11月8日(日) 晴れ

 週末はいつもランチや買い物へと繁華街で過ごすことが多いのだが、仕事が少し落ち着いたので気晴らしにでもと思い、郊外の道の駅へと足を伸ばした。


 高速道路を20分ほど走ったところにあるその道の駅は、下の子がお腹の中で小さく丸くなったまますくすくと育っている頃、まだ妻が出歩くことが出来た昨年のGWに上の子を連れて遊びに来た場所でもあった。

 上の子はそこでゴーカートに乗ったことを記憶しており、それに乗るのを楽しみにしていた。前回は妻はとても乗れる状態ではなかったので、今回はお母さんと乗ってみれば?と促したところ妻は「お母さんは車の免許を持っていないから」と、僕と行ってこいと上の子へ返していた。


 6歳まで一人っ子だった上の子に対し、下の子が産まれるまでは些か過保護だったのかも知れない。

 小学校へ上がるまでは目を話すキッカケが親としても掴めずにいた。幼稚園に通っている間は目が離れているとはいえ園の入口まで連れていくし、小学校に入るまでは自宅から一人で送り出すということも無いのでそんなものなのかも知れない。なので当時は外へ出掛けても何処か臆病で親の近くを離れずに大人しく遊んでいた。


 前回ここへ来た際も、着いた時と引き上げ際と2度パンダカーに乗っていたのだが、その稲中卓球部にしばしば登場するBGMと挙動が地味な乗り物を、上の子は「前はアレにも乗ったね」と言いはするもののこの日はそれにはほぼ見向きもせずに素通りした。先ずはスカイサイクルに乗りたいのだと言う。

 流石にこれに一人ではと思い僕も同伴したのだが、楽しそうにしている上の子を余所に動き出しの不安定さ加減に僕の方が慣れるまで怖かった。


 もう一回、今度は一人で乗りたい言い出したと思った矢先、視界の先に何やら期間限定で迷路とアスレチックを兼ねたようなアトラクションが目に入る。

 少し買い物を済ませてからにしようと、夕方に用事を済ませてそこへ行くと、10人に満たない程に子供たちが列を成していて、何人かが中へ案内されるとそれを補うようにまた何人かの子供たちが列に加わるという具合いに、安定した人気ぶりを示しているようだった。

 出口から出てきた子供が追加のチケットを手にして更に列に加わるといった光景も窺える。


 チケットを購入して上の子を一人で列に並ばせて、順番を待ちながらチラチラとこちらを見ては手を降る様子を眺めていた。

 昨年であればこの得体の知れないアトラクションにとても一人では入らせなかっただろう、僕自身も少し子離れ出来たということなのかも知れないが、正直なところ食後に体を動かすことに少し億劫でもあった。

 順番が回って来て、上の子を含む数名のグループが中へ通されると、アトラクションの周りをぐるぐるとしながら、隙間から中の様子を窺っていた。

 あっちへ行きこっちへ行きしている様は何処か必死で、我が子のそういう表情を見たのは初めてだろうか、自分だけがここに取り残されて出口へ辿り着くことが出来なかったらといった緊張感をもしかしたら抱いていたのかも知れない。


 十分とそこそこすると、出口から上の子が飛び出して来ては、もう一度やりたいと息を切らせながら言う。

 夕暮れ時が近付いていたことも有り、また近々来ようと今日は引き上げようとしたところ、自分の願いが虚しく却下されることを読み取ってか、言葉を発して口を開いたまま次第に強張る様に表情が変わる。「マジでか…」といった具合いで、思いの外楽しかったためか、もう一度中へ入らないと消化し切らない、そういった葛藤が読み取れたので、僕も帰ろうと言いながらもどうしたものかと妻に目をやる。

 妻も同じことを感じたようで、財布から千円札を抜きながら上の子をチケット売り場へと手を引いた。

 曇りかけた表情が嘘のように、その後ろ姿が弾んでいた。


 上の子は小学校に上がってから、毎週月曜日になると図書室で本を2冊ずつ借りてきては自宅で音読するというのが日課になっている。音読の習慣は幼稚園の時からついていて、僕が在宅でリモート会議をしている横で大きなかぶ読み始めた時は流石にリビングへ促したが、どうやら本を読むのが好きなようだ。

 ある日の夕食後、カリモクのソファを一人で占領した状態で大きな本に上半身を丸ごと身を潜めるように読んでいたのはアニメ絵本の「火垂るの墓」だった。

 最初は体に対して本が大き過ぎるのだと思っていたのだが、どうやら物語の後半に差し掛かるにつれて衰弱していく節子を正気で見ていられなくなったらしい。泣くことを我慢する表情を大きな本に身を潜めて隠している。


 読み終えてリビングの隣の和室に籠ると、襖の向こうで嗚咽を漏らし始めたので、傍へ寄るとその通り可哀そうだと言う。妻は何が起きたのか、何で泣き出しているのかと苛立つ寸前のようであったが、感情移入する様を自分と少し似たところがあるのだと思った。

 急に立ち上がったと思いきや、リビングからアンパンマンのぬいぐるみといつしか動物園で買ってやった羊のぬいぐるみを抱きかかえて戻って来ては、また泣き始めた。


 感情移入の話をすると、僕も幼稚園の年長の頃に長渕剛主演のドラマ「とんぼ」のラストシーンの映像が印象的で、翌日の遊び時間は友達と走り回るような気になれず、園庭の大きな木の麓に佇んでは砂をかき集めたりしながらボーっと過ごしたことを覚えている。

 映像や音楽にも同じことが言え、歌詞がその曲の臨場感に上手く乗ると頭の中でその光景や感情に掻き乱されそうになる感覚を覚える。

 その印象から長渕剛が出るドラマが好きで子供の頃はVHSをレンタルして来ては邦画を観たりしていたのだが、いつかくだりの叔父に「長渕剛は強いんでしょ?」問いかけたことがあった。

 叔父の回答は「あんな者が強い訳あるわけないだろうが!w」と、幼い僕をあざ笑うかのように一蹴する表情に真面目に腹が立ったのだが、社会人になって改めて「とんぼ」を見返すと、些か無理があったように思う。

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