第15話『憤怒』と『暴食』(3)

 魔王城へと急行したフラムは、上空から見た、北領の変貌ぶりに驚いた。

まず何よりの変化は、前はなかった川ができていることだ。


 さらに、荒野の一部に降り積もっていた雪は取り払われ、地肌が露わになっている。


 その土地を、中級魔族にどつかれながら、ゴブリンが耕していた。


 手にしているのは、戦場で使い捨てにされていた奴隷が持っていた武器――鍬のようだ。


 一方、東領に近い水はけの悪い土地では、オーガが、ギロチンにΩの形の鉄輪をつけた道具――鋤という存在をフラムは知らなかった――を引きずり、行ったり来たりを繰り返していた。


「おー、知ってるか、フラム。あれ、畑って言うんダゾ! 食い物を作るつもりなのカ!? フラム、降りてみヨウ! 美味い物あるかもしれナイ!」


 フレイムドラゴンと化したフラムの背中の上に乗っているギガが、ぺちぺちと肌を叩く感触がする。


「やめとけ。魔王の許可を取ってからにしろ。それより、オレはあのプリミラがやる気になってるのが不気味だぜ。一体、魔王とどんな取引をしたんだか」


 フラムの知っているプリミラは、『怠惰』の傾向がある水属性であるという事情を鑑みても、積極的に何かをするというタイプではなかった。彼女は口を開くのすらおっくうそうな魔族であった。


 それなのに、今は水魔法を常時行使しながら、時にはあちこちを走り回り、配下らしき魔族たちにテキパキと指示を下しているではないか。


 魔王の権能で強制されているという雰囲気でもないし、一体この短時間に何があったのか、疑問に思って当然だった。


(まあ、魔王がどんな奴かは直接会ってみりゃ分かることか)


 フラムはもう腹を括っていた。


 会うと決めたからには、早い方がいい。


 既にシャムゼーラとプリミラは魔王に臣従を決めたことは間違いなさそうだ。


 七人いる魔将の内、帰参するのが下から数えた方が早いような状況には陥りたくなかった。


 障害物のない広場へと着陸し、二足歩行の形態へと戻る。


 今も増築を繰り返しているという魔王城の佇まいは、一言では表現できない。例えるなら、死霊術で作り出されたキメラのように、アンバランスで複雑怪奇な形状だった。


 ギガと共に、獲物を迎えるドラゴンの口のような形状の入り口をくぐる。


「お二人共、随分、のんびりとしたお越しですのね。魔王様のご要請に対して、あまりにも無礼ではなくて?」


 待ち構えていたように姿を現したシャムゼーラが、嫌味っぽく問うてくる。


「悪いな。お前の親父がくたばった尻ぬぐいをするのに忙しくてよ」


 フラムは即座に嫌味で切り返した。


「あら、どなたのことでしょう? ワタクシのお父様は敬愛する魔王様はただお一人なのですけれど」


 シャムゼーラはわざとらしく首を傾げてとぼける。


(ちっ、早速魔王に取り入りやがったか)


 彼女の発言の意味を、シャムゼーラは正確に理解した。


「なー、お前ラ、そういうのはいいカラ、早く魔王に会わせてクレ」


 ギガがうんざりしたように言った。


 今のシャムゼーラとのやりとりは、魔族的には挨拶みたいなものなのだが、食欲一直線のギガには通用しない。


「そうですわね。魔王様もお待たせするのも失礼ですから、さっさとお行きになればよいのではなくて?」


 シャムゼーラは、そう言うと踵を返した。


「やけにあっさり引き下がるな?」


 いつものシャムゼーラなら、もう二言、三言、嫌味を言わずには済まさないはずなのだが。


「別に他意はございませんわ。お父様の『秘書』でもあるワタクシは、あなた方と違って、色々と忙しいんですのよ――ああ、そうそう。伝え忘れてましたわ。寛大なるお父様は、恐れ多くもあなた方を歓迎するために、お茶会の準備をしてくださっておりますわ。早くしないと、お茶も冷めますし、お茶菓子も乾いてしまいますわよ」


 シャムゼーラはそれだけ言い残して、足早に去っていく。


「菓子!? あの甘いやつがあるノカ!? うおおおおおお、早く食べたいノダ!」


 ギガが猪突猛進に駆け出した。


「おい! もう少し警戒を――ったく、しゃーねーな」


 フラムはギガの後を追った。


 シャムゼーラが来たということは、魔王もフラムたちの到着は知っているはずだ。と、なれば出遅れていいことは一つもなかった。


「『暴食』のギガ、来たノダ!」


 謁見の間の前で立ち止まったギガが奥に声を投げかける。


 さすがのギガも、この奥に控える尋常ならざる魔力の存在に気付いてはばかったらしい。


「『憤怒』のフラム。偉大なる魔王様に謁見を求めるぜ」


 フラムも続けた。


「どうぞ! お入りください」


 朗らかな男の声が答えた。


 ギガとフラムは謁見の間の扉に手をかけた。


 上級魔族であっても、苦労するほどの重さ。


 その扉を動かせることそのものが謁見の資格であると言われるほどの重厚さだが、魔将である二人には造作もない。


「ようこそ。ギガさん。フラムさん。こうして、お二人をお迎えできたことを、本当に嬉しく思います」


 そう言って、歓迎の意を示すように両腕を広げた魔王――と思しき男は、玉座に座ってはいなかった。


 彼は床に胡坐を掻き、レースの織物がかけられたテーブルを挟んで、フラムでもギガでもない第三の女性と相対している。


「あら。うふふふ、あなたたちも来たのね――ほら、『お友達』のみんな、ご挨拶」


 女性らしい楚々とした佇まいで横座りする女は、振り向くことなく、首を180度回転させてこちらを見た。


 それは、生者には許されない不死者の挙動。


 女性の動きに連動するかのように、彼女の周りとりまく、無数の不死者の群れ――女性の言う所の『お友達』も一斉にこちらを向いた。その種族に統一性はなく、ヒトやワーウルフはもちろん、中には、かつてフラムの部下だったデザートリザードもいた。戦士も、弱者も、賢者も、愚者も、彼女のまき散らす死と冒涜的な再生の前では、全て平等であった。


「ウグッ。こ、こんにちは、なノダ」


 ギガはペコリと頭を下げてから、さりげなく一歩引いて、フラムを前に押し出した。


「邪魔するぜ」


 フラムは平然を装ってそう言いながらも、頬が引きつるのを感じていた。


(げっ……。モルテの奴、オレらより先に来てやがったのか。シャムゼーラめ、わざと嫌がらせでオレらをこの場に放り込みやがったな)


 シャムゼーラが先ほどあまり絡んでこなかった訳を、フラムはすぐに察した。


 シャムゼーラは、彼女の敬愛する魔王の命令にすぐに応じなかった意趣返しに、魔族の誰もが避けるこいつと鉢合わせをさせたのだ。

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