第6話

 

 掛軸と壺を受け取ったお沙希は帰り際に、先刻の女中の袖口に幾らかのまいないを入れると、お梗のことを訊いた。


「はい。つい最近です。遊廓ゆうかくにいらした方で、旦那さんが大枚をはたいて、後添のちぞいにしたようです――」


(遊女か……)




「あ~い、おサッキーと申しまするぅ」


「うむ……、斬新な名じゃな?」


 お梗が元いた置屋おきやの主は、可愛いお沙希にご満悦でぃ。


「はい。サッキも言われました」


「歳は?」


「十三。……と七つで~す」


「うむ……、遊女になりたいと言うことだが、どうして?」


「はい。父ちゃんも母ちゃんもいません。親戚に預けられて、早二十年。私を育ててくれた叔母さんには、感謝・感激・雨・アラレちゃんです。そこで、叔母の教育方針である奉仕の精神が、何か人の役に立ちたいという、燃えたぎる情熱を――」


「で、なんで、遊女になりたいと?」


「江戸一番の色っぽい女になりたくて」


「ん~、粋だね~。明日から来ておくれ」


「合点でぃ!」


「……」


 合点でぃはいいが、ほんとに遊女になるつもりか? でいじょうぶかなぁ……。心配だなぁ。



「おサッキーちゃんだ。世話してやってくれ」


 置屋の主は、鎗手やりて(遊女の世話をする女)にお沙希を紹介すると出ていった。


「おサッキーで~す」


「ん~、可愛いね~。あんたの器量なら、遊廓一の売れっ子になれるよ。この私が太鼓判を押すよ」


「あざっす」


「まず、廓詞くるわことばを覚えないとね」


「あ~い」


「いいじゃん、いいじゃん。おサッキーちゃんは素質があるかもよ」


「あ~~~い」


「……」


 お沙希、調子に乗るなって。ほら、鎗手が唖然としてるぜ。


 鎗手を手中に収めたお沙希は、早速幾らかの袖の下をやった。


「……これは?」


 訳の分からねぇ金子に、鎗手が訳の分からねぇ顔を向けた。


「ごめんなさい。実は、折り入ってお話が……」


 お沙希は、岡っ引きの手伝いをしてることを明かすってぇと、お梗のことを訊いた。


 なるほど。本気で遊女になるってんじゃなくて、矢場女ん時と同様、おとり捜査って奴か? あ~、安心した。やっぱ、あったまいい。さすが、俺が憧憬するお沙希でぃ。……好きだぜ、お沙希(呟く語り)


「そうなのよ。嘉右衛門の旦那に見初みそめられてね――」


「お梗さんに、男の影は?」


「……まぁ、あれだけの女だから、噂が無いわけじゃないけどね……」


 賂の上乗せを察したお沙希は、慌てて巾着を出した。


 ったく、鎗手だけあって、その通りのり手だな。えー? お沙希。


 脇を開けた鎗手の袖口にお沙希が金子を入れるてぇと、鎗手は二倍のえびす顔よ。


「あら、どうも。……お梗の馴染なじみ客で、与市よいちっていう、博打ばくち打ちなんだけどね――」


(博打打ちの与市か……。さて、兵治の手柄にさせてやるか)



 ――兵治に情報提供すると、帰宅した。


「お嬢さん、おかえりなさいませ」


「おう、新蔵――」


「勘定は合ってます。食事も出来て――」


「うっせー! 先走りすんじゃねぇ! こっちが訊いてから答えろっ! こちとら、独自のリズムってぇのがあるんでい。勝手に乱すんじゃねーっ!」


「……すんません」


「あ~、腹減った。めしは?」


「……お亀がご用意を」


「おう、新蔵。勘定のほうは合ってんだろな? 合ってなきゃ、めし抜きの上に寝かせねぇからな」


「……へ」


 ったく、気がつえいな、お沙希は。もうちっと、優しくしてやりなよ。おめぇの、おとっ、あっ! てぇへん、てぇへん。口が滑りそうになっちまった。まじぃ、まじぃ。完結までオフレコってぇ約束だったんだ。ここで暴露なんぞしたら、原作者に途中降板されちまうかもしんねぇ。折角、ナレーションの仕事を頂いたのに、ここでしくじっちまったら、これまでの立て板に水が水の泡でぃ。気ぃつけねぇとな。こうなると、あんまり立て板に水も考えもんだなぁ。――



「お嬢様。最近、なんかいいことでもありました?」


 お亀が、いわしの小骨を抜きながら、含み笑いをした。


「え? ……なんで?」


「女らしくなったから」


「えっ! うっそ! ほんとに?」


 お亀からの思いがけない言葉に、びっくりしたお沙希は、嬉しいやら、くすぐってぃやらで、複雑な心境でぃ。


「ええ。女の体は正直ですよ」


「……どういう意味?」


(太助さんとはまだ、手も握ってねぇのに)


「女はね、恋をすると、表情や体つきまで柔らかくなるもんなんですよ」


「……へぇー、そんなもんかい」


(なんだ、バレバレか)


「はい、骨を取りましたよ。召し上がれ」


 お亀は、布巾ふきんで指先を拭いながら、お沙希の膳に目をやった。


「……ね、お亀」


「はい?」


「……私のおっ母さんて、……どんな人だった?」


「……それはそれは、お美しい方でしたよ。お嬢様に瓜二つの。心も美しい方でした。女中奉公の私たちにも優しくしてくれて」


「……お父っつぁんは?」


「え? ああ、旦那様も優しいお方でしたよ。いつもにこやかで。……あれから、二十年近くになるんですね?」


「……お亀」


「はい?」


「……二十年も、こんな私を育ててくれて、……ありがとう」


「まぁ、どうしたんですか? お嬢様。……わたくしこそ、行き届かなくて、お嬢様には迷惑ばかりかけてます」


 お沙希はしょんぼりして、箸が進まなかった。


「どうですか? お味のほうは」


 寂しげなお沙希に気づいて、お亀は慌てて話を変えた。


「ん? ああ、……うめぇ」


「よかったぁ」

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