第16話『憤怒』と『暴食』(4)

 魔将の一人、『嫉妬』のモルテは、死霊術の名手として知られている。


 青白い肌、黒いアイシャドウに紫の口紅、名工の作った彫像のように整った顔と身体。


 フラムには到底似合わないような、フリフリのついた黒いゴシックドレスを優雅に着こなしている。


 しかし、そもそも、彼女の容姿を描写することは、あまり意味をもたない。


 モルテは気分次第で、すぐに別の身体に魂を移して乗り換える。


 今日の彼女の外見と、明日の彼女のそれが一緒である保証は全くなかった。


 彼女にとって肉体は玩具であり、交換可能な魂の器にすぎない。


 美しいのも当たり前だ。


 モルテの肉体の器は、彼女の選りすぐりのコレクションの中から選抜され、時には『改造』も施された特別製なのだから。


 まあ、そこまでは問題ない。


 伝統的に、死霊術が『嫉妬』の二つ名を冠するのは、自身の産まれ持った肉体に満足せず、常に他者の優れた身体を妬んで欲するが故。死霊術を武器にする以上は、様々な肉体をいじり倒し、その分野で高みを目指すのは、魔族としては当然と言えた。


 モルテがそのようなただの規範的な『嫉妬』の魔将であったならば、他の魔族は、警戒しつつも、一つの力の在り方として彼女を認めただろう。


 だが、彼女はそれまでの『嫉妬』の魔将とは、決定的に違った。


 他の『嫉妬』にあったような、『敵意』は彼女の中には微塵も存在しなかった。


 モルテが他の魔族から忌み嫌われる原因は、ひとえに彼女が『善意で』、他の者をアンデッド化しようとする悪癖にある。


 彼女は初対面の相手に、必ずこう言う。


『お友達になりましょう?』


 この問いに、『はい』と答えた者は、アンデッドになる。


 モルテ曰く、一つの肉体にこだわることは、砂上の楼閣で生活するようなものであり、自殺も同じであった。


 彼女は、『友達』が、そんなにいつ死ぬかも分からない脆弱な肉体にとらわれていることが哀れで仕方がないと思う。


 だから、『解放』してあげる。


 望んだ者は、望んだ通りのアンデッドへ。


 望まない者は食わず嫌いで、アンデッドになることの素晴らしさを知らないだけなので、モルテの考えるそいつに『お似合い』のアンデッド用の肉体をプレゼントしてあげる。多少強引でも問題はない。『お友達』からのプレゼントを嫌がる者はいないのだから。


 もちろん、この際、アンデッド化された対象に自由意志が認められるかはモルテの気分次第だ。


 だが、たとえ自由意志が認められても、もはや後の祭りであることには変わりない。


 使い捨てのゾンビならともかく、上級魔族レベルのアンデッドには高度なメンテナンスが必要である。滅びたくなければ、少なくても自分で自分をメンテナンスできるくらいに死霊術に熟達するまでは、否応なしにモルテと『お友達』にならざるを得ないのだった。


『前より強くなれたのだから良い』


 そう割り切る魔族もいる。


 確かに、自由意志を許されたアンデッドはただでさえ魔族の弱点である光属性の魔法に激弱になることを除けば、戦闘面で特にデメリットはない。むしろ、筋肉や骨などの身体的な制限を超越した戦闘が可能になるので、強化されるといえるだろう。


 だが、もちろん、アンデッド化には代償もある。


 多くの、『生』の悦び――肉体に付随する快楽の全てを失うのだ。


 すなわち、『色欲』を失い、生物的な繁殖はまず不可能になる。


 当然、味覚も失うので、食にこだわるギガがモルテを恐れるのは当然だろう。


 フラムも、あくまで『生』あるデザートリザード種族の代表として成り上がりたいと考えているので、モルテのお仲間になるのは御免だった。


 ならば、モルテの問いに『いいえ』と答えて、彼女に嫌われればよいか?


 もちろん、だめだ。


 アンデッドは、軍団単位で見た場合、非常に強力な軍事力である。


 本来、死ねばゼロである戦力が、1となり、場合によっては、感染拡大し、100にも1000にもなることがある。


 そのアンデッドの統括者たる彼女の協力なしに、大規模な軍事作戦は起こせない。


 モルテが味方であるか敵であるかで、魔族内での軍事的なバックボーンは天と地ほど違ってくる。


 だから、ある程度から上のレベルの魔族になれば、彼女と上手く付き合っていくしかないのだ。


 実際、モルテの魔族としての実力は疑いようがない。


 先日の大戦でも、彼女は光属性が優越する戦場で見事に戦い抜いて生き残った。

そればかりではなく、敗走後も、彼女が密かに山岳地帯に埋伏させていたアンデッドの奇襲によって、フラムたちは敗残兵を立て直す貴重な時間を得た。


 その後、西方の敵と南方の敵に分かれて対処しなければいけないと、あれこれ理屈をつけて軍を分けて、何とかモルテと距離を取ったのであったが――その努力も水の泡だ。


(前の時は、我ながら上手く答えたもんだと思ったが……)


 かつて、『竜成り』を果たした時、初めてモルテに興味を持たれたフラムは、同様の質問をされた。


 その時、フラムは


『ダチっていうのは、対等じゃねーと成り立たねーとオレは思ってる。悔しいが、今のオレではあんたに遠く及ばない。だから、いつか、オレがあんたに追いついた時に、同じ質問をしてくれ』


 と、その場しのぎの返事をした。


 あの時は、フラムがモルテと同じ魔将の地位に昇り詰めるのは、遠い先の話だと思っていた。実際、フラムの上には、自分よりも強い魔族が何人もいたのだから、そう考えても当然だろう。その、フラムよりも強い者たちが権力闘争で潰し合っている内に、ひょっこりモルテがやられるようなこともあるだろう、と呑気に考えていた。


 だが、思いがけず、その『いつか』が来てしまった。


 フラムは、魔将になってしまったのだ。


 建前上は同格でも、成りたての魔将であるフラムたちと違い、歴戦の魔将たるモルテは実質的には格上だ。ストレートに戦っても、絶対に勝てない。


 今、かつてと同じ質問をされたら、フラムは一体なんと答えればいい?


「ちょうど良かった。今、モルテさんとのお話がまとまったところです。一緒に、お菓子でも摘まみながらお話ししませんか」


 魔王は、そんなフラムの気持ちを知ってか知らずか、テーブルの空いた席を勧めた。


 確かに、四角いテーブルには、ちょうど二人分のスペースが余っている。


 断れるはずもなく、フラムは胡坐を掻いて、ギガと向かい合う形でテーブルについた。


「うふふ。せっかくのお茶会に遅れて残念ね。アタシたちのおしゃべりの内容に興味があるでしょうけれど、ごめんなさい。言えないのよ。だって、『親友との二人だけの秘密』だもの。ね? ヒジリっち」


 モルテは宝物を抱きしめるように、魔王ことを指しているらしい愛称を呟いた。


 別に聞きたくもなかった。


 死霊術師に任せる仕事の内容など、どうせ聞いて楽しい話ではない。


「ええ。モルルン。二人だけの秘密です」


 イエーイという掛け声と共に、魔王はモルテとハイタッチをした。


「なあ! 魔王様。これ、食べてもいいのカ? いいよナ!?」


 ギガが眼前の茶菓子に目を輝かせて問う――と、返答も待たずに手を出した。


 彼女は、器の中に入った黄色いスライムのような半固体の物体にスプーンを突っ込んですくいあげると、口の中へと放り込む。


 食欲の前には、モルテへの恐怖も、魔王への遠慮も吹っ飛んだらしい。


 鈍感なのか、器が大きいのか、ともかく、今はギガのその図太さが羨ましく思えた。


「ええ。もちろん、お二人のために作ったのですから。結構、大変だったんですよ。ヒトの領地から材料を取りそろえるのが」


 魔王はそんなギガを咎めることなく、鷹揚に答えた。


「んー!? なんだ、これ! 甘くて、口の中でふわっとして、でも、それだけじゃナイ! 底に入ったちょっと苦いやつが、甘いのをおいしくしてるんダナ! 魔王様、これなんて言う料理だ!?」


「カスタードプリンと言います。さあ、フラムさんもどうぞ。ギガさんをご覧になれば分かる通り、毒も入っていませんし、この程度のもてなしに対価を要求することもありませんから」


 魔王がフラムの懸念を見透かしたように言う。


「なんだ、フラムいらないのカ? じゃあ、ギガにくレ――」


「やらねえ。食うよ」


 魔王自身からここまで言われて食べなかったら、それだけで叛意があるとみなされかねない。


 フラムは、魔王の言うカスタードプリンを口に運んだ。


 こんな緊張した状態では味は分からない――と思ったが、


(確かに、美味い……な)


 想像以上の味に思わずスプーンを往復するスピードが早くなる。


 卵と砂糖を使ってるのは分かったが、なにをどうやればこうなるのかがわからない。


「そうカー……」


 ギガはしょんぼり肩を落とすと、名残惜しそうに器を舐める。


「んー、かわいいわ。ねえ、ギガちゃん。『お友達になりましょう?』」


「嫌ダ! ギガはお前が怖イ!」


 ギガは一瞬身体を震わせたが、それでも正面からモルテを見つめて叫んだ。


 彼女は全く立身栄達を求めてなどいないので、それでも良いのだ。


「そう。残念だわ……。――ねえ、フラムちゃん。あなたはどうかしら? 魔将就任、心から祝福するわ。これで今のアタシたちは対等の立場よね。お友達になるのに、もはや何の不都合もないと思うのだけれど」


 モルテが、首をギギギと回して、フラムを見つめてきた。


(クソッ……。やっぱり覚えてやがったか。アンデッドらしく、脳みそごと腐ってりゃよかったのに)


 フラムは返答に窮して、引き延ばしの口実を考えながら、お茶に口をつけて時間を稼ぐ。


「――モルルン。『親友』の前で、こうも頻繁に他の方をお友達に勧誘するのは感心しませんね。誰でも良いのかと思ってしまいますよ」


 魔王はすねたように呟く。


「あら、『嫉妬』してくれるの? 嬉しいわ。うふふ」


 機嫌を良くしたモルテは再び魔王と他愛ない雑談を始めた。


(た、助けられた……。ちっ。交渉する前から借り一つってか)


 魔王が一瞬、自分にアイコンタクトを取ってきたことを、フラムは気が付いていた。


 交渉を始める前から心理的な劣位に立たされていることを、フラムは肌で感じる。


「なあなあ、魔王様! 魔王様は、働いたら、なんでも好きなご褒美をくれるって本当カ!? プリミラの手紙に書いてあったんダ」


 いつの間にかお茶を飲み干していたギガが、魔王の服の袖を引く。


「ええ。もちろん。労働をお願いする以上は、その相手が納得するだけの対価を払う必要がありますから」


 魔王が頷く。


「おお! じゃあナ! ギガも魔王様もために、いっぱい働くカラ、このカスタードプリンみたいナ、おいしいものをもっといっぱい食わせてクレ!」


 ギガは拝むように手を合わせて、魔王にキラキラした視線を送った。


「ふむ。では、こういう契約はいかがでしょう。ギガさんが私のお願いを一つ達成してくれる度に、私もギガさんがまだ知らない料理を一つ振る舞う」


「それでイイ! 魔王様、バンザイ!」


 ギガは両腕を挙げて、魔王を称える。


「喜んでもらえてなによりです。ちなみに、お休みの希望はありますか?」


「おいしい物が食べられるナラ、ギガはお休みはいらナイ!」


 ギガは即答した。


「勤勉で結構なことです。私としても大変助かります。ギガさんには、ゴブリン用の住居の建設、その食料用の畑の開墾、金属精錬用の炉の開発等、やって頂きたい仕事がたくさんありますので」


「おお!? いっぱいダナ! ギガ、覚えられるカナ!?」


「詳しい指示はプリミラさんから聞いて頂ければ大丈夫ですよ。それでは、契約書を――」


「わかった! プリミラに聞けばいいんだナ! 任せてクレ! やる気になったギガはすごいんだゾ!」


 魔王の言葉を最後までに聞かずに、ギガは謁見の間から飛び出して行った。


「……精力的な方ですね」


 魔王が苦笑しながら呟く。


「ああ。本当にかわいいわ。『お友達』は無理でも、『お人形』にしちゃおうかしら」


 モルテが物欲しそうに指を咥えて、ギガが去って行った方を見た。


 『お人形』とは、自由意思のない、ただモルテに使役されるアンデッドのことである。


 フラムは感じた寒気を振り払うように、熱を帯びた茶を再び口に含んだ。


「申し上げるまでもないでしょうが、控えてあげてくださいね。今は皆が持てる力を全て合わせなければいけない時ですから」


「わかってるわ。アタシは『親友』を傷つけるようなことは決してしない」


「ありがとうございます。では、モルルン。『お医者さんごっこ』の準備をお願い致します」


「任せておいて。でも、ヒジリっち、アタシ以外の『お友達』を作っては嫌よ?」


 立ち上がったモルテは、『嫉妬』の片鱗を覗かせる口調で言う。


「それは大丈夫でしょう。フラムさんは、『親友』より『好敵手』を求めていらっしゃるタイプだとお見受けしました」


「ああ。馴れ合うのは好きじゃねえ」


 フラムは魔王に調子を合わせて頷く。


 一刻も早く、モルテにはこの場から去ってもらいたい。


「それなら良いわ。じゃあ、また後でね」


 モルテは魔王にウインクを一つ送ってから、『お人形』たちを引き連れて、謁見の間を去って行った。


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