第13話『憤怒』と『暴食』(1)

「クソが! クソが! クソが!」


 フラムの怒号が雪山に響く。


 苛立ち紛れに雪山を殴れば、その衝撃に雪崩が起きる。


 身長178cm前後の、ヒトとしては大きく、魔族としては小柄なその体躯に、たちまち殺到する氷塊。されど、その怒涛はフラムに触れることなく、その身体から発する熱気に溶けて消え失せた。


 身体の熱気から生じた上昇気流によってその赤髪は常にハリネズミのように逆立ち、目つきの悪い三白眼は常に周囲を威圧している。その格好は雪山に不釣り合いな、ヒトで言う所の下着だけの格好。肌の露出が多い、ビキニスタイルだった。それ以上、何も防具はつけていない。金属の鎧の類は、熱で溶けてしまうので意味がないのだ。唯一、その熱に耐え得るのは、今は下着になっている、彼女自身が脱皮した時に出る抜け殻だけであった。


 冬はむかつく。


 炎属性のフラムにとっては、魔力の消費量が多くなる嫌な季節だ。


「姉御、勘弁してくだせえよ。ただでさえ冬で獲物が少ないっていうのに、これじゃあ、いつまで経っても捕まりませんぜ。手ぶらで戻ったら、腹を空かせた『暴食』の奴がオイラたちを餌にしかねないでさあ」


 部下のリザードマン――デザートリザードが平身低頭して、機嫌を伺うようにもみ手で言う。


 フラムを敬うように見えて、ちゃっかり雪崩の盾にしているあたり、したたかな奴である。


 それもそのはずだ。


 フラムも含めて、今、この場にいるのは、軟弱なヒトに背を向けるという魔族的な不名誉を被ってもなお、命に執着した生き汚い者たちであった。


「うるせえ! そん時は潔く丸焼きになって食われとけ!」


 フラムの八つ当たりに、部下の魔族たちは慣れた様子で肩をすくめた。


 ヒトの軍勢に、ぐうの音もでないほどの大敗。


 むかつかないはずがない。


 何とか部下をまとめて退却し、調子に乗って山越えしようとしてきた敵の一部を叩いて追い返すことで一矢報いたとはいえ、半分近い同族を失った。


 憤りを覚えて当然だろう。


「そんなこと言わずに、いい加減、機嫌を直してくだせえ。せっかく、『憤怒』に就任されたんじゃねーですか。『竜成り』だけでもすげーっていうのに、魔将の一角を占めるなんて、デザートリザード始まって以来の快挙ですぜ。よっ! 蜥蜴の星! 大砂漠一!」


「ボケが! んなもん、上の奴らが勝手に死んでったからだろうが。おこぼれで得た魔将の地位なんて嬉しくもなんともねえ!」


 部下の追従に、フラムは舌打ちした。


 なし崩し的に『憤怒』の二つ名を得るまで、フラムは『竜成り』と呼ばれていた。

 数多の魂を集め、研鑽を重ね、中級魔族であるデザートリザードから、上級魔族であるフレイムドラゴンへと進化したのだ。


 とはいえ、所詮は成り上がり者のドラゴニュート。


 フラムはドラゴンになる力を得ても、日頃は魔力を温存するために、こうして二足歩行の形態を維持しなければいけない程度の存在だった。


 天を衝くような巨人を始め、生まれながらの強者である他の上級魔族からは侮られることもしばしばあった。


「そんなことねえと思いますがねえ……。どんなに強かろうと、先代の『憤怒』の候補たちはみな死にやした。だけど、姉御は生きている。そうでしょう?」


「……そうだな」


 フラムは不機嫌に頷いて、頭を冷やすように氷をかじる。


 何を隠そう、生き残りを最優先するように部下を教育したのはフラム自身だった。


 馬鹿にされようが、侮られようが、死ねば何にもならない。


 フラムはそう考えたが、他の多くの魔族は全く異なる考えを持っていた。


 死を恐れないし、ヒトの英雄との名誉ある相打ちは上等。負けても背中に傷を受けるよりは、潔い死を望んだ。


 魔族の中でも、炎の属性を有する者は、特に直情的で攻撃的な傾向にあった。


 攻勢にはめっぽう強いが、守勢には慣れていない。


 その弱点が今回は如実に出た。


「まあ、悪いことばかりではないんじゃないですかい。シャムゼーラの奴が魔王を呼んだんでしょう。姉御にもお呼びがかかってる。何か腹案でもあるんでしょうや」


「そりゃそうだろうよ――だが、魔王って奴は気に食わない。先代『憤怒』もそうだったが、生まれながらの強者っつーのは、自分が負けた時のことを考えなさすぎる。今までの戦史を見る限り、魔王はその際たるもんだ」


「しかし、今度の魔王はちょっと毛色が違え気がしますがねえ。もし考えなしの阿呆なら、今頃、無理矢理命令して魔将をかき集めて、そいつらを全員、アンデッドみたいな木偶にしてるでしょうや」


「わかってる。だがな、魔王が馬鹿じゃないなら、それはそれで問題なんだよ」


「そうなんですかい?」


「おう。もし、魔王が目端の利く奴なら、気が付くはずだ。まともに戦ってりゃあ、今回の戦争が勝てないまでも、ここまで大負けはしない戦だったっつーことによ」


「まあ、それほどにアホでしたからねえ、巨人の御大の作戦は」


「ああ、今回の戦で負けたのは、前衛のせいだ。逆に後衛の指揮官は――シャムゼーラの親父は、まあ、最低限の役割は果たしたからな」


 この世界の大規模な会戦には、一定のセオリーが存在する。


 戦場において一番警戒されるのは、遠距離からの攻撃だ。


 戦争の歴史は、いかに遠距離から相手を嬲り殺すかの技術を競ってきたものだといってもいい。


 同じ実力の者が一対一で戦うとして、素手よりリーチの長い剣を持った奴が有利なのは当然だ。剣よりさらに遠くから撃てる弓が強いのは言うまでもない。さらに弓よりも遠くから撃つことができ、しかも威力によっては一度に何人も殺せる魔法が警戒され、対策されるのは必然であった。


 魔法ができてすでに幾星霜、戦争は、お互いの魔法を『ナシ』にするところから始まる。つまり、お互いの陣営の後衛――魔法使いたちが、アンチディスペルを打ち合って魔法を無効化し合うのだ。


 もしこの時点で圧倒的に押し負けているなら、戦わずに逃げるのが正しい。


 こちらが敵に近づくまでに一方的になぶり殺しにされるからだ。


 アンチディスペルが拮抗している場合、お互いに遠距離の属性魔法は打てなくなり、白兵戦へと移る。魔族の場合は、内在する魔力を膂力に変換できるので、その点は、ヒトに比べて圧倒的に有利だ。


 アンチディスペル空間で使える遠距離魔法は、自然の摂理たる属性魔法以外のもの――すなわち、ヒト側が『神の恩寵』と宣う光魔法、魔族側は死霊術を含む闇魔法となる。


 光でも闇でも、軍内で果たす機能はそんなに変わらない。


 味方の能力を底上げしたり、傷を癒したり、逆に敵を弱めたり、つまり、白兵戦の補助をする役割だ。


 今回、敵は合成魔法の技術を刷新しており、そのために敵の光魔法サイドに若干余裕があったが、それでも戦局を決定づけるほどの彼我の差はなかった。


 むしろ、魔力に優れる魔族たちにヒトが『追いついた』という表現をするのが適切ですらあった。


「つまり、オイラたちが戦うまで、戦況は互角だったってことでさあな」


「ああ。んで、今までなら――そうだな。300年前のオアシス戦争の時を思い出してみろ。白兵戦はどうやって始まった」


「へい。まず、お互いの大将が名乗りを上げやす『。“憤怒”の魔将 炎のアルガス! 卑小な人間ども! 命が惜しくなくばかかってこい!』『第一騎士団長 “正義”のユラーン 人に仇為す悪魔め! 神と貴婦人の名誉にかけて貴様を倒す』てなもんで。んで、オイラたちの巨人の御大が走っていく。向こうの騎士も突っ込んでくる。騎士と巨人が大激突」


「そうだな。んで、ヒトの英雄の後を遅れて従者がとことこついてくる。その時のオレら――中級以下の魔族も、後から出てって、その従者共が魔将の邪魔をしねえようにぶちのめす。ま、大体、ヒトの従者の方が数が多いが、中級魔族ならそこそこ訓練受けた従者でも、二、三人相手なら余裕で戦えただろ。ともかく、なんつーか、昔の戦争には、敵とオレらの間で暗黙の了解があった。雑魚は雑魚に。強者は強者に。オレらのような中級魔族にしたら、身の丈にあった敵の魂が狙えてちょうどいい。英雄なんかと戦わされた日には、命がいくらあっても足りねーだろ?」


 魔将が負けたら、魔族の軍勢は逃げる。


 ヒトの英雄が負けたら、ヒトの軍勢が逃げる。


 もちろん、有利な方は追撃するが、まあ、せいぜい、一割、二割でも敵の戦力を削げれば大戦果だ。その時々の英雄と魔将の力量によって、領土を取ったり取られたりしていたが、ここ数千年、大きな変化はなかった。


 だが――


「へえ。ですが、今回は違いやしたね。名乗りもなく、敵はあのやたら数だけ多い雑魚をぶつけてきた。いや、雑魚とはいえ、侮っちゃいけやせんな。一人一人は弱くても、あいつらまるで一つのスライムみたいな団結力がありやした。ありゃあ、戦士ってつらじゃなかったですぜ。ボーっとしてどこ見てんだかわかんねえ目で、まるでゾンビみたいでやした」


「おう。奴隷の戦士っていうのは今までにもいたが、ありゃあ、そういう『奴隷』じゃねえな。やる気がねえ奴らを無理矢理駆り出してたみたいだ。しかし、ゾンビじゃねえ。何人か逃げ出そうとした雑魚もいやがったからな。で、そういう奴は、後ろで待ち構えてた騎士共がぶっ殺してた。だから、正気な奴も逃げられねえ」


 督戦隊――という言葉をこの時のフラムは知らなかったが、実感としてそれを理解していた。


「ありゃあ、オイラがこういっちゃあれですが、『魔族』みたいなやり方でやしたね」


「ああ。ともかく、ヒトのやり方としちゃ異常だった。その時点でオレらは一回退却をして様子見するべきだったんだ」


 フラムは後悔に奥歯を噛みしめる。


「巨人の御大には無理な相談でさあ。ありゃあ、魔族にとっちゃ、侮辱ですぜ。『お前にゃ名乗る必要もねえ。この青瓢箪の雑魚で十分だ』って言われてるもの同じですからね」


「おう。だから、先代の『憤怒』はいつものように、馬鹿みたいに突っ込んで、まあ、そりゃもうたくさんヒトの雑魚を殺したけどよ。その間にどうなった?」


「へい。敵の騎兵が後ろに回り込んで、坊主共が皆殺しにされやしたね。まあ、ゆるゆるでやしたが一応、馬除けの防塁も準備してやしたし、いくらか弓兵も構えてやしたが、あれだけ数が多いとなんとも。そういや、オイラは『騎士』は、魔族でいうところの上級みたいなもんで、選ばれた奴だけがなると思ってやしたが、今日はやたら、上級っぽくねえみすぼらしい騎士が多かった気がしやす」


「ちゃんと見てたか? いつも通りのがっつり鎧を着た『騎士』と、鎧を着てない弓を使う騎士がきっちり別の働きをしてただろ。弓の騎士は、オレらの弓を使わせないために鎧の騎士にくっついて牽制してたんだ」


「よくあの地獄の中、そこまで観察できやしたね。オイラはもう、生き残るので精一杯で」


「ま、あそこからはマジでヤバかったからな」


「へえ。ま、そこそこ頭のある奴らなら、当然後衛がやられちゃヤバイってわかりやすからね。――ワーウルフとかは後衛を援護するために退却しようとした。だけど、アホなオーガ共とかは、頭に血が上って、ただこん棒ぶん回すだけで退却の邪魔になる」


「おう。馬鹿正直に命令守って突っ込もうとする奴と、後ろに下がって後衛を援護しようとする奴、後、根性なく逃げ出し始めた下級魔族、ごちゃごちゃになって、敵と戦うどころじゃなかったぜ」


「情けねえ話です。敵に殺されるよりも、味方に殺されたアホの方が多かったんじゃねえですかい。きっと、魔族の長い歴史の中でも、こんだけマヌケな負け方をしたのは初めてだ」


 デザートリザードが顔を覆う。


「おう。ようやくわかったようだな。話を戻すぞ。オレが魔王の下に行きたくねえ理由だ。今の前衛の指揮官は誰だ? あのボケでカスでアホな大負けの責任をおっかぶせられるマヌケな野郎は」


「……『憤怒』の魔将を引き継いだ姉御、ですね」


 ようやく納得がいったように、デザートリザードが頷いた。


「そういうこった。こっちが魔王の所に顔を出すには、せめて敗戦を挽回するアイデアくらい持っていかないとなんねえが――クソ! 何も思いつかねえ」


 それこそが、今、フラムがいらついている原因の内、もっとも大きなものだった。


 今は魔王の下、団結しなくてはいけないことは分かっている。しかし、誰かが敗戦の責を負わなければならない。フラムは、自分も部下も守ってやりたかった。


「なんつっても、まずはあの気持ち悪い人の雑兵共に対抗するためには、兵隊の頭数を揃えなきゃ話にならねえですからね。アンデッド軍団をぶつけられりゃちょうどよかったんですが」


「見ただろ。『嫉妬』の魔将の奴が、『お友達』の束を一瞬で昇天させられて、ブチ切れてたのを」


「坊主共がたくさんいやすからね――そもそもヒトはなんであんなに頭数をそろえられたんですかい」


「ヒトはな、戦士よりも、『農民』ってやつの方がずっと多いんだよ。そいつらを引っ張り出せば、数は作れる」


「『農民』ってヒトのメシを作る奴でしたっけ?」


「おう。ヒトはオレらと違ってメシを育てるらしい」


 魔族にはない文化である。


 もし、魔族で畑なんぞを作っても、魂は手に入らないから一向に強くなれないし、出来た物は全部強者に奪われるだけだ。


「じゃあ、メシを作ってた奴らを戦場に無理矢理引っ張ってきたって訳ですかい。ですが、そりゃあ理屈が通らねえじゃありやせんか。メシを作る奴を減らせば、メシは減る。なのに、メシを食う戦士は増やす。どう考えたってメシが足りねえ。ヒトって、三日もメシ食わないと死ぬってえじゃねえですか。メシをどっから引っ張り出したんでしょうね」


「東の奴らがメシをかき集めて、西と南に送ってるって、死に際の坊主共が言ってた気がする。ヒトには商人っていう、物をかき集める魔法使いみたいな奴らがいるらしい」


「はえー、さっすが姉御は物知りだ」


 デザートリザートは感心したように言った。


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