第31話

「盛況だな」


 秀人は咲希たちから送られてきた学園祭の写真を見て呟いた。

 昨年は中止となった学園祭を、各学校で手を組んで実施するという話は聞いていた。

 咲希、健治、佳花の三人に誘われていた。

 誰に対しても答えは同じ。「遠くにいるから無理」だ。

 一か月以上前に誘われていたが、インフラが機能していないから帰れないと返した。


 興味はあった。学園祭に楽しい思い出なんてないが、いざ行けないとなると魅力的に思えてくる。

 健治が実行委員の一人として参加し、どんなものを作ったのか見てみたかった。

 思い人の咲希に誘われて嬉しくないはずがない。

 佳花からの誘いは、約十年ぶりとなる友達からの誘いでもあり、心惹かれるものがあった。


「とはいえ行けるわけがないんだけどな」


 咲希と佳花から送られてくるメッセに返信しながら苦笑する。

 秀人の視線の先には学園祭をやっている場所があった。

 真っ暗な中に浮かぶ青々した惑星が静かにたたずんでいた。


 秀人は今、月にいた。

 IMBが所有する対隕石用の月面基地である。

 その最上階に位置する展望室。秀人が立ち入れる中で最も電波の通りがいい場所だった。


 隕石破壊作戦は宇宙空間で行われる。

 秀人は地上での基礎訓練を終え、ロボットの操縦訓練に入っていた。

 わざわざ月面基地で訓練を行っている理由は、大きく二つある。

 一つ目は、ロボットは宇宙空間での運用を前提に作られたものだからだ。宇宙空間で飛行しながら動くものを、地球上で重力を受けながら操縦しても大した練習にならない。加えて地上で活動するためには地上専用の装備が必要になる。

 二つ目は、機密保持のためである。超高速で起動するロボットを動かす訓練には相応のスペースが必要になるが、地上でそんなものを作れば確実に見つかる。仮に訓練に必要十分な面積の建物を作ったとしたらそれだけで大変な工事になる。あからさまに目立つ。見つかって横やりを入れられたら世界が滅ぶ可能性がある。


 そんなわけでIMBは月面、地球から見えない月の裏側に基地を作った。

 秀人はそこで訓練を受けているが順調ではなかった。

 煮詰まった休憩時間、地球を見ながら学園祭の日だったことを思い出して端末を確認、メッセを返す。


「へえ、園芸部って地味なイメージあったけど、派手にやってるのな。……相沢、小百合と会ったのか。小百合が喧嘩売ってなきゃいいけど」


 どんな出し物があったのか、何を食べたのか、その感想が写真とともに送られてくる。咲希は感想を述べる対象を写した写真を、佳花はたまに自分の姿が映ったものを送ってくる。

 咲希と健治は一緒にいるようだが、咲希から結構な頻度でメッセが届いていた。健治にかまってやらなくていいのか、と思っていると力の抜けた笑顔の健治が抹茶に抹茶アイスを浮かべたものを掲げた写真が送られてきた。楽しそうではあったので心配をやめる。

 一方、佳花から送られてきた写真には、佳花と小百合が並んでいるものがあった。小百合はどことなく不服そうな顔をしているが、秀人に送る写真を撮るのが嫌なだけで佳花を嫌っているわけではないと分かる。こちらの心配も杞憂のようだった。

 のけぞるように椅子に座り次々送られてくるメッセを眺めていると、展望室の扉が開いた。


「こんなところでアブラを売ってたのか。ヨユウだな」

「ヤン……」


 長身の男から視線をぶつけられた秀人は上体を起こした。

 楊俊熙。隕石破壊作戦に最初期から参加しているパイロットである。近接部隊のリーダーであり、操縦技術と判断能力が極めて高い。

 ヤンは不機嫌を隠そうともせずつかつかと歩み寄り、秀人の前で足を止める。

 鍛え上げた体躯と冷ややかな視線はそれだけで強い威圧感を放つ。


「いまだに発進にも手間取ってるヤツがずいぶん楽しそうじゃないか」

「……悪い、煮詰まってたから気分転換してたんだ」

「こんなトコロにいるということは、地上と連絡を取り合っていたんだろう。そんなに地上が恋しいなら帰ったらどうだ」


 展望室は、個人で使える部屋としては最も地上と連絡が取りやすい。

 だが、利用者が多いかといえば否である。ほとんど利用者はいない。


 IMBのスタッフは各分野のスペシャリストばかりだ。月面基地にいるのはその中でも選りすぐりのエリートたち。彼ら一人一人の方に世界の命運がかかっていると全員が理解している。

 高い能力と強い責任感を兼ね備えた彼らは、地上と連絡を取り合う時間があるなら仕事の完成度を上げようとする。数少ない利用者のほとんどは、地上に残してきた家族とやり取りすることで自分のモチベーションを強化している。

 訓練がうまくいかず、言い訳がましく逃げてきているのは秀人ひとり。

 自覚はあった。ヤンに指摘されるのは初めてではない。


「中途半端なヤツがいると周りが迷惑する。すでに十分な戦力があるといえ、ひとつ間違えれば世界が滅ぶんだ。補欠とはいえザコに居場所はない。役に立たないなら機体を返上して他のヤツに譲れ」

「分かってる」

「分かっていない。分かっているなら相応に訓練するか、さっさと帰っているハズだ」


 ヤンの言葉は正論だ。秀人は自分が何を言っても言い訳にしかならないと理解している。押し黙ることしかできない。

 秀人はうつむき、ヤンは静かに見下ろしている。わずかに沈黙が続いた。

 沈黙を破ったのは展望室の自動ドアの音だ。


「うわ、やっぱり二人ともここにいた」


 顔をしかめたのは東である。

 秀人とヤンの相性が悪いことはよく知っている。格闘部隊のリーダーであるヤンに、やる気がないヤツは邪魔だと直訴されたこともある。

 その時にはもうしばらく様子を見たいと抑えていた。


「オイ東、コイツに規定以上の心力があるというのは間違いじゃないのか。技術以前に機体を動かすことすらおぼつかないんだぞ」

「そこは間違いない。ほれ計器見ろ。めちゃくちゃ強いだろ」

「フン、どれだけ心力が強かろうと扱えないなら無意味だ」

「そりゃそうだけど」


 どうにか場を収めようとする東。

 東の意向を正確に読み取ったヤンは鼻を鳴らして踵を返した。

 今日のところは矛を収めてくれるらしい。


「おまえ、そのフヌケた顔を二度とオレに見せるなよ」


 最後に一言だけ言い残し、ヤンは展望室を後にした。


―――


「あー、松葉くん、大丈夫か」


 ヤンが立ち去った後。秀人と東の間には気まずい沈黙が流れていた。

 方や隕石をぶん殴ると息まいていた秀人。最近の実績は芳しくない。

 方やそんな少年を自信満々に連れてきた東。逸材を見つけたと枠にねじ込み、ロボットに乗るまでは鼻高々だったのに、最近では肩身の狭い思いをしている。


「すみません、成績は奮いません」


 秀人は機体の新人として月面基地にやって来た。学力は規定ラインぎりぎりだったが、運動能力や反射神経の面では合格者の平均値を軽々と上回っていた。自信はあったし、やる気も十分にあった。

 今では周囲に数合わせにしかならないと認識されている。積極的に蔑むような人はいないが、かまう価値がないと思われていることは伝わってくる。

 東の立場が悪くなっていることも知っていた。口から自然と謝罪が出た。


「あ、そんなこと言ってるんじゃなくて。メンタル的にどうよって話」


 東は謝罪をそんなこととあっさり切り捨てた。

 横にポンと座る東の顔を思わずまじまじ見つめてしまう。その表情に非難がましい色は見えなかった。


「私が、ねじ込む時に持ち上げすぎたかもってのはあるんだ。期待の大型新人なんて言われてたらハードルも上がるだろ? それで実績をあんまり上げられないってのはしんどいと思う」

「それは、まあ。忸怩たるものはあります」

「お、難しい言葉知ってるね」


 東はからからと笑う。ポーチから取り出したチョコレート菓子を口にして、ぽきりと噛み切った。東は秀人にパッケージを差し出し、秀人は一本だけつまんだ。口にはせず、チョコレートのついていない端っこを持っている。頼りなく揺れるチョコレート菓子の先端をぼんやり見つめる。


「でも、そういう難しいこと、全部捨てちゃっていいから」


 弾かれたように秀人が顔を上げると、東は残ったチョコレート菓子をまとめてぼりぼりかじっていた。瞬く間にかみ砕かれ、東の腹の中に消える。


「周りの評価とか、イメージと違ってうまくいかないこととか、私の評判とか、気にする価値は全くないんだよ。大事なのはたったひとつ」


 東は最後の一本をパッケージから抜き出して、先端を秀人の眉間に向けた。


「お前の感情だよ」


 東はすぐに手を引っ込めて、最後のチョコレート菓子を食べてしまった。


「気持ちっていうなら、胸とか指すんじゃないんですか」

「心臓はものを考えたりしない。気持ちってのは頭の中にあるもんさ」


 そう言って、自分の頭をこんこんと叩いて見せる。


「松葉くん、君は優しい。そして真面目だ。それは美徳だろうけど、今はいったんしまっときなさい」

「俺、残虐とか暴力装置とか言われてたんですけど」

「それ、幼馴染の子らのためだろ?」


 今日の昼ごはんのメニューを尋ねるような気やすさで東は言った。


「悪いけど、君のことは調べさせてもらってる。周りから攻撃される材料が多い二人がいて、外には誰も守ってくれる人がいなかった。だから自分がやらなくちゃと思った。違うかい」

「……そんな格好いいものではありません。腹が立ったからぶん殴っただけです」

「ああ、始まりはそんなんだったんだろうね。でも、それだけじゃないだろう」

「……………………」


 図星だった。一体何をどう調べたのか、咲希にも健治にも知られていない本音を、東は読み解いていた。

 秀人は咲希や健治が嫌がらせを受けた時、最初から行動を起こしたわけではない。

 咲希が陰口を言われていると知っても、苛立ちながら見て見ぬふりをしたことがあった。

 学校の遠足で、健治の弁当箱に生米が詰められているだけで、それをきっかけにいじめが始まった時にも最初は静観していた。

 きっと誰かなんとかしてくれると思っていた。

 先生はいじめを許さない、何かあったら相談しなさいと言っていた。きっと準備を進めていて、すぐに対処してくれるものだと思っていた。

 そうでなくても、同じ学校には何百人もの子供がいた。きっと漫画の主人公みたいな人が解決してくれると目を背けていた。


 違うと知ったのは咲希が石を投げつけられた日だった。

 秀人が同級生を蹴り飛ばした直後、健治は先生を呼んでと叫んでいた。

 違う、と怒鳴りたかった。

 先生はいたのだ。

 同級生が咲希に石を投げつけた瞬間、その背中の向こうに担任がいた。

 咲希の額に石が当たり、がつっと鈍い音が響いた瞬間、秀人と担任の目は合っていた。

 担任は目を逸らしてそそくさと立ち去った。


 ぶわ、と全身の毛が逆立つような熱が体を走った。

 同時に頭からつま先までの血が全部落っこちたような失望に襲われた。


 いっぺんに現実を思い知った。

 正義の味方みたいなことを言う教師は口だけだ。

 優しく頼れるクラスメイトは上級生に怯えて逃げてしまった。

 都合よく、後腐れなく救いの手を差し伸べてくれるヒーローは、漫画の中だけの存在だ。

 誰も秀人が助けたい人を助けてくれない。

 なら、自分がやるしかない。


 あの日蹴り飛ばした同級生には悪いことをしたと思っている。

 彼以外に感じた怒りを多分に含んだ暴力を振るったからだ。


 鬱憤をぶつけるように喧嘩っ早くなった。

 奇跡的にうまい方向に現実が転がった。秀人の存在がいじめや嫌がらせの抑止力になり、もともとコミュニケーション能力に長けた幼馴染二人はいつの間にか友達を作っていた。

 一人でいたのは、幼馴染が受ける嫌悪を一身に受ける秀人だけ。


 秀人は感情のまま暴力を振るわなくなった。

 どうすれば報復しようと考えなくなるか。相手を黙らせるにはどの程度の暴力が必要か。考えたうえで機械的に殴りつけた。

 どうしたいかではなくどうするのが一番か考えるようになっていた。


「私には君が何を抱えているかなんて分からない。だが、抑えていることは分かる。もう抑える必要はない。怒りでも苛立ちでもなんでもいい。それを隕石にぶつけてやれ。私はそのために君を招いたんだ。きっと怨霊は応えてくれる」

「……なんか呪われそうですね」

「なに、君はすでに呪われてるだろう。自分で自分をがんじがらめにしてる。今さら怨霊に取りつかれるなんて大したことじゃない。呪いと怨霊がいい具合に潰しあってくれるんじゃないか」


 東は軽やかに立ち上がり、手を軽く上げて展望室を後にした。

 残された秀人はメッセが飛んでくる端末を眺める。

 咲希と健治は一緒に楽しんでいるようだった。佳花は小百合たちと別れ、一人で回っているらしい。

 二人の邪魔をしたら悪いな、と思って佳花にメッセを送る。


『楽しいか』

『めっちゃ楽しいよ』


 即座に返信が来た。

 メッセの下には入力中と表示されていたが、待っている気分ではなくなっていた。


『今度は俺も行くことにする』


 それだけ送って端末の電源を落とす。

 秀人が立ち去った展望室は静寂に包まれた。


―――


「オイ東、何があった?」

「ちょっと話しただけなんだけど、気合……というか殺気? 迸ってるね」


 翌日。ヤンが訓練場に来るとすでに一機、起動中の機体があった。

 ヤンは徹底的に休むと決めた日を除き、早朝から訓練を行っている。メカニックたちにも話を通し、メンテナンス時間の調整までさせている。

 そのヤンよりも早く訓練を行っていたのは秀人だった。

 これまで機体を安定して起動させることもできていなかったのに、空中で動き回っている。


「技術はイマイチだが訓練機が耐えられるギリギリの心力が注がれてるな」

「まー、よっぽど溜め込んでたってことでしょ。ねっむ……いきなり突貫で整備なんてするもんじゃないわー。そろそろ戻ってこいよー、これ以上の駆動に耐える整備はしてないからなー」


 大あくびする東に目もくれず、ヤンはしばらく訓練機を眺めていた。

 やがてヤンがストレッチをしていると訓練機が戻ってきた。

 東を探していた秀人はヤンを見つけバツが悪そうにする。

 言っていることが正論だと認めていても、ヤンの言い方は容赦というものがなかった。若干の苦手意識があった。


「おい、マツバシュウト」

「……悪いな、顔を見せて」


 腑抜けた顔を二度と見せるなと言われていたことを思い出した。

 今でもあの程度の操縦技術しかないのか、とでも言われるのではないかと身構える。


「まずは機体を歩かせてみろ。オマエはまだ機体を操縦しているが、アレはヒトの心力を原動力に動く鋼の肉体だ。小手先の技術を身に着けるより、生身で出来ることを機体に乗りながら行って、機体を自分の体の延長と認識できるようにした方がいい。慣れれば自然と複雑な動作もできるようになる」


 ヤンの口から出てきたのは、まっとうなアドバイスだった。

 身構えていた秀人はぽかんと間抜け面をさらす。

 それに苛ついたようにヤンは立ち上がる。


「ヘンジは。ちゃんと聞いてたか」

「あ、ありがとう。聞いてた。参考にする」


 確認するとヤンは秀人に背を向け自分の訓練機へと向かう。

 ヤンの横にするりと東が寄って来た。


「腑抜けた顔を二度と見せるな、じゃなかったっけ」

「殺気立った顔をフヌケてるとは言わない」

「ふうーん、そうだよねー、松葉くんが英語も怪しいって知って、急いで日本語勉強したくらいだもんねー」

「どうせ使用人口が一億人を超える言語はゼンブ覚えるつもりだ。順番を変えるくらい大したことない」

「へえー、そう。わざわざ日本語でアドバイスするんだから大したもんだよー」

「それで使えるヤツが増えるなら安いものだろう。それより東、言いたいことがあるならハッキリ言え」

「べっつにぃー?」


 ニヤニヤ笑う東に、ヤンはゴキブリを見るような目を向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る