第30話

 実行委員のシフトを終えた健治は咲希と合流していた。

 健治は閉会式の担当ではない。学園祭の閉会時間が遅いこともあり、後片付けは明日行う。今日はもう実行委員としての仕事はない。

 咲希と合流してすぐに小百合たちと会った。

 小百合は健治に遠慮したのか、挨拶するにとどめて移動しようとしていた。

 反応が大きかったのは、健治が来るまで咲希と一緒に学園祭を回っていた相沢佳花である。


『え、まっつー妹いたの。この子が妹ちゃん。……あ、あたしは相沢佳花です。よろしくお願いします』


 などとものすごくかしこまった対応をされた小百合は混乱していた。歩は蚊帳の外で頬をかいていた。

 変なテンションになりかけていた佳花だが、咲希が耳打ちすると一転おとなしくなった。

 小百合が秀人に苦手意識があると伝えたのだ。あまり秀人の話題を振るのはよくないと判断した佳花は、とっさにそれ以外の話題がなかったこともあり、おとなしくせざるをえなかった。

 ところが小百合は佳花に好印象を抱いていた。見た目が良いし、秀人と仲良くしてくれそうだったからだ。この人とくっついてどっか行ってくれたら嬉しいなって思った。

 咲希の気づかいとは裏腹に、小百合は佳花を誘った。歩にとっても年が近い人と話す良い機会になるだろうと思った。

 残された健治と咲希は二人で学園祭を回り始める。


「健は今日、どのへん回った? 行ってないところがあったら一緒に行こうぜ」

「露店と体育館をちょっとのぞいたくらいかな。あとはずっと実行委員の仕事してた」

「ああ、ローマ計画だっけ」


 咲希はくすりと笑った。

 健治は咲希に計画のことを話していた。

 咲希は口が堅いので計画をペラペラ口にすることはない。実行委員長とほとんど関りがないため、話した拍子にうっかりバレる確率も極めて低い。

 計画について聞いた時、副委員長の発案だと知った咲希は「なんでそんな屈折してるの」とお腹を抱えて笑っていた。

 健治も概ね同意見だ。もっと素直に振る舞っていれば実行委員長に邪険にされることもなくなるだろう。

 もっとも副委員長が邪険にされることを楽しんでいるのだが。


「私は露店と展示は結構見たな。華道部とか結構すごかったよ。アレ絶対お金かかってる。高尚な感じじゃなくてすごかった」

「へえ、気になるな。あとで寄っていい?」

「もちろん。ちょっと中のカフェでこの後どうするか話そうか。ハーブティーとかあるらしいよ」

「咲希、ハーブティーとか好きだったっけ」

「飲むのは初めて。興味あるからちょっと試してみようかなって」


 教室を使って用意された喫茶店に入る。

 はー、と感嘆の声をあげる咲希。エプロン姿の給仕に案内され席につく。


「なんか、結構それっぽいね」


 意外にも内装が凝っていた。日に焼けて黄ばんだカーテンではなく、アンティーク調のものに替えられている。黒板には色とりどりのチョークでメニューが描かれている。ドア側の壁際には白い衝立が設置されており、張られたプリントを隠し教室感を薄めている。テーブルと椅子はわざわざ運び込んだ、本物の喫茶店で使っていてもおかしくないようなものだ。


「床だけすごく馴染みがあるせいでちょっと違和感あるくらい」

「本当は床も凝ろうとしたらしいけど予算と後片付けの問題で断念したらしいよ」


 内装工事は学校側の許可が下りなかった。

絨毯を敷こうというアイデアも却下された。校舎へ土足で入ることを許可する条件として、学園祭終了後に徹底して掃除することになっている。絨毯はすぐ砂まみれになってしまうと危惧されたのである。

 学園祭の案内図をテーブルに広げどこに行くか相談していると、健治が注文したミルクコーヒーと咲希が注文したラベンダーティーが届いた。

 咲希は物珍しそうに香りを楽しみ、ラベンダーティーを口にした。

 眉を一度ぴくりと震わせ、動かなくなった。


「……どうだった?」

「なんか、トイレの芳香剤を想起させるようなアレでした……ラベンダーなら馴染みがあると思いましたが、トイレの香りとして馴染んでました……」


 失敗した、と全身を使って表現する咲希。砂糖を入れてみれば変わるかと思い、健治のコーヒーについてきたグラニュー糖をもらう。かき混ぜ、再度口にする。


「…………!」


 咲希は眉を寄せ、目を固くつぶり、口を閉ざした。

 健治ですらブサ顔だと思うほど、あるいは新種の変顔かと思うほど顔が崩れていた。


「僕も一口もらっていい?」

「…………」


 咲希は無言でティーカップを健治の方へ追いやった。

 健治がまだ口をつけていないコーヒーカップを差し出すと、口直しとばかりにぐいっとあおった。

 咲希のリアクションを見て警戒しつつもラベンダーティーを口にする。


「あ、こういう味なんだ」

「……健治、飲めるの?」

「あんまり飲みなれない味だけど、これはこれで。しいて言えば砂糖はいらなかったかな」


 もとはすっきりした味わいだったと思われるラベンダーティーは、砂糖が投入されたことでべったりした味になっていた。砂糖を加えるなら、混ぜるのではなく茶菓子と合わせる方が健治好みだったと思われる。

 顔をしかめることなく飲む健治を尊敬らしきまなざしで見つめつつ、咲希はコーヒーを口にした。


―――


 健治と咲希は校舎内の展示スペースを主に回った。

 咲希が面白いと語った華道部のスペースには様々な花が飾られていた。咲希が分かりやすいと言っていた通り、色とりどりの花を活けて素人目にも美しい。青いバラをはじめ、どこで入手したのか分からないような品種まで飾られていた。小さなブーケの販売もしていたのでこっそり買って咲希にプレゼントしようと心の中にメモした。

 音楽室では体育館でのライブとは一味違った演奏が行われていた。向こうをライブと呼ぶならこちらはコンサートといった様子。ジャズやクラシック、筝曲など、様々な演目があったらしい。各部活のOBOGも参加しているらしく、聴衆の平均年齢も高かった。

 格闘ゲームの対戦トーナメントで盛り上がっている教室があり、アロマキャンドルを販売している部屋があり、アナログゲーム研究会の部屋が意外なほどにぎわっていたり、人気のない園芸部の研究展示が意外なほど面白くじっくり読み込んだりしてしまった。華道部に飾られていた花の一部は園芸部の提供だったらしい。


「なんか、みんなすごいね」

「ほんと、そうだね」


 思わずといった様子で呟いた咲希に、健治も同じように返した。

 しょせん学生の集まりだという考えがあった。

 学園祭の練習をしている人と出くわしたこともあったが、普通に学校に通っていた時に聞いたものと大差ないように思えていた。


 侮っていいものはひとつもなかった。

 華道部は心得がなくても楽しめるように展示しつつ、ところどころに玄人向けの作品を展示しメリハリをつけていた。音楽室のコンサートは演奏の質なら体育館のライブより上だと健治にも分かるほどだった。他の出し物にしても、世界が滅ぶまであと一年もないという状況でも打ち込んでいる人たちの努力の結晶だけあって、とても真似できないと恐れ入るようなものばかりだった。


 初めて見るものは面白い。隣に咲希がいるならなおさら楽しい。

 演奏に感心する咲希も、目を輝かせて研究を読み込む咲希も、健治の目にはたまらなく魅力的に映る。咲希を除いても展示物はどれも興味深いものだった。

 遊びに来た人は誰も彼も楽しそうにしている。

 来客を迎える側の人たちも忙しそうにしながらもどこか楽し気だ。

 中には準備するうちに顔見知りになった人もいて、すれ違う時にひやかして来たり「うらやましいぞちくしょー」と叫びながら走っていく人もいた。

 そのたび咲希は健治の肩を叩いて笑うのだ。にんまりとした笑顔は、言葉にしなくても『やるじゃん』とたたえてくれているのが分かった。

 健治はこの学園祭を作り上げた中の一人なんだと自負が強くなる。誇らしい気持ちになる。参加してよかったと心から思う。


 楽しい。

 頑張った。

 やり遂げた。


 そんな気持ちが湧きあがるたびに秀人の顔が脳裏をよぎる。

 ほんの一瞬のこと。誰にも分からないだろうと思っていた。

 誰かがそのことを見とがめると考えもしないほど些細なことだった。


 けれど、咲希は気付いていた。

 何かおかしいと感じていた。

 かつて健治とのやりとりは噛み合った歯車のようにすべらかなものだった

 今は違う。時折スコンと歯が欠けたような手ごたえのなさが混じる。

 他人との会話だったらままあることだ。会話のかみ合わなさを感じ取って自分を修正したり話題を変えたり、対処法はいくらでもある。

 しかし、相手は健治だ。きょうだい同然に育ち、今では恋人になった相手だ。

 もともとの回転があまりになめらかだったせいで、ズレをより大きく感じてしまう。

 どうしたんだろうと尋ねてみても健治は自覚が薄いようで、そこでも会話がかみ合わない。


 仮に健が変わっていないのだとしたら、自分が何かを間違えているのではないか。

 咲希の心にそんな疑念がよぎる。

 そんなつもりはないが、たまにぼんやりしていることへの自覚が薄い健治を見ていると断定できない。

 会話していると、ふとした拍子に階段を踏み外したように途切れてしまう。

 咲希が困惑していると、健治は会話が途切れたことにも気づかないようなそぶりを見せる。


 学園祭の準備が佳境に入ってから、なおさらひどくなっていた。

 きっと疲れているからだ。

 咲希は自分に言い聞かせる。

 健治の様子がおかしいのは学園祭の準備で疲れているから。学園祭が終わってのんびりしたらきっと元通りに戻るはず。

 またしても空回った会話を置き去りに咲希はそんなことを考えていた。


 咲希にとって一方的に気まずい沈黙がおりる。

 話題などあたりを見回せばいくらでもあるはずなのに、何も出てこない。

 本当なら健治との沈黙は苦痛ではない。同じ部屋で別々の本を読んでいても気まずさなんてないはずだった。

 きっと咲希が黙ってしまえばその沈黙は不満が混じったものになる。

 何か話さないと、と焦る咲希のポケットが震えた。

 咲希がポケットからスマホを取り出すと、そこにはよく知った名前が映っていた。

 ほどなくして健治のポケットが震えたが、それには健治も咲希も気付かなかった。


「健、秀からメッセ来たよ」


 沈黙を恐れた咲希にとってその名前は救世主のように見えた。自然と安堵の笑みが浮かぶ。

 先日、健治も咲希もそれぞれ個別に秀人を学園祭に誘っていた。

 あいにく遠い場所にいるので当日来れないとのことだった。

 今朝、これから学園祭だと送信していた。それに対して『学園祭は盛り上がってるか』と返信が来た。

 会話の糸口としては最適なものに思えた。

 咲希はメッセの画面と一緒に笑顔を向ける。

 その様子に健治は一瞬目を見開き、それから力なく、優しく笑った。


「健の方にもメッセ来てない?」

「ああ、そういえば」


 言われてスマホを確認した健治と、ほっとした様子の咲希は話しながら学園祭を巡った。

 階段を踏み外したような沈黙はそれきり訪れなくなった。


 学園祭が終わる。

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