループがやってきた。


 リーダーらしい優男が、大男に声をかける。


「ちっ! まさか、『潔癖のイワン』に背中を預けることになろうとはな!」


「ええ。返り血を勲章だとか言って風呂にも入らないあなたなゾッと――危ない!」


「ちっ、外したカ!」


 優男を殴りにかかったギガが舌打ちする。


「あなた、その角――まさか、ミノタウルスですか! その小ささで!」


「ギガを馬鹿にしたナ? ヒトはおいしくないカラ、あんまり食べないケド、お前は特別に丸焼きで食ってヤル!」


「この人、ちょっと強そうだね。ギガくん、ボクと二人でやろう。援護するよ」


 レイがそう言って杖に触れると、中から抜き身の白刃が飛び出した。


 仕込み杖だったらしい。


「プリミラああああああああ! お前は! 俺の全てをおおおおおおおお!」


 どうやら、東部の冒険者の英雄もちょっとは生き残っていたようだ。


 プリミラは早速、沼地の水たまりに紛れて隠れる算段を立て始める。


「まあお待ちなせえ。ちょっくら、オイラたちの相手もしてもらえやせんかね」


 そこに、デザートリザードのグループが割って入った。


「トカゲごときが――強い!? その剣、まさか、宝具か!? 中級魔族ごときが持っていい品じゃねえぞ!」


「オイラたちの御大将は器がでかいんでね。あんたも魔王様に臣従しやせんか? あの御方なら、働き者は種族分け隔てなく歓迎してくださいやす」


「誰が! 冒険者は! 自由だ! 何者にも縛られない!」


「それじゃあ、オイラたちには勝てやせんぜ」


 かつては魔族も、冒険者と同じで自由だった。


 しかし、今は自らの意思でそれを捨てた。


 勝つために。


 生き残るために。


(……さすがは英雄たちも強い。互角か)


 だが、それで十分だった。


 フラムたちが時間を稼いでいる間に、すでに大勢は決していた。


 オーガの騎兵は背後から冒険者の後衛を強襲する。


 慌てて前衛が援護に向かうも、その間にも、ゴブリン兵団の『壁』は着実に冒険者たちに迫っていた。


「うわあああああ! なんだ、こいつら、ゴブリンのくせにいいいいい!」


「刃が通らねえ! なんで、こいつら、全員、ちゃんとした鎧を!」


「オーガはアホだ! 目を潰すか、足を引っかけて殺せ――なっ! 魔法障壁だと!?なんで、オーガごときがそんな高級な――肩の上にワーウルフ!?」


 前門のゴブリン、後門のオーガ。


 中級以下の冒険者たちは成す術なく蹂躙されていく。


 それは、とても戦闘と呼べるような代物ではなく、まるで石臼にすり潰される小麦のようだった。


 逃げる者はオーガに踏みつぶされる。


 進む者は、叩かれ、突かれ、叩かれ、突かれ、即席のミンチと相成った。


 やがて、敵の陣営からアンチディスペルが失われる。


 すなわち、それはプリミラたちの勝利を意味した。


 解き放たれた魔将たちの全力の魔法が、歴戦の英雄たちを容赦なく屠る。


「う、嘘だ! 嘘だ! 嘘だああああああああああああああああ!」


 現実に、あるいは時代の流れに抗うような英雄の断末魔が、空しく寒空に吸い込まれていった。

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