第14話『憤怒』と『暴食』(2)

「おーい! フラム! 何をサボってるんダ? 肉はとれたのカ?」


 その時、風下から声がした。


 小柄な体躯から繰り出される舌足らずな声。


 しかし、声量が大きいので声はよく通る。


 外見はその声色同様に、今すぐ抱きしめたくなるほどに愛らしい。


 お辞儀するかのようにペコリと垂れ下がった丸い耳、リスのような小動物じみたクリクリとした大きな目と、どことなくユーモラスなペチャ鼻、口角は常に上向きで、ご機嫌な時も不機嫌な時も笑っているように見える。彼女は小さいならがらも身体つきは女性らしいが、やたらポケットの多いオーバーオールのようなものを着ており、胸と尻の稜線は今は隠されていた。


 一見、下級か中級の獣人の子ども――コボルトの変種あたりにしか見えないその女魔族の正体を、フラムは知っている。『暴食』のギガは、変種は変種でもミノタウルスのそれで、フラムと同じく、今回の負け戦でなし崩し的に魔将の一人になった存在であると。


 とはいえ、もちろん、ギガも強いは強い。


 その力を証明するように、ギガは今も、彼女自身より大きいワーウルフをこともなげに肩に担いでいた。


(ヤベッ――姉御。『暴食』が来やした!)


 デザートリザードがそう囁いて、素早くフラムの後ろに隠れる。


「悪いな、ギガ。オレは炎属性だからよ。どうしても雪山じゃあ調子でねえわ」


 フラムはばつが悪そうに頭を掻いた。


 部下なら何を言われてもドヤしつけるが、相手が魔将となればそうもいかない。


「もー、仕方ない奴なノダ。じゃあ、鼻の利くこいつに探させるカ。――お前、何か、食える肉見つけてコイ。ギガが料理するから、生け捕りだゾ。見つからなかったら、お前をクウ。」


 ギガは頬を膨らませて、担いでいたワーウルフを雪肌に投げ出した。


 ワーウルフは、『クゥーン』と哀れを誘う声で鳴いてから、雪山に駆け出す。


「お、あれ、スノーワーウルフじゃねえか。身なりがいい。敗残兵じゃない――となると、魔王城からか?」


「その通りダ。あいつ、なんかプリミラの書いた手紙持ってたゾ。ギガ宛のと、フラムへのもあるンダ」


 ギガはそう言って、ポケットから対象以外は開けないように魔術的封印の施された羊皮紙を投げ渡してくる。


「プリミラから? なんだよ。あの引きこもり共がオレに何の用だ」


 手紙を受け取ったフラムはそう軽口を叩いたが、内心では『怠惰』の一団を評価していた。


 弱兵の冒険者相手とはいえ、今回の戦争で負けなかったのは、『怠惰』が軍を展開していた東部戦線だけだからだ。


 また、今回の敵に冒険者がほとんど参加していなかったことから、奴らが東部戦線に流れ込んだのも容易に想像できていた。それに、奴らは対処したのだった。


「姉御、内容は?」


「急かすな。今、読む……。……。……。……。マジか、あいつら、ゴブリンで軍団を作りやがるつもりだ。しかも、こっちから東部に攻め入るつもりらしい」


 手紙にざっと目を通したフラムはこめかみに手を当てて、しばし絶句する。


「そりゃあ、また……。ゴブリンで軍隊ですか……。確かに、あいつらネズミやゴキブリ並に増えやすね。頭はそんなよくねーですが、オーガよりは全然マシだ。妙に悪知恵が働くところもありやす」


 デザートリザートが相槌を打つように言う。


「……ああ。だが、普通に考えたら無理だ」


 フラムも少しはゴブリンの戦力化を考えなくもなかったが、真っ先に却下した案だった。


「でさあな。ゴブリンは、どうしようもなく性格が悪い。数十かそこらの群れならともかく、同族どうしですら足を引っ張り合うあいつらを、何千、何万も統率なんてできるはずがねえ。先の敗戦みてえに味方同士で踏みつけ合って終わりでさあ」


「隷属魔法って動かすって手もあるが、それだとほんとにただの肉壁にしかなんねーしな」


 隷属魔法を使って服従させた場合、その対象が本来持っているスペックを発揮することはできない。元がショボいゴブリンでは、本当にただの歩く矢除けしかならないだろう。緻密な作戦行動などは望むべくもない。それでは、当然ヒトの軍隊には勝てない。


「……で、どうすんですかい、姉御。行くんですかい?」


「ちっ、行くしかねえだろ。ここで逃げたら、『憤怒』の名が廃る――それに、大軍の指揮をさせるつもりなら、オレらは絶対に必要になる。粗略に扱われることもねえはずだ」


 全てがお膳立てされているようで気に食わないが、魔王が全くのアホではないことには確信が持てた。それに、自分は何もあの忌々しいヒト共に復讐する手段を思いつかないのだ。もし、魔王がそれをできるというのならば、歓迎しない理由はない。


「へえ。他にろくな奴らがいやせんからね」


 デザートリザードが頷く。


「どうダ? フラムは魔王様のところに行くのカ?」


 ギガは、服のポケットから調味料の入った土瓶を取り出して、雪肌に並べながら問うてくる。


 ギガは、『暴食』の二つ名を得るまでは、『美食』のギガと言われていた。彼女は、ひたすら量が食えればいいという嗜好のただの食い意地が張った『暴食』とは、一味違うタイプの魔将だった。


 フラムの動向に興味があるというよりは、獲物がやってくるまでの暇つぶしといった感じの雰囲気だ。


「行く。ギガはどうすんだ?」


「もちろん行ク! 腹ごしらえしたらすぐにダ! 魔王は、ギガの知らないおいしい物をいっぱい知ってるって言うンダ。働いたら、それを食わせてくれルって、書いてあル。ギガはおいしいものが好きダ。だから、魔王の所へ行ク」


 警戒も迷いもなく、ウキウキした様子でギガは即答する。


「ま、マジか。お前少しは悩んだりしねーの?」


「悩むって何をダ?」


「だって、お前、馬を防ぐ防塁の構築、超適当にやっただろ。しかも、戦争の途中で現場を離れやがったじゃねえか。あれ、普通に反逆だぞ。そのあたりの失策を魔王に突かれたらどうすんだ」


 そうなのである。


 ギガは、あろうことか、『生き残った』というよりは、『戦わなかった』から死ななかっただけなのだった。魔族の価値観的にはアウトもアウトだ。


「仕方ないノダ! 戦場のご飯は、古くて固くておいしくナイ! ギガは何度も言ったゾ! 『おいしいご飯を食べられないなら働かナイ!』って。でも、みんな『今は忙しい』って話を聞いてくれなかっタ! だから、ギガは自分でおいしい獲物を取りに行っただけダ! だから、ギガは何も悪いことはしてナイ!」


 ギガは自信満々にそう言い切った。


 すがすがしいほどに、自己中心的でシンプルな行動原理。


 しかし、こんな性格でも、不思議とギガは上官から嫌われてはいなかった。いや、むしろ、マスコット的な意味でかわいがられていた節がある。おつむの出来はともかく、それなりの実力者であるし、出世欲はないから、上官としては下克上の心配が薄いというのがその理由の半分。


 もう半分は――


(やっぱりかわいい奴はいいな)


 フラムは密かな羨望と共に、戯れにギガの頭を撫でた。


 モフモフとした感触に少し癒される。


 ギガは特に抵抗することもなく、くすぐったげに目を細めた。


 フラムはかわいい物全般が好きであった。


 だが、残念なことに、かわいい物の方は、フラムが嫌いであった。


 猫や犬を愛でたくても、フラムが触れれば容易く壊れてしまう。


 魔族でも、ギガのような上級魔族が相手でなければ、迂闊にスキンシップはできなかった。ちょっとでも魔力のコントロールを誤れば、相手が焼け死ぬ。花を愛でる心があっても、どんな美しい花も、フラムの前では全て等しく灰色に帰してしまう。


 ヒトの小娘のように着飾ることもできない。かわいらしい服は大抵脆く、すぐに破けるか燃えてしまう。そもそも、戦場においてそんな軟弱な物に興味があると知れれば、周囲から侮られる。


 いや、もしそれらが許される環境にいたとしても、結局の所は同じことだ。


 何よりも一番かわいくないのは、フラム自身なのだから。


 肌はヒトのようにツルツルでも、ギガのようにモフモフでもなくザラザラしているし、髪はチリチリの癖っ毛だ。胸も尻も小さいし、肉体は戦場に最適化された筋肉質でカチカチしている。


 もし、ギガがフラムの容姿だったら、おそらく今頃上官の勘気を被って死んでいるだろう。


(――って、なに考えてんだオレは。どうにもこいつといると気が抜ける)


「……はあ、なんだか、真面目に悩んでるオレがアホくさくなってきたわ」


 フラムは、ギガから手を放し、肩をすくめた。


 少なくとも、客観的に考えて、魔王はこのギガよりは自分に存在価値を認めるだろう。


 そう思うと、少しは気が楽だ。


「? よくわからないけど、魔王の所に行くなら、フラムは飛んでいくダロ? ついでに背中に乗せてくレ。エサを半分分けてやるカラ」


「いいぜ。こうなりゃ、いっちょ魔王とやらの面を拝んでやろうじゃねえか」


 フラムは自身の頬を叩いて、気合いを入れ直す。


 「ワォーン」と、遠くからスノーワーウルフの鳴き声。


 目をこらせば、羽交い絞めにされた熊の姿が見受けられる。


 どうやら、あの魔王城からの使者は、ギガの胃袋に収まることは免れそうだ。

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