第26話 業務日誌(1)


 聖が魔王に着任してから、三ヶ月。


 今日は、月に一度の視察の日だ。


 聖は、基本的には部下を信頼して任せることが管理者の務めだとは思っているが、今は事業のスタートアップの不安定な時期であるし、現場を見ないと経営の感覚がズレてしまうことが多々あるので、必要な仕事であった。


 そんな聖の傍らに、内政と特に関わりの大きい、シャムゼーラ、プリミラの二名が付き従う。


「では、まずはゴブリンの生育状況について確認しましょう。すでに皆さんからきちんと報告を受けているので問題はないと思うのですがね」


 そう前置きした上で、聖はゴブリンを生産する現場へと向かう。


 そこには、母体の畜種ごとの生態に合わせて、ギガの土魔法で畜舎が作られていた。


 雪除けの屋根や風除けの塀はもちろん、地面の下には武器を生産する過程で発生した温水が還流されており、冬にしてはかなり過ごしやすい気温になっている。


 今も、そこかしこから、家畜が出産の苦しみにうめく声と、ゴブリンのしゃがれた産声が聞えていた。


「……わかった。まず、手洗いや入浴管理の徹底によって、衛生管理が向上。……また、成体と幼体を隔離し、一定の大きさに成長するまで保護することによって、共食いや喧嘩で死ぬ個体もいなくなった。……さらに、農業生産の開始と、今までは一部の強いゴブリンが寡占していた食料を適切に配分するシステムが構築されたことにより、栄養事情も好転した。以上の要因から、ゴブリンの生存率は劇的に向上。……従来、100匹中30匹ほどの生存率だったものが、今は93匹以上の個体が無事成体となっている。……また、種付け後の母体を分離したことにより、興奮したゴブリンに母体が不用意に痛めつけられることも避けられたため、リソースの損耗も少ない」


「全部、あなたの手柄のようにおっしゃりますけどね。実際にこの家畜小屋を切りまわすのに腐心しているのは、ワタクシの配下の者たちですのよ? ワーウルフやらコボルトやらに衛生観念を教え込んだり、幼体を傷つけないように爪を研がせたりさせるのにどれだけの苦労があったか、思いを馳せて頂きたいものですわ」


 部下の魔族たちを叱咤しながら忙しそうに走り回る神官たちを見遣って、シャムゼーラがちくりと言う。


 大戦を生き残った、数数ない回復魔法が使える神官は、聖が持っていたいくらかの医療知識を得て、獣医のような役割を与えられていた。


 シャムゼーラとしては、自分の配下の人材が、会社で言う所の出向のような形で、プリミラに指揮権が移譲されている形になるので、不当に扱われないように一言釘を刺しておきたかったのだろう。


「……それを言うなら、ワタシの配下のスライムは、日々家畜の糞尿の処理に従事している」


 プリミラは床を這いずり回る茶色いスライムを指さして答えた。


 それらの活躍のおかげで、家畜小屋の臭いはゼロという訳にはいかないが、地球のそれと比べても、不快感はだいぶ少なくなっていた。


 事業を始めてみてわかったのは、ゴブリンの次に弱いといわれるスライムの有用性である。


 彼らは水分さえ与えてやれば、環境に適応する性能が非常に高く、捕食の管理さえきちんとできれば、汚物処理に持ってこいの存在と言えた。


 ちなみに、スライムは武具の生産における工業廃水の処理にも大活躍している。


「よろしい。非常に上手くオペレーションが回っているようですね。何か問題はありましたか?」


「……作業工程に影響するほどの問題はない。ただ、ヒトの雌奴隷はあまり使い物にならないから、母体の調達候補から外した方がいい」


「ふむ。ヒトは、母体の健康に気を遣ってもダメでしたか」


「……肉体的には、餌のコストが高い以外の問題はない。ただ、ヒトは精神の方がもろすぎる。他の家畜に比べて知能が高いから、脱走や反乱や自死の危険性も高くて、生産数の割に管理コストがかさみすぎる。かといって、一体一体隷属魔法で服従させるほどの価値はないし……。発情期がなくて年中繁殖できるというメリットはあるけど、それならば、同じヒトの界隈から調達できる牛や豚の方がずっと扱いやすい。……今いるヒトはアンデッド化する等、何か別の使い道を考えるべき。――旦那様の財産を無駄にしたことを謝罪する」


 プリミラはペコリと頭を下げた。


「挑戦に失敗はつきものですから、問題ありませんよ。改善し、同じ失敗を繰り返さなければそれでよいのです」


 聖は鷹揚に頷いた。


 ちなみに、ヒトの弱さを知っている聖はもちろんこうなることが予測できていたが、プリミラに敢えて指摘せず、一回はヒトを他の動物と同じように扱わせた。聖は元々人間であったため、やらせる前からヒトを保護すると、他の魔族からヒトを贔屓していると思われかねない懸念があったからである。


「――お父様、次は農場へ?」


 シャムゼーラがさりげなく言う。


 畜舎は長居して気分がいいような場所でもないので、早く次に行きたいのだろう。


「そうですね。『腹が減っては戦はできぬ』と言いますから」


 聖はそのまま農場へと向かった。


「……旦那様も知っての通り、ワタシたちのメイン作物は、イビルプラントの地下茎。およそ、20日のサイクルで大量に収獲できる有用な作物」


 イビルプラントは体長2メートルほどの、下級魔族に属する植物系モンスターで、ジャガイモを二回りくらい大きくしたような毒々しい紫の実をつける。


 根っこから半地下のような形でチラ見えするその実は、野生動物や自分よりも弱い魔物――化けネズミなどをおびき寄せる餌だ。獲物が餌を食べている間に、その蔦で息の根を止めて捕食するのである。


 地球で言う所の食虫植物に近いが、普通の植物と同じく光合成したり、根っこから栄養分を吸収したりといったこともできるので、非常に生命力は強い。


 幸い、彼らは植物故に自ら動けない性質のおかげで戦火を免れていた。


 結果、数としてはたくさん残っていたので、栽培を始めるには、オーガ等を使役して畑に植え替えてやるだけでよかった。


 ちなみに、イビルプラントの実の味は非常に不味いし、ゴブリンや家畜が食べる分には問題ないが、ヒトの基準でいえば毒がある。


 実際、最初はヒトの奴隷に与えていたが、しばらくしたら腹を壊して死んだらしい。


「とはいえ、普通、冬季は日照量の低下と気温の低さから、実がなるまで60日はかかるものですわ。これだけの収穫量を実現できたのは、全てはお父様のお知恵の賜物です」


「大したことではありませんよ。むしろ、私は皆さんの魔法の技術に感服するばかりです――ともかく、食糧の件も解決しそうですね」


 シャムゼーラの尊敬の眼差しに、聖は満足げに頷く。


 知恵と言っても、聖が出したアイデアは、畑に温室を作って気温を保ち、肥料を与えると言った、常識の範疇のことでしかない。


 むしろ、パッとそれをやれと言ってできる彼女たちがすごいのだ。


 ギガが畑の周囲に土壁を作って、風雪を遮るところまでは畜舎と一緒だ。


 問題となりそうなのは、天井だった。


 ガラスを作るのは技術的には不可能ではなさそうだったが材料が足りない。


 無論、プラスチックのビニールなどあろうはずもない。


 しかし、懸念はすぐに解決した。


 いくつかの支柱を用意して、イビルプラント自身に命じて蔓同士を絡ませ合わせ、その隙間を葉で埋めることで天井に蓋をすることは容易だった。


 魔物にはある程度の知能があるのだから、それを使わない手はないのだ。


 さらに、日照量の低下は金属板を並べて鏡代わりにし、反射光を確保することで補うことができた。


 肥料に関しては、専用の醗酵室を作り、またスライムで浄化した工業廃水の温水を利用して温度を維持した。さらに土魔法に詳しいギガの助力や、発酵を早める菌糸類のモンスターの投入もあり、短期間で肥料を生成することもできた。


「……温室の効果によって、成育に適切な気温が保たれた。また、畜糞を利用した肥料によって栄養状況が好転。生産量は増えている。このままいけば、ゴブリン兵団30000が出兵するに足る食料の生産は十分に可能」


 プリミラが頷く。


「素晴らしい! 報告書に書かれてなかったことで、何か私に伝えておくべきことはありますか?」


「……強いて言うなら、ギガが『このイモまずすぎル!』などと言って、勝手に品種改良用の畑を作っていることくらい。どうやら、レイたちを経由して商都から異国のイモを入手したらしい」


「ギガさんにはあまり愉快でない仕事を押し付けてしまっていますからね……。その程度の趣味ならば役得として許容します。本体の畑に交雑等の影響が出ないように分離しさえすれば、特にやめさせるほどのことではないでしょう」


「……ギガも一応は、隠しているつもりらしい。辺境の隅の方にちょこっと温室を作ってるだけだから大丈夫」


「はあ、さすがは『暴食』ですこと」


 シャムゼーラが呆れたように溜息をつく。


「では、次はそのギガさんの所に行きましょうか」


 次なる場所はたい肥小屋の近くにあった。


 そこには、深く穴を掘ったトイレが大量に用意されている。


 ここは敢えてとある理由から、スライムによる浄化を行っていないので、悪臭が絶えず漂っていた。


 目に染みるようなその臭いに耐えかねてか、プリミラは水のバリアのようなもので周囲を覆い、シャムゼーラはハンカチで口元を覆っている。


 さらにその奥、無数に並ぶ風通しのいい小屋の前に、目的の人物はいた。


「もー! なんでギガはこんな臭い系の仕事ばっかりやらなくちゃいけないんダ!」


 ギガは半泣きになりながら、その小屋に向き合っている。


 小屋の中には、この世の終わりのように汚らしい色をした盛り土が小山のようになっていた。


「こんにちは、ギガさん。硝石の生産作業は順調ですか?」


 聖は顔色一つ変えずにそう声をかける。


 ギガへの仕事に対する敬意を表して、鼻をつまむような真似はしない。


「あっ! 魔王様! なー、これ本当に必要なことなのカ!?」


「もちろんです。今後の魔族の命運を握ると言っても過言ではない、とっても重要なお仕事ですよ」


 小山の正体は、木の葉や草や土と糞尿や戦場から拾ってきた死体などの混合物だ。


『硝石丘法』といって、かつてのフランスで発明された硝石の生産方法らしい。


 通常は出来るのに二~三年かかるものを、温度管理や魔法のフル活用で早めようとしているが、それでも一年はかかりそうだった。


 硝石を作る用途は、もちろん、黒色火薬を生産だ。


 しかし、今は銃器を開発している余裕もないし、残念ながら今回の戦争までには間に合わないのは仕方ない。


「うー、本当に本当だな!? ギガがこっそりおやつを盗み食いしたことに怒ってるんじゃないよな!?」


「あなたでしたのね! ワタクシが神官たちをねぎらうために作っておいた麦菓子を全部食べたのは! 薄々そうじゃないかと思ってましたけど、いみじくも魔将の一人がそんなにせこくてはしたない真似をするなんて……」


 シャムゼーラが瞳を手の平で覆って嘆く。


「うるさいノダ! さっさと食べずにとっておく方が間抜けダ! それが魔族の掟ダ!」


 ギガが開き直ったように叫ぶ。


「まあ! お父様、お聞きになりまして!? この言い草! 信賞必罰は王権の要。是非、この不埒者に罰を」


 シャムゼーラが聖に訴えかけるような眼差しで言う。


「ギガさん。盗みはいけませんよ。組織の信頼関係を破壊します。一度目は見逃しますが、次同じことをしたら必ず罰しますから、覚悟しておいてください。もし報酬の増額等の交渉がしたいのならば、直接私の所に言いにくればいいんです」


「お、そうなのカ!? じゃあ、ギガは今までの契約に加えて、毎日のおやつを要求するゾ! こんだけ頑張ったら、余計にお腹が空くのは当たり前なノダ!」


「……『暴食』を返上して、『強欲』に鞍替えした方がいい」


 プリミラがぼそっと呟く。


「ふむ。確かに、ギガさんには他の魔将の方々と比べても、どうしても汚れ仕事ばかり押し付けてしまっていることは事実ですしね。特殊勤務手当があってしかるべきかもしれません。毎日のおやつは今後の交渉次第として、とりあえず、今日のところは、ギガさんの働きに報いるために、臨時ボーナスを出しましょう。レイさんとアイビスが色々と材料を仕入れてくれたので、ワンランク上の料理が作れるかと思います。そうですね……『キッシュ』にしましょうか」


 『キッシュ』はフランスの料理であるし、色や見た目もちょっと硝石丘っぽいから、とエグめの連想をしたことは秘密だ。


「おお! 本当カ!? 『キッシュ』ってなんだかおいしそうだナ! ギガ頑張るゾ!」


「はい。二~三時間ほど経ったら仕事を切り上げて、入浴でも済ませてから謁見の間にいらしてください」


「わかったノダ! ふん、ふん、ふん、豚の糞ー♪」


 ギガが鼻歌まじりで仕事を再開する。


「――単純な脳みそをお持ちのようで羨ましい限りですわ」


「……助かる」


 シャムゼーラとプリミラは、どこか諦めたような口調でそう吐き捨てた。


「ともかく、こちらも問題なしということで良さそうですね。後は、生産に関わるお仕事――工廠の方にも顔を出す必要がありますね。そちらはフラムさんの管轄になりますから、プリミラさんとシャミーは仕事に戻って頂いて構いません。お疲れ様でした」


「……了解」


 プリミラが短く頷いて去っていく。


「あの、お父様……」


「わかっていますよ。私のために一番頑張ってくれてるのはシャミーだということを。こういう目立たないけど重要な仕事は信頼できる娘にしか任せられない」


 もの言いたげな顔のシャムゼーラの耳元で、聖は囁く。


 事実、シャムゼーラのしている仕事は、地味だが重要なものだった。


 例えば、作った武具や食糧はどこに保管しておくのかなどの差配。


 必要な物資の量の計算とスケジュール調整。


 そういった細々とした事務仕事は、全てシャムゼーラとその部下がやっているのだ。


 脳筋が多い魔族軍において、まともな官僚組織として神官衆を機能させているシャムゼーラの手腕は見事なものだった。


「あ、ありがとうございます」


「――確か、荷車を作った後の端材が余っていましたね? それで寝室にブランコを作りましょう。ヒトの親子は、そういった遊具で絆を深めるそうですので」


「はい……。お父様、楽しみにしています……」


 シャムゼーラは頬を染めてとろんとした目で頷く。


 聖からすれば、シャムゼーラもギガ並にちょろ――もとい、無欲な勤勉家であるのだが、わざわざそれを自覚させてやるほどのお人好しでもなかった。

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