第5話

 


 翌日の明け六ツ(午前6時)。


「お嬢さん、兵治さんです!」


 襖越しに新蔵の声だ。


「……ぅぅぅ……も、うっさいっ!」


 昨日の今日ですからね? まだ、アルコールが残ってる状態だ。


「お嬢さん、兵治さんがおいでです!」


「……ったく、朝っぱらからなんでい?」


「殺しっ! だそうです」


「ん? 殺しだ? ……あー、そうだ。岡っ引きの手伝い頼まれてたんだ」


 お沙希は急いで布団から出ると、支度を始めた。――




「お嬢さん、酒臭いっすね?」


 小走りの兵治が、新蔵から借りた小袖の着流しにほっかぶりしたお沙希に顔をゆがめた。


「あ、ゆんべ、ちょっとね」


「むぅ……、捜査のほう、しっかり頼んますぜ」


「その辺は抜かりはねぇさ」


「むぅ……、頼んましたよ」



 ――むしろめくって現れた、うつ伏せになった男の横顔を見て、お沙希は、あっと短い声を発した。


 と言うのも、知った顔だったんですな、これが。


「これは、両替屋のあるじ嘉右衛門かえもんじゃねぇか」


「えっ? 間違いないっすか」


「しょっちゅううちの商品を借りてた上客よ。間違えるわけねぇ」


「ありがとうごぜいます。早速、与力の旦那に報告します」


「ああ。……おう、金子きんすは?」


「いや、無かった。盗まれた可能性もあるが――」


「最初から持ってなかった可能性もあるか……」


「首の後ろを刃物で刺されてるってことは、相手はよっぽどの大男ってことになりますね」


「うむ……死後どのぐらいだ?」


「血の色と固まり具合から見て、ゆんべの五ツ(午後8時)から四ツ(午後10時)ぐれいですね」


「五ツ?」


(太助さんちに居た頃か……)


 お沙希は男みたいに懐に手を入れると、長大息ちょうたいそくをした。――



「お嬢さん、おかえりなさいませ」


「ったく、朝っぱらから起こされて。岡っ引きの手伝いも楽じゃねーな。あ~、腹減った。めしは?」


 ほっかぶりの手ぬぐいを取りながら、草履ぞうりを脱いだ。


「お亀がご用意を――」


「おう、新蔵。勘定のほうは合ってんだろな? 合わなきゃ、めし抜きだぜ」


「へ。おかげさんで合ってるようで」


「チッ」


 ったく、舌打ちなんかしちまって。どうしてこうも新蔵をないがしろにするんざんしょね? 今頃になって言うのもなんですが、ま、これには深~い理由わけがあるんざんす。


「あ、お嬢さん。酒を呑むのは構いませんが、ゆんべみたいに、若い男におんぶされるような真似はしないでください」


 おー、新蔵も言う時は言うね。案外、カッコいいじゃん。


「な、なぬぅ! おんぶだ?」


 泥酔でいすいしていたお沙希は、ゆんべのことを覚えちゃいねいんですな、どうも。


「そうですよ。ここまでおんぶして来たんですよ」


「うっそー! ヤーだ、どうしよう……」


(なんか、みっともないこととか、恥ずかしいこととかしなかったかな……。あ~あ、嫌われたらどうしよう……。初恋の人なのにぃ)


「お嬢さん、聞いてますか?」


「うっさいっ! おんぶごっこしてたんだよっ! ガキん時から親が居なかったんでねっ! 親におんぶされたことねぇからよっ!」


 新蔵を睨み付けながら怒鳴るお沙希の目には、涙が溢れていたのであった。


「……」


 新蔵は返す言葉もなく、心痛な面持ちで俯いたのであった。と、ま、こんな具合でい。ね? 結構、奥が深いっしょ? 涙あり、笑いありの人情物だ。こちとら江戸っ子は、こういう人情物に弱いのよ。



 ――朝飯を済ましたお沙希は、帳簿に記載された、嘉右衛門の貸し賃及び商品の照合などをした。


 ……雪舟の掛軸と信楽の壺が戻ってねぇか。



 その足で、嘉右衛門の屋敷に向かった。――主を亡くしたたたずまいは森閑しんかんとしていた。


「ちわー!《無いもの貸し升》です!」


「はーい、只今ただいま


 女中らしき年増としまが小走りでやって来た。


「《無いもの貸し升》ですが、ご主人はおいでですか」


 お沙希はすっとぼけて訊いた。


「……お亡くなりに」


 女中は声を詰まらせた。


「えーっ!」


 お沙希は大袈裟おおげさに驚いてみせた。


「ご病気で?」


 またまた、すっとぼけた。芝居が上手うまいね、どうも。


「いえ、……ころ」


「えーっ!」


 驚くのが、ちっとばっか早いよ。まだ、“コロ”しか言ってねぇじゃねぇか。ったくよ、芝居が上手いねーって、ちっとばっかめたら、調子に乗りやがって。“コロサレ”ぐれぇで驚くんだよ。万が一にも、“コロモガエ”とか、“コロンデ”とかだったらどうすんでい。ったく、おっちょこちょいだなぁ。


「え? いま、なんて?」


 よしよし。フォローも上手いじゃん。


「殺されて……」


「えーっ!」


 よし、来た! その調子だ。


「だ、誰に?」


「……まだ、そこまでは」


「……こんな時に言いづらいんですが、実は、嘉右衛門さんに貸してる商品があるもんで。期限が今日なんですよ。話の分かる人はいらっしゃいますか」


「はい。では、ご新造しんぞ(若い嫁)さんにお伝えします」


「……?」


(ん? ご新造だ? ……嘉右衛門は確か、やもめのはず。後妻か?)



 ――客間の床の間には、信楽の壺が置かれ、雪舟の掛軸があった。女中が運んできたお茶を飲みながら、お沙希が掛軸の水墨画を鑑賞しているってぇと、


「失礼します」


 の声と共に、色っぽい女が襖を開けた。


 お沙希は慌てて座り直すと、軽い咳払いをした。


「まぁまぁ、《無いもの貸し升》のお嬢様で。お話は主人から伺っております。ようこそ、おいでくださいました。おきょうと申します」


 お梗が座礼ざれいをした。


「お沙希と申します。こちらこそ、お世話になっております」


 お沙希も頭を下げた。


「この度は、ご不幸があったことも知らず、不躾ぶしつけに伺い、申し訳ございません」


 よっ、お沙希、ご丁寧ていねい挨拶あいさつだね、誰に習ったんでい?


「お気遣きづかい、ありがとうございます。……突然のことで」


 お梗は顔をくもらせた。


「……犯人に心当たりは?」


「え? あ、……いいえ」


 お梗が狼狽うろたえた。


(この女、何か知ってるな……)


「女中さんに訊いたら、神社の裏で亡くなっていたそうですが、いつ、お出かけになったんですか? 嘉右衛門さんは」


「さあ。……起きたら居なくて。私はいつも、五ツぐらいにはとこくもんですから、主人がその時分、何をしていたかは……」


(殺された時分を知った上での伏線か?)


 ここで、お梗に疑惑を抱くわけですな。

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