第6話 「古賀さんだ」

「一番気になる人は、古賀さんだ」


「まじ?」


「……うん、多分」


「まじかあ……」


 古賀さんは困ったように、眉根に皺を集めた。


 まあ、そうだろう。こんな告白とも取れない何かをされれば、そんな表情にもなるだろう。そしてこの流れで古賀さんの名前を出すなんて、あまりにも空気が読めていない。心中お察しする。


「え、他にいないの? なんか、良さそうな人」


「……可愛いと思う人はいるけど」


「誰? その人じゃ駄目なの?」


「……名前が分からないんだよね」


「はあー…………」


 その溜め息には、呆れと諦めが多分に含まれていた。力なく人差し指を伸ばして、横髪をすくって耳に引っ掛ける。そしてそのままこめかみの辺りを何度か掻いてから、「どうしてわたしなの?」と当たり前のことを訪ねてきた。ちょっと前も聞いたような質問だ。


「告白したから、何となく気になっちゃったとか?」


「……かもしれない。否定はできない。でも多分、そうじゃないよ」


「じゃあどこが。わたし、大して可愛くなんてないし」


「だから、声」


「それ、嘘なんでしょ?」


「これは嘘じゃないよ」


 鳥の唄うような。

 鈴の音のような凛とした。

 透き通るように清らかな。


 ……なんて表現すると陳腐になってしまうし、そもそも古賀さんの声は美しいと絶賛されるような声ではない。いや、もちろん綺麗な声なんだけれど、百人いたら百人がそう感じる訳ではない、大きな区分で言えば普通な声。


 でも僕は、彼女の声を美しいと感じる。頭ではそうでもないと思っても心に響く。

 野球部の喧騒の中でも、吹奏楽部の合奏の中でも、風が吹きすさぶ中でも、僕は彼女の声の輪郭を捕えることができる。


「僕は、付き合うなら古賀さんとがいいな」


 というより、古賀さんしかありえないような気もする。

 だって、他のクラスメイトの女子なんて名前すらあやふやなのだ。もう新学年になってワンシーズン経とうというのに、知ろうともしない、覚えようともしていないのだ。


 僕はただ何となく嘘の告白の相手に古賀さんを選んだつもりだったのだけれど、きっと僕は最初から古賀さんに惹かれていたのだ――恋愛的な目ではなく、あくまで一人の人間として、美しい声を持つ人として、だけれど。

 だから自然と、僕の意識の中にあるクラスメイトとして古賀さんを選んでしまったのだろう。


「……あのさ」


 やや間があって、彼女は言った。表情を前髪で隠すようにしながら、口を動かさず舌だけで発声するようなくぐもった声で。


「さっきの嘘告白は恥ずかしがったくせに、どうして今はそんな堂々と言える訳?」


「……え?」


「え、じゃないよ、え、じゃ! どうして真直ぐにわたしの目を見てるの!」


 ……。

 みるみると、自分の顔に熱がこみ上げてくるのを感じる。


「え、え、いや、そんなに堂々としてた!?」


「授業中に指名された時でもそんなにハキハキしないよ!」


「ご、ごめん、本当にごめん、や、なんでだろ、感じたことをとにかく口に出してたから、恥ずかしがるまで気が回らなかったのかな……!」


 僕はまだ、彼女のことが恋愛的に見ていなくて。

 あくまでその声に惹かれていて。

 その事を自覚したから、つまり恋愛とは割り切った言葉だから恥ずかしくなかったのか?


 熱にうかされた脳味噌では、そんな考えも直ぐに蒸発していってしまった。


「なんでそんな堂々と!」。「ご、ごめん!」。「こっちだって恥ずかしいんだからね!」。なんてやり取りを何回か繰り返していると、突然「ぺぽお」、無理矢理言葉に直すのならそんな音が耳を障った。


 吹奏楽部の音だ。トランペットに比べると随分と弱々しそうな音の楽器(多分クラリネットとか言う縦笛みたいなやつ)だけで演奏していて、誰かが盛大に音を外したのだ。


 上手でなだらかな演奏ほど、ひっかかるものがないから、意識をしなければ聞き流してしまうもの。そんな中唐突に「ぺぽお」が叩きつけられたものだから、僕も古賀さんも口をぽっかり空けたまま数秒固まり、そのまま同じタイミングで笑い出してしまった。


「ねえ、一樹くん」


 彼女は口元を緩めながら、僕の名前を呼んだ。彼女がそんな提案をしてくれたのは、「ぺぽお」のおかげで雰囲気が弛緩したからだろうか。


「いいよ、付き合うの」


「……え?」


「付き合ったげる。君みたいな自殺願望ぼっち君と」


 自殺願望ぼっち君。なるほどその通りだ、僕は苦笑を浮かべた。

 でもね。僕が何か言う前に、彼女は言葉を続けた。


「わたしは一樹くんと違って、ふつーの女の子だから。好きでもない男の子に青春を捧げようとは思わない」


「……えっと、それってつまり」


「うん。最初の提案のまま。一樹くんの告白をプロデュースしてあげる。わたしが、わたしへの告白へのね」


 古賀実を惚れさせる方法を。

 古賀実本人が教えてくれるというのだ。

 なんだそりゃ、と笑わずにはいられない。


 しかし一見滑稽なだけだけれど、つまりそれは、「僕のために付き合ってやってもいい」と言っていることと同義なのだ。僕なんかのために、自らの恋愛を捨てようとしているのだ。

 

「……無理しなくていいよ。僕のことを気遣ってるのなら、大丈夫だよ? 古賀さんが僕のことを覚えている内は死なないって約束する」


「正直、いろいろと複雑な気持ちはある」そう言って苦笑、しかしすぐさま、楽しそうに目元を細める。「でも、面白そうじゃない? 一樹くんへの同情とかを抜きにしても、うん、それでもいいなって思ってる。……安心して、もちろんわたしは、好きでもない男の子と付き合う気はないからさ」


「……じゃあ」


「うん。これからよろしく」


 古賀さんは、僕の胸の前に右手を差し出した。

 それが握手の合図だと気付くまで、若干の時間を要した。


「うん。……よろしく、お願いします」


 僕は右の掌をブレザーの裾で拭ってから、その手を取った。


「もしそれが叶わなかったら、責任とって、わたしが一緒に死んであげるよ」


「それは……是非とも遠慮しておくよ」


 古賀さんはきゅっと目を細めた。

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