第28話 ゴブリンK―1026の一生

 ブリザードが吹きすさぶ嵐の夜に、そのゴブリンは生まれた。


 そのゴブリンに名前はなかった。


 ただ、彼は生まれつき平均的なゴブリンに比べて腕が長かったので、ここでは便宜的に腕長と呼ぶ。


 腕長は、毛むくじゃらの手を持つ何かに抱えられ、ただ泣いていた。


 その心はすでに不満に満ちていた。


 未知への恐怖と、『なぜ自分がこんな不快で怖い思いをしなければいけないのか』という怒りと、自分をこのような状況に追いやった何かに対する憎悪が、順繰りにゴブリンの脳内を循環する。


 その鬱憤を何かにぶつけて解消したかったが、生まれたばかりの腕長は非力で何もできない。


 毛むくじゃらになされるがままに、腕長は別室に運ばれる。


 そこには、木の板の上に、頭と肩と腰のあたりを縄で拘束される形で無数のゴブリンの幼体が仰向けに寝かされている。


 腕長はそいつらを見て、少し溜飲が下がった思いがした。そいつらは、あまりにも醜く、弱そうで、自分の抱える負の感情をぶつけるのにちょうどよさそうな相手に思えたからだ。


 だが、その腕長にとってのささやかな幸福はすぐに奪われた。


 毛むくじゃらに無理矢理身体を押さえつけられ、頭と肩と腰の辺りを紐で拘束されたからだ。


『我々は弱い。だから、まとまらなくてはならない。我々は弱い。だから、まとまらなくてはならない。我々は弱い。だから、まとまらなくてはならない。我々は弱い。だから、まとまらなくてはならない。我々は弱い。だから、まとまらなくてはならない』


 絶え間なく繰り返される声がする。


 それが、ミミックバードという、聞いた声を正確に真似できるモンスターだと、腕長は知らない。


 ともかく、ミミックバードの輪唱は執拗に繰り返された。


 寝ても覚めても、その声は耳をついて離れない。


 それだけではなかった。


 目を開ければ、その視線の先にあるのは、とても大きな目玉だった。


 ナイトメアアイと呼ばれるそのモンスターは、戦闘能力が低く、幻影で相手を惑わせることができるだけの『下の上』クラスのモンスターであった。


 腕長はそのナイトメアアイによって、容赦なく幻影を見せつけられる。


 目の前には、一匹のゴブリンがオーガに、あるいはワーウルフに、なによりもヒトに、なすすべもなくなぶり殺される映像が繰り返し流される。


 最初、腕長は気分が良かった。


 弱っちい奴らが痛ぶられてるのを見るのはいい気持ちだった。


 しかし、最後に映し出された幻影は意味がわからなかった。


 木の板に縛り付けられた醜い小人が、歯ぎしりしながらこちらを睨みつけている。


 なんだこれは。


 つまらない。


 そんなことを思う。


 しかし、やがて気が付く。


 その醜い存在の動きが、自分のそれと連動していることに。


 腕長が瞬きをすれば小人も瞬きをする。手の指を動かせば、手の指を、足の指を動かせば足の指を。


 ふざけるな。真似するんじゃねえ。


 そんなことを思うが、いつまでも目の前の小人は真似をやめない。


 不意打ちのような動きをしてもついてくる。


 その内飽きるだろ、と眠って起きてもそこにいる。


 いくらなんでもこれはおかしい。


 ……待てよ。


 もしかして、こいつが、この醜い姿が自分なのか。


 ならば、先ほどまで嬲り殺されている存在も、やはり『自分』だったのか?


 腕長はようやくそこで認識した。


 無論、幻影であって、現実ではない。


 しかし、生まれたばかりの腕長には、幻影と現実の区別など曖昧なものでしかなかった。


 たちまち、腕長の中の『恐怖』の感情が爆発的に増幅される。


 繰り返される幻影が悪夢に変わる。


 腕長はただ恐怖に震えていた。


『魔王様は強い。魔王様に従う者も強い。従い、まとまれ。魔王様は強い。魔王様に従う者も強い。従い、まとまれ』


 殺され、殺され、殺され尽くしたその先に救いはあった。


『魔王様』と呼ばれるその存在は、後光を受けて光り輝いていた。その姿は靄のように曖昧で、確たる姿は見えないが、すごい奴だということだけはわかった。


 ゴブリンが、奇跡が起きても敵わないようなモンスターたちが、『魔王様』には平伏していたから。


 特に憎むべきヒトなんぞは、『魔王様』の指示を仰ぐまでもなく、その配下のトカゲに従うゴブリンの群れにすら容易く狩られていた。


『我々は弱い。だから、まとまらなくてはならない』


『魔王様は強い。魔王様に従う者も強い。従い、まとまれ』


 腕長は繰り返されるそのメッセージの意味をようやく理解した。


 邪悪なゴブリンは感謝という感情をもっぱら抱きにくい生き物だったが、それでも、恐怖の延長線上に『安心』を求める心の動きはあった。


 腕長はその中でも賢い個体とは言い難かったが、それでも『魔王様に従うことが、生存戦略において最善』である、と認識するぐらいの知能はあった。


 やがて、腕長の身体が大きくなる。もう少し爪が伸びれば、この紐を切り離せるのではないか――などと考え始めたその時、


「出ろ。お前たちは、偉大にして至高なる魔王様の軍隊の一員となれる可能性を秘めている。誇りを持って訓練に励め」


 毛むくじゃら――今はワーウルフだと認識しているその個体が腕長を解放する。


 同じように解放された他の個体と『まとまって』、外に出ていく。


 そこには、二本足で歩くトカゲが何体もいた。


 繰り返し見せられた幻影によって、それが自分たちを従える者だということは知っていた。


「ゴブリンども! おめえらは、まだ何者でもねえクズだ! だが、必死こいてオイラたちの訓練についてこられりゃあ、名誉ある魔王軍の一員になることができらあ!」


 トカゲの指導の下、厳しい訓練が始まった。


 怠けたり、ミスした奴は、居残りをさせられて、『統括』とやらをさせられる。


 腕長も、何回もくらった。


『統括』は本当にめんどくさい。居残り組全員でお互いの悪口を言い合ったり、自分の悪い所を100個言うまで寝かせてくれなかったりする。腕長は自分を素晴らしく優秀な存在だと信じている。しかし、それでも『統括』をくらってしばらくは、自分がゴミクズのように思えて、逆らう気も何も起きなくなるのが常だった。


 訓練では、何も楽しいことはない。


 武器を持たされての素振りと、行ったり戻ったり方向を変えたりの練習と、訓練は単調でつまらないものばっかりだった。


(めんどくせえ。こんだけたくさんのゴブリンがいれば、自分一人くらいバックれてもバレねえんじゃねえか?)


 どれだけ『統括』されても、腕長はすぐにそんな思考に至る。


 だが、恐怖は確かに腕長の中にしみついていて、一人で逃げ出すほどの度胸はなかった。


 そこで、腕長は『統括』で知り合った、トカゲの言う『不良個体』の仲間を誘った。


 断る奴もいたが、『鼻デカ』と『潰れ耳』が話に乗ってきた。


 ある晩、腕長は兵舎を抜け出した。


 三匹で走る。


 目指すは東だ。


 腕長は、東の方から、たまに家畜が連れてこられることを知っていた。


 いくらゴブリンが弱くとも、ヒトの女や牛や豚が相手なら負けるはずがない。


 自分たちより弱い奴らをイジメ殺して、おもしろおかしく過ごすのだ。


 ――そんなことを考えた瞬間、腕長は意識を失った。




「見たか、てめえら。仲間を裏切った愚かなるゴブリンの末路を。おめえらはただ至高にしていと慈悲深き魔王様の御心によって、生かされているということを忘れちゃあならねえぞ」


 翌朝、腕長はみんなの前で、文字通りの吊し上げをくらった。


 眼下には見るも無残な『鼻デカ』と『潰れ耳』の死骸があった。


 生まれてから数日の記憶がフラッシュバックする。 


 腕長は失禁した。


「馬鹿な奴だ」


「ネズミの方がまだかしこい」


「俺が裏切者を通報したんだ」


「偉そうにするな。どのみち『狼』が見つけた」


 他のゴブリンたちから、嗤われ、罵られ、唾を吐きかけられる。


「もう二度としねえ! 本当だ! 助けてくれ! お願いだ!」


 腕長はそれでもみじめに命乞いするしかなかった。


 ボコボコにされながらも辛うじて命をつなぎ止めた腕長は、それからは真面目に訓練に励んだ。


 恐怖に支配されていたし、何より、周りに侮られたままなのが我慢ならなかった。


 やがて結果はついてきた。腕長は、頭はともかく身体能力的には比較的優秀だったので、一兵卒としての訓練の成績は悪いことはなかった。


 やがて、訓練を終えた腕長はゴブリンK―1026という認識番号を与えられた。


 この程度は自慢にはならない。


 訓練を終えたゴブリンの兵士は皆、持っているからだ。


 もちろん、訓練を終えられなかったゴブリンよりはマシだが、腕長は、そんなクズ共はもはや自分とは別の愚劣な生き物だと認識していた。


 腕長の目指すのは、五体のゴブリンを束ねる権限を持つ小隊長だった。


 小隊長になると、『名前』が貰える上に、『種付け』の権利が貰える。


 そこまで行けば周りに自慢できる。


 そんな腕長に、幸運にもチャンスが巡ってきた。


 東で商隊を襲う一団に加えてもらえるというのだ。


 敵に魔王軍の動きを気取られないようにわざと粗末な装備を着させられている――ことなど、腕長は気にならなかった。


 自分が優秀だから選ばれたのだと本気で思っていた。


(こんなはずじゃなかった……)


 だが、実戦はそんなに甘いものじゃなかった。


 商隊と護衛に雇われた冒険者は、まとめてかかれば勝てないほど強くはなかったが、ナイトメアアイに見せられたほど弱くはなかった。


 任務を果たす度、仲間の何人かが死んでいく。


 時には冒険者側から寝床に襲撃を受けることもあった――それがトカゲの策でわざと誘い込んだ者であっても、犠牲になるゴブリンが出てくるのは避けられなかった。


 それらの事実は、腕長の中の恐怖を過剰に喚起した。


 次は自分の番かもしれない。


 心が休まる暇がない。


 訓練のように決まった時間で仕事が終わる訳じゃない。


 敵の行動に合わせて睡眠も不定期になるし、食事も急いで食わなきゃいけないし、時には食えない。


 敵に居場所を特定させないために、寝床だって頻繁に変わる。


 段々、イライラが溜まってきた。


 誰かを痛ぶりたくてしょうがなかった。


 なぜと言われても答えられない。とにかく、自分より弱い者が苦しんでいるのを見たくて仕方がない。そういう奴らを見て安心したい。そんな衝動が頭の中をぐるぐるしている。


 でも、それは許されない。


 トカゲに禁止されてるから。


 トカゲは冒険者を無駄に痛ぶることはしなかった。


 さっさと殺して、パっと奪って去る。


 それがトカゲの方針だ。


 わざわざ痛ぶるために、冒険者を半殺し状態で生かして連れて行くようなことはしなかった。


 とにかく、余計な時間をかけるのが嫌なのだ。


 余計な時間をかけたら、敵の応援やら、魔法の感知やらにひっかかる危険が増すからだ。


 小隊長を目指している腕長は、それくらいのことは学んでいた。


 それでも、欲を抑えきれずに、ヒトの女を寝床に連れて行こうとしたゴブリンがいた。


 そいつはトカゲにすぐに見つかって、あっけなく殺された。


『ボケが! そういうことやってるとなあ、いずれ巣から逃げ出す奴が出てくんだよ! そいつに、冒険者ギルドに居場所をチクられたら、オイラたち全員の迷惑だ!』


 腕長は訓練の時もトカゲを恐れていたが、あれはまだ手心を加えていたのだと知った。


 戦場でのトカゲは、本当に全く一切の容赦がなかった。


 そんな戦場でも、全く救いがない訳ではなかった。


 たまに、ナイトメアアイが気持ちの良い夢を見せてくれる。


 腕長が英雄として活躍し、ゴブリンの頂点に立つ夢だ。


 でも、幻影から覚めたらみじめになる。


 もう腕長はなにも知らない幼体ではないのだ。


 現実と幻影の区別くらいはついている。


 ああ、ぶっ殺したい。


 ぶっ殺したいが、ぶっ殺したら、ぶっ殺される。


 怖い。怖い。怒られる。殺される。


 どこかにぶっ殺しても怒られない奴はいらないのか。


 ああ、そうだ。


 いるじゃないか。


 ここに一人だけ。


 自分は自分なんだから、何をやってもいい!


 反撃はされない!


 そうだ。自分は立派なゴブリン軍団の一員なのだ。


 いずれ小隊長になる素晴らしい兵士だから、こんな頭のいい解決方法を思いついた。


 天才だ! 自分はゴブリンの英雄だ!


 現実と妄想と恐怖と怒りと誇りがぐちゃぐちゃにかき混ぜられて歪む。


 腕長は足下の石槍を拾い上げ、その先端を自身の喉に突き立てた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る