第25話『強欲』と『色欲』(2)

 商都ザンギスに大店を構える穀物商――ゾンガは不機嫌であった。


 最近、景気が悪い。


 周りもそうであればまだ慰めもあるが、一部の商人たちが大戦景気に沸く中で、ゾンガたちの商会は取り残されていた。


 ゾンガは比較的新興の商人だった。


 ゾンガが任されているのは、別大陸に本店を持つとある大商会の支店で、本店のある大陸から穀物を大量に安く仕入れられるのが強みだった。


 本来ならば、食糧を大量に消費する戦争で、大いに儲けられるはずだった。


 しかし、今回の大戦で、ゾンガたちは上手く権益に食い込むことができなかった。


 騎士と神徒と商都が複雑に絡み合う今回の戦争に介入するには、こちらの大陸での地盤が弱いゾンガたちには不利であった。


 もちろん、穀物自体の需要はあるのだが、前線への輸送を担う陸路の権益は、旧来の商人に独占されており、荷運びで足下を見られて利が薄いのだ。


 水運ならば、航海技術に秀でたゾンガたちにも少しはツテがあったのだが、忌々しき『狡知のプリミラ』のせいで、満足に荷運びもできない。


 当然、最前線のアンカッサの街を支配するのも、対立派閥の商会である。彼らは自分たちで権益を独占するために、水運の安全を守る気概が薄く、半ば放置している嫌いがあった。


 ゾンガたちにできることと言えば、せいぜい、中立たる冒険者ギルドを通じて、プリミラにかける懸賞金を上げて、冒険者たちを鼓舞することくらいであった。


「こんにちは。こっちの大陸は寒いね」


「へいらっしゃい。今年は特にひどいんですよ」


 店にやって来た客に、ゾンガは内心の不機嫌はおくびにも出さず、挨拶を返した。


 褐色の青年だ。


 なまりや服装から察するに、ゾンガがやってきた北の大陸とも違う――さらに遠くの南方の出か。


 かなり大きな南方風の船が港に入ったことを、ゾンガはすでに掴んでいた。


 異国の商人の子息が、腕試しにやって来た――そう言った風情だと、ゾンガは当たりをつけた。


「穀物を買うならここだ、と知人から聞いてね」


「そりゃどうも。取引する前にすみませんが、こいつを握って頂けますかい。普通はこんなことはしないんですが、今は戦時中で色々と物騒なもんで」


 ゾンガは、破魔の聖銀を取り出す。


 本来ならば、商都ザンギスは魔族が許された街だ。


 そうしなければ、魔族と取引を許す他の国際港に利益を持っていかれるのだから当たり前だ。知性があって、金が払える相手ならば、誰とでも取引するのが商人というものだ。


(ったく。アンブローズ商会の奴ら、自分たちの事情をこっちに押し付けてきやがって)


 しかし、魔族と戦争するに当たっては、自由取引を許していては障りがある。


 特に共同戦線を張る『神徒』から、魔族に与する『神敵』だとみなされかねない。


 そこで、戦争を始めるに当たって、戦争が終わるまでは魔族と取引しないこと。取引の際には、聖銀による魔族チェックを行うことが、『六商会議』で義務付けられたのだ。


 無論、全ての取引から魔族を排除することなどできはしないのだが、とりあえず、『やることはやってる』という建前を作っておこうと言う話である。戦争で利益のないゾンガたちには迷惑な話であった。


 そもそも、この大陸でも、西にも南にも海があるのに、なぜ東だけが交易で栄えているかといえば、それはひとえに魔族との契約によって、航路の安全が確保されているからなのだ。


 東の海を支配している魔族は、比較的『話が分かる』相手であった。


 すなわち、毎年一定量の生贄を捧げることを条件に、船舶を襲わない契約を結べるほどの知性と自制心と支配力を有していた。


 商人たちは儲けることができ、魔族も冒険者たちに煩わされずに、よその海域に攻勢をかけられる。まさにwin―winの関係であった。


 そもそもが魔族と妥協することによって成立した街であるのに、都合よく取引する魔族としない魔族を選別している。


 それは、自由取引という商人の正義にも反している、とゾンガは思っていた。


「構わないよ」


 褐色の青年は躊躇なく聖銀を握る。


 問題はなさそうだ。


「へい。ありがとうございやす。それでは、ご用件をうかがいやしょう」


「――穀物をまんべんなく仕入れたい。量は……これくらいだね」


 青年が指で示したのは、かなりの量だった。


 今、ゾンガが出せる在庫の8割近い。


 これは大商いだ。


「……今は冬ですし、戦時中の折ですから、安くはありませんぜ」


「そうだね。兵士の口にパンが入るまで、上手く運べたらの話だけど」


「……左様で」


 どうやら、それなりにリサーチはしてきたらしい。


 ゾンガたちがあまり儲けられてないことは把握しているようだ。


「外国人だからと言って、馬鹿にしないでもらいたいな。暴利をむさぼる気はないけど、損をする気もないんだ。もうすぐ、戦争が終わったら、穀物価格は暴落するよね?」


 青年の言う通りだった。


 戦争が終われば、兵士の大部分は帰納して、農業生産力は回復する。


 実際に回復するまでは多少時間がかかるが、『見込み』で先んじて取引するのが商人である。


 先の決戦での勝利を受けて、戦争の終結はほぼ確定的な事項であるとみなされている。


 平時に比べて、穀物価格が高いのは事実だが、ピークは過ぎた、という見方が大勢であった。


「ご慧眼に感服しました。お互い納得のいく落としどころを見つけましょうや」


「元からそのつもりだよ」


 そこから、小一時間ほど交渉して、話はまとまった。


 向こうが『今後の付き合いも考えて』と、少し譲ったので、まあ、総じていえば、悪くない取引であった。


「毎度あり」


「今後ともよろしく」


 ゾンガの倉庫から、穀物が運び出され、船着き場近くの保管庫――日貸しの倉庫へと移される。


 ……。


 ……。


 ……。


『火付け強盗が出て、船荷が焼かれた』


 そんなニュースがゾンガの下に飛び込んできたのは、その晩のことだった。


「俺たちより運がない奴らもいたもんだ」


 それぞれの商人が自己責任の名の下に自衛するのが原則の、商都の治安は決してよくない。よって、盗賊の類も多く、火付け強盗もたまにあることとはいえ、少し同情する。


 あの褐色の青年は、あの大損どころか、破産だろう。


 案の定、奴らの船は、人目を避けるようにこっそり船出をしたらしい。


 もっとも、すでに代金を受取っているゾンガからすれば、対岸の火事に過ぎなかったが。


 商都では噂が流れるのも早いが、消えるのも早い。


 異国のお坊ちゃんの悲劇は、日々のもうけ話の噂に流されて、すぐに気にする者もいなくなった。




 *      *    *




「任務完了?」


「ああ。これで穀物価格はまた上がるよ」


 夜半の雲の中を、レイは飛んでいた。


 アイビスはレイに肩車される形でそこにいる。


 小舟は今頃、海の底で魚の隠れ家になっていることだろう。


「ほとんど全部焼いちゃうの、もったいないよねー。ゴブリンの餌には上等すぎるくらいの食べ物なのに」


「ま、いくら君の幻想魔法があっても、魔族の領地まで、バレずに大量の食糧を運びこむのはさすがに難しいからね。魔王様には、『ギガが食べる分くらいは持ち帰ってきてくれ』と言われてるけど」


 レイは右腕でアイビスを支えながら、もう片方の腕で穀物袋を抱えていた。


 それは、買い付けた商品の中でも選りすぐりの、一番上等な品だった。

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